2012.11|「I Love Kyoto Kaikan」運営人河本順子さんインタビュー公開中

12.25.2011

QC3|06 untenor「地域を拠点とする活動の応用可能性を考える」





「地域を拠点とする活動の応用可能性を考える」
untenorインタビュー


今回お話をうかがった「untenor」の辻琢磨と吉岡優一の二人は、静岡県は浜松市を拠点に活動を行っている。建築に携わりながら、それでも建築家としての関わり方ではなく、いわばそこで行われる「まちづくり」にどのような建築的思考を生かすことができるかを問いかけ、実践するプロジェクトである。いわゆる「地方」と呼ばれるような地域に根ざしながら、自身の活動をその地域のみに閉ざさないようにしている点に彼らの特徴がある。浜松における問題や取り組みをより広い文脈へと接続すること、また浜松での活動をまた別の地域へ応用する可能性を考えること、こうした意識のなかから「地域」を考えてみたい。(2011年11月、竜宮美術旅館にて)


後編はこちら
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「他にもありそうなところ」を拠点にすること



―まず「untenor」について、お二人の役割分担を含めて説明していただけますか?



「untenor」は、僕辻琢磨と吉岡優一、それから文芸大の学生数人と2010年に立ち上げたプロジェクトです。主な活動としてはまちづくり系のワークショップや建築/まちづくり系のレクチャーシリーズを行っています。「SENA(三遠南信地域連携ビジョン推進会議)」という組織から人材育成という形で助成金をもらい、デザインに興味のある学生や社会人の方にレクチャーを行うという事業を「untenor」と「浜松にぎわい協議会」とで担当しています。

僕と吉岡はプロジェクトの大枠やコンセプトを話すのですが、僕は浜松を拠点にしていますし、どちらかというと現場というか、動ける範囲で動くという「実働部隊」のような役割かなと思います。

吉岡(以下:吉)
特に二人の関心でいうと、辻の方がメディアに対して意識的で、浜松で面白いことがなされているということをどのように伝えるかを考えているところがあります。一方で僕はむしろ浜松という政令指定都市規模の都市でまちづくりを行う際に、メディアを使ってどのような実践が可能かに関心があります。

僕が現在所属する筑波大学貝島桃代研究室*で行っているまちづくりでは比較的小規模の地域が多いのですが、対象が掴みにくい規模の都市でどういった展開が可能であるかを考えています。僕自身もともと静岡文化芸術大学(文芸大)を卒業しているので、浜松にいたころから「いろいろやってはいるが、なんでここはこんなうまくいっていないのか」ということを実感していました。そしてオランダ留学後に自分なりに何かアクションを起こしてみようという時に同じ疑問を持つ辻と出会い活動を開始しました。

*筑波大学大学院貝島桃代研究室:建築事務所「アトリエ・ワン」を塚本由晴とともに共同主催する貝島桃代の研究室。設計、研究活動と並行して、茨城県つくば、水戸、下妻、大子、埼玉県北本、岐阜県飛騨種蔵、新潟県十日町、石川県金沢などでまちづくり活動に関わる


―なぜ拠点として浜松を選ばれたのでしょう?



僕は浜松市出身、吉岡は近くの掛川市というところの出身ということもあり、どちらも学生の頃からこの地を知っていて、そこから一度関東の大学に行っているので抽象化が起こっています。東海道の中心にあり、江戸から繊維産業が広まって、戦前までにそれが紡績工場になった。鉄道も発達し、それが戦争で軍需工場になり、戦災で焼け野原になって、戦後復興のときには自動車産業と機械産業とともに盛り上がった。「KAWAI」「HONDA」「SUZUKI」があり、その下請けがずっと広がって、それが今立ち行かなくなってパラダイムシフトが起こるというときに、中心市街地や郊外の問題が一緒に出てくる。日本の歴史的な流れと都市で起こっていることがよくも悪くもすごく分かりやすく、かつ実感しやすいのが浜松です。ゆえにそれを抽象化したときに何かあるモデルになるんじゃないか? そういう問題意識があります。



浜松俯瞰/右側に再開発が進んだ東地区、左側に中心市街地




浜松は非常に「凡庸な」都市です。だから、ここでできたら他の都市でも固有性をスパイスにしながら展開できるだろうと。認識的にはそれくらいの抽象度があります。



東京での議論を意識すること/地域に根ざすこと



―これまで活動を続けられるなかで、浜松とはどのような関係を取っていますか?



