2012.11|「I Love Kyoto Kaikan」運営人河本順子さんインタビュー公開中

5.10.2011

QC3|02 岡田知弘インタビュー「経済学的観点から地域という複層を見る」



「経済学的観点から地域という複層を見る」前編
岡田知弘インタビュー


--
第二回目となる今回のインタビューでは、京都大学経済学研究科にて教授職に就かれ、地域経済学を研究される岡田知弘氏にお話をうかがった。「地域経済学とはどのような学問なのか」ならびに「その観点からどのような風景が見えてくるのか」という基礎的な質問からはじまり、個別具体的な地域の取り組みを紹介してもらいながら「地域内再投資」というキーワード(詳細は後編にて)を挙げていただいた。地域とはある固定的な実体ではなく、いくつものレイヤーの重なりからなっている、という氏の言葉、ならびに、具体的なフィールドワークとより俯瞰的な研究とを組み合わせながらその複層を見ていく氏の姿勢から、今後「地域」が取るべき方向性について考えていきたい。(2011年2月26日収録)




前編 「経済学という観点から地域を考える
文字起こし:佐藤敏宏


—「地域経済学」という分野はいわゆる経済学とはどのように異なるのでしょうか? 


「地域経済学」はその名の通り、「地域」と「経済」学とが複合化された言葉です。経済とは、本来は「経世済民」という中国の言葉が語源であるように、世の中の人々を助けて国をたてていくことです。経済学というのは、そのための学問です。地域経済学は、この経済学の一分野です。


経済活動には2つあるんですね。産業活動と生活。現代では産業活動の部分だけが広域化していて、生活領域の方はそんなに広がっていない。例えば半径500mという所で動いている後期高齢者の数が増えてきているんです。半径500mというと、都市で言えば小学校区でしょう。農村でいうと集落、そういうスケールで生活し続ける人が絶対数として増えてきている。他方で生産年齢人口の一部はグローバルに活動していく。ただ、そういう人たちも家に戻って家族の再生産をやってますから、そこは狭い範囲で生きている。こういうスケールの違いが現代では積み重なってるんです。私たちはこれを「地域の階層性」と言っています。そして、世界経済から小学校区にいたる地域レベルごとに、別々の動きをしています。世界経済レベルの動きと日本全体の動き。それから京都府レベルの地域、そして京都府の内部の動き。これが複層化したかたちで同時並行的に動いています。そのなかで一国経済のいくつかのレベルを取り上げて、そこでの経済活動を分析していくというのが地域経済学の研究です。したがって、はじめから例えば「小学校区が地域経済の単位だ」というふうに言い切ることはしません。


これまでの経済学は、産業ばかり着目していたんですけども、私は生活が大事ではないかと考えています。そこに住んでいる住民がどういう状況にあるかということを併せて考えなければ、地域というものは見えないんです。消費、生産、そして流通。実はこれまでの経済学的なとらえ方では、生活に根ざしたこれら活動の流れが見えないんですよ。その流れを生活や地域に置き直して、財政を含め、説明されなければならない。例えば、税金をどういうかたちで支出するのか? 土木事業で支出するのか、子供手当で支出するのか。そのお金がどう流れていくのか。地域をベースにすれば、これまでの縦割りの工業経済、農業経済、金融経済、あるいは財政学と言われていたものの研究対象が、一体となって動いているのが見える。その経済活動は人間が生きるために行ってきた営為なのです。


日本で産業革命が興った時期は高校のテキストなどでは1900年前後と言われていますが、これを地域空間に落とし込んで考えてみたとき、北海道から九州、沖縄まで「いちにのさん」でどの地域にも近代工場が勃興したかと言ったら、違うんです。東京でいったらカネボウ。あるいは大阪ならば大阪紡績、あるいは諏訪湖の畔で片倉製糸。このあたりが巨大な紡績工場や製糸工場を作り、そこが成長の極になっている。逆に東北は寄生地主制が発達して工業よりも農業です。お米や労働力の供給地に特化していくんですよ。そして首都圏の方に鉄道を通して安くおいしいお米を供給していく。実はこのかたちは、今の中国と同じなんです。一国経済の発展には、メダルの表裏があり、表にも中心と周辺があるんです。階層性があった上で、そこに地域独自の運動がある。


現代では、日本列島規模で言えば東京一極集中です。でも県別で見たら、今度は県庁所在地に人口は集中している。その理由を「経済のグローバル化」と言っています。海外に直接投資がどんどんなされ、国内の工場が閉鎖・縮小されていく。自動車と家電関係が象徴的でしょう。その工場があったのは東北や九州なんですよ。


それから今もTPP問題が議論になっていますが、農産物も貿易自由化すべきという圧力が80年代からかかって来て、積極的に輸入促進政策を採っていくんですね。それが対象にしているのがお米も含めて農産物であり、繊維を中心とした中小企業製品です。この間、京都で激減していくのが織物関係の事業所でした。「前川レポート」というものが通商交渉の中で約束されて、積極的に貿易黒字を減らすために輸入を促進します、と約束してしまいます。それで、農産物も、中小企業製品と言われる織物、繊維関係もどんどん輸入していく。そういう中で、大手の会社は海外に工場を建てて行った。この富がどこに行くかというと、当たり前ですが、東京にいきます。本社が集中しているから、海外売上高の7割が東京都心部に集中してしまうんですよ。


ここで産業別の就業人口の動向を見ていくと、90年代の10年間で人口が減る前に就業人口、つまり働く人の数が減っているんです。これは高齢化が進んでリタイヤする人が増えたということ、もう一つは失業率が5%ぐらいに上がったということからきています。人々がその地域で生活し続けるということは、人口の減少が起こらないということです。世代交代があっても人口は持続可能なかたちで維持されるか増える。ところが、少子高齢化の前の時期に、多くの市町村で人口が減りだしているんです。これは産業活動が衰退して生活を支えられなくなった地域が増えた、と理解することができるわけです。


90年代の産業別就業人口のなかで、もっとも目立つのは製造業の大幅減少です。京都でも産業空洞化がずいぶん広がりました。ちなみに90年から2000年にかけての製造業就業人口を見てみると、200万人を超える働く人が、つまり京都府の人口240万とほぼ同じ数が減っています。90年のバブル絶頂期には一番働く人数が多かった産業だったのですが、わずか10年で第三位産業になってしまいました。これは海外進出の帰結であり、もう一つは地場産業が輸入促進政策のために崩壊した結果です。