僕ら「untenor」の活動のメインは教育活動であり、それは僕らの思想をダイレクトに伝えることができる。しかし、それだけでは街の人との接点がなかなか見えてこず、プロジェクトを実現する機会をつくり出す力には欠けます。そこで「untenor」という組織の他に「machinoba」という取り組みも行っています。こちらには僕の方の関与が大きいのですが、いわば「machinoba」は地域の人とべたっとして、一緒に何かやろう、地域の人がやりたいことをより良い質で実現しよう、という試みです。僕は普段はつくば市に住んでいるので距離的には遠いのですが、浜松という地域とべったりやるという活動をやっている。辻は近いのですが、「untenor」という距離感でまちと関わっているんです。そうやって距離感のバランスをうまくとろうとしています。


「untenor」がどこを見ているかということに関して言うと、吉岡が少し触れた通り、個人的には東京のメディアかなと思います。地方で起こっていることを一度抽象化し、東京の議論と同じレベルで語るということを意識して、それもそれぞれの地域から東京に持っていくということがしたいですね。


―その理由は?



ウェブの発達によって情報格差がなくなったと言われていますが、誰でも等しく情報を手に入れられる環境ができた分だけ、逆説的に物理的な集合、物理的な都市環境の差異が決定的になっていると言えます。そういう意味で東京は情報発信の場としての存在感をいまだに持っているわけで、メディアの影響力を考えると東京を経由した方が有効だと思います。浜松との距離感はありますが、コミュニケーションの量は浜松と東京で、ウェブ、フィジカル問わず同じ程度に保ちたいと考えています。


東京で活動していると人も多いし、その活動内容も比較的飽和しているような状況があると見ています。地方に帰ってきて何かをやるとなると圧倒的に条件が違います。だから活動の質さえ担保できれば、東京に持っていくだけでも十分魅力的なものになるのではないかと思います。わざわざ東京でやっているようなことを地方でもやるんじゃなくて、地方は地方でやって、それを抽象化すればいい。それが縮退時代の都市の議論にも繋がるし、東京にとっても地方にとっても今までになかった具体的な都市の議論が起こってくるだろうし、面白いと思っています。


―では具体的に「untenor」として行っている活動を説明してもらえますか?



以前、空き室利活用のプロジェクトをこちらの若手ディベロッパーとの恊働で行いました。彼らは不動産を持っていて、リノベーションもやり、空き室の利活用もやるという人たちです。その方と「浜松まちなかにぎわい協議会」さんという中心市街地活性化を目指す民間組織、僕ら、そして地元の文芸大とで恊働できないかと考えました。にぎわい協議会さんが浜松の地権者の方とのコネクションを一年間くらいかけてつくってきたので、それを使おうと。

大雑把に言えば、浜松の空きテナントを居住に変えていくという話です。空きテナントから居住に変えていくときのプランニングと施工、ならびに居住までをひとつの教育的パッケージとして、学生が主体的に取り組むという形を目指しました。学校の課題ではタッチできない施工や居住の部分まで提案しながら展開していこうと思ったんです。でも結局文芸大にインフォーマルな主体である僕らとの恊働を許容してもらうことができなかった。

そういうことはあったんですが、自分たちが「訳の分からない主体」であることには価値を感じています。どこかの枠組みに入ってしまうとすぐに勢力図にからめとられてしまう。地方はおそらくどこでもそうでしょうが、どのレベルを見ても仲が悪いというか、コミュニケーションの度合いで言うとマイナススタートというか……行政の人は商店街の人から嫌われているし、それは企業も然り。企業と商店街の間にコミュニケーションはないし、商店街同士も仲が悪い、というように。いろんなレイヤーで仲が悪いというか。つまり、どこかに属すとどどこかにはねられる、その関係性が難しい。「訳の分からない主体」であることの価値は、そのあたりの関係性のバランスを考えてのことです。


―「RE」というインフォーマルなリサーチプログラムを進められていますが、ここではどのようなことをされているのでしょうか?



「RE=Real Education」では主にリサーチプロジェクトを行なっています。過去三回、RE01、02、03とそれぞれSENAの人材育成プログラムの助成金を利用して運営しています。

RE01では研修生が主観的に気になった街の風景を客観的に科学し、その風景がどのような素材で構成され、その素材はどこで手に入り、値段はいくらするのかということをリサーチするという教育プログラムを実施しました。自分たちと抽象的な都市を近づける試みです。


RE01でのリサーチ結果


RE02では、レクチャーシリーズの企画運営プログラムを実施し、受講した研究生が受講後も自発的にレクチャーイベントを企画できるようにカリキュラムを組んでいます。この企画は自分たちのつながりの中からレクチャラーを選定し、オファーしていくというもので、レクチャー企画のための余条件に自分たちのつながりが組み込まれることで自分たち自身のことを改めて知るきっかけにもなります。



RE01レクチャーの様子


今進めているRE03は「CITY LAB」と名づけ、浜松市の商業政策課と協力し、クリエイティブセンターの提案を行政に行うためのインフォーマルな研究室を運営しています。いわゆる「ハコモノ」のセンターの提案ではなくて、自分たちが今持っている人材やイベント、場所を丁寧にリサーチし、それらを編集することでクリエイティブセンターの提案ができるのではないかと考えています。

全体としてインフォーマルな教育プログラムの実施がテーマになっています。都市の議論がなかなか生まれない浜松においてまず若い世代に対して、都市や建築やデザインを考えることや、自分たちがいる浜松というフィールドがいかに面白く、かつ可能性があるかということを少しでも伝えられればと思っています。


もうひとつ重要な点としては、都市の議論を「建築系の話」に閉じないということです。REシリーズにも非建築系の方々に参加していただいてます。僕らはあくまでも建築畑として議論を建築的に回収する射程で見ています。しかし、同時に都市や街の議論というのは常に開かれたプラットフォームのようなもので、他分野が同時に議論ができる共通項です。例えば千葉大の広井良典さん*のように医療・福祉と都市の問題を議論する方もいるし、個々の企業にとっても企業戦力として都市リサーチや議論は重要なものになっています。議論やプロジェクトを通して、それぞれの専門へ何かしらの知見を持ち帰ることや枠組みの再編は共通項を持っていることでできると思います。そういう意味でREシリーズは常に開かれた対象に対して発信しています。

*千葉大学法経学部総合政策学科教授。著作に『コミュニティを問いなおす』など。



固有名から見る浜松という地域の独自性



―浜松のまちづくりを担っていこうと思われている方には他にどのような人がいますか?



「やらまいかミュージックフェスティバル」を仕掛けた鈴木達也さん、「architecturephoto.net」を主宰する後藤連平さん、先程お話した「浜松まちなかにぎわい協議会」、「NPO法人クリエイティヴサポートレッツ」、それから文芸大の中にももちろんいます。自分たちから見えている部分の話しかできないんですが、直接的に僕らが恩恵を受けているのは「machinoba」が入居している万年橋パークビルのオーナーさん。浜松の商店街レベルでの活性化を進めようとされている方ですね。


その人はなかなかラディカルな思想の持ち主で、僕らも話しやすいんです。ふつうのおじちゃんなんだけど、話してて非常に面白いです。


―どのような方なんですか?



もともとはアパレルの仕事をしていて、ヨーロッパ各地でデザイナーやブランド向けに浜松の生地を売っていたそうです。浜松の繊維産業が厳しい状況に追い込まれる中で、こだわりを持った作り手たちを繋ぎ、他にはできない品質の生地を展開していたと聞きました。現在では、厳密にいうと2011年4月に民営化した元市営駐車場の万年橋パークビルの社長さんです。それまでは民間圧迫をできないという理由からかなりの制限を受けていたのを、民営化したことをきっかけに地域活性化の拠点として駐車場をまちの中に位置付けるために芸術文化を取り込んだ多様な活動を展開されています。将来的には駐車場収益を中心市街地の活性化活動に当てたいとお話されています。


それからキーパーソンとして「NPO法人クリエイティヴサポートレッツ」の鈴木一朗太さんがいます。「レッツ」は福祉施設なんですが、障害者支援を広くとらえているんです。現代社会では「自分のやりたいことをちゃんとやる」ということが難しくなっています。それをちゃんとやるということを掲げて活動を展開されています。旧東海道の「ゆりの木通り」にインフォラウンジというチラシをアーカイブするスペースがあるのですが、簡単に言えばそれをディレクションしているトップが一朗太さんです。そこに森恭平くん*などが入ってきて、そこを拠点に「地域を繋ぐ」という活動をされています。「インフォラウンジ」に行けばいろんな人を紹介してくれるし、地域資源の掘り起こしという意味ではかなり重要なプレイヤーですね。まだまだいるとは思いますが潜れば潜るほどに発見があります。

*元呉福万博代表、文京区江戸川橋地蔵通り商店街コーディネーター


あとは今回RE03で僕らが行っている「CITY LAB*」に協力してくれている行政の産業部商業政策課の方々。彼らは中心市街地活性化に携わられているので、思惑は一致していて協力関係を築けています。なんというか一周して明るいというか。「まちづくり、大変だよねー、わはは」みたいな(笑)。

*浜松の中心市街地にクリエイティヴセンターを提案する、分野を横断したインフォーマルな研究室


いろいろやったけど、なかなかうまくいかないねー、と(笑)。働いている人たちも比較的若く新しいことを吸収しながらいきいきしているようにみえます。


あとは「浜松まちなかにぎわい協議会」さんですね。少し経緯を説明すると、遠鉄(遠州鉄道)百貨店という地方の鉄道グループの持っている百貨店がまだ中心市街地に残っていて、以前は中心市街地に西部百貨店や丸井があったんですが潰れて、あと松菱という地元百貨店も経営破綻して、今は10年間廃墟になっています。そのあたりの誘致を商業政策課が担当していたんです。少し前までは松菱に大丸が入る予定だったんですが、これが「入る」となったときに、遠鉄が「じゃあうちも頑張らないと」と増床を決定したんですよ。でも結局大丸誘致が失敗してしまって。遠鉄だけで中心市街地活性化をやらなければならなくなり、焦って「じゃあ何か」ということで地元の地銀や商工会と協力して「にぎわい協議会」ができたという認識です。



松菱百貨店の様子


「にぎわい協議会」は民間が出資しているんですが、メンバーはみんなそれぞれの出資先から出向しているサラリーマンたちなので、まちづくりに関しては素人なんですよ。何かしないと、ということで一応地域とのパイプはつくる。でもスキームがないので、イベントを打つだけになってしまうんです。


ネットワークをつくるのには役立っているのですが、実際にイベントやるときになるとイベント屋さんに相談に行ってしまうから、従来通り実施されていることがやられてしまいます。


―彼らにアイデアを売りにいこうとする人材はいないのでしょうか?



いないと思いますね。それが彼らが従来のやり方から抜け出せない外的な要因のひとつであると思います。しかし劇的に変わる可能性があるとしたら、彼らの許容力の幅の広さがあると思います。とにかく素人であることに自覚的で、毛嫌いせずに色んなことを受け入れています。それが将来的に浜松の関係性を変える力になるのではないかと感じたりもします。


正直に言うと、「にぎわい協議会」は「どうせ何もできないだろう」と思われている節がありますね。だからいわゆる「意識的」な主体にとっては彼らとコミットすること自体がどうかという雰囲気が出ている気がします。


一方、法律の後押しもありこういったいわゆる「まちづくり会社」というのは全国的に増えてきています。どこも実情としては「にぎわい的」な問題を抱えているのだとすると、クリエィティブな才能が介入する余地はあると思います。辻の指摘した「意識的」な主体側が、どうやってこの既存コンテクストになりつつあるものに介入し、関係性を再構築できるかを自らに問い、実践することが大切だと思います。


―このように多様な主体が積極的に動く中で、「untenor」として意識していることは?



浜松のまちづくりで興味深いのは、活発な主体が皆プロフェッショナルではなく、お話した通りフラットなアマチュアであるということです。素人が皆暗中模索で探り探りやるというのは圧倒的に非効率かもしれませんが、逆に既成概念に縛られずに行動できるということがあると思います。そのとき僕らが意識することは、決定を急がない、あるいは明確な決定に対する重みをなるべく共有させないということです。

それは既成概念に縛られない自由な思考の可能性を最大限に引き出し、ギリギリまで粘ってなるべく強度のある決定を共有するということです。つまり、暗中模索の過程自体を共有しながら、なるべく多くの余条件を自分たちも含めた「フラットなアマチュア」から考えるということ。そういう自由な非効率性からなんとなく出すべき方向性のためのコンテクストをとらえていく、ということが建築的思考を実践する僕たちの役割なのかなと思います。さらに言えば、建築を扱うコンテクストの幅をいかに広げられるかという価値観をまちづくりに転用することも意識しています。自分たちが今持っている固有の要素の一つ一つをプロジェクトの重要なコンテクストとして捉えて、積極的に誤読する可能性をたくさん用意しておくことが自分たちの役割と感じます。

あるいは、まちづくりのテーブルにおいては、どういう空間がいいかという話をする空間の専門家というよりも、例えば一つの会合の状況を俯瞰して整理する役回りを期待されている印象を受けます。もちろん議題にもよりますが、建築を構築するという必要性を一旦キャンセルした状態から有効な手段を見つけていく上で、この俯瞰する意識は非常に重要だと感じています。一方この俯瞰者の視点だけだと「偉く」なってしまうので、俯瞰している自分とその場所で言葉を発している自分が常に同居するようなコミュニケーションが重要だと思っています。



後編へ続く


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プロフィール

untenor

辻 琢磨
つじ たくま
1986年静岡県生まれ。
横浜国立大学大学院建築都市スクールY-GSA修了後、Urban Nouveau*勤務。
現在、403architecture [dajiba]共同主宰


吉岡 優一
よしおか ゆういち
1984年静岡県生まれ。静岡文化芸術大学デザイン学部空間造形学科 寒竹伸一研究室卒業。2009-10年 オランダ王立デルフト工科大学インダストリアルデザイン学科正規交換留学。現在、筑波大学大学院人間総合科学研究科博士前期課程 貝島桃代研究室に在籍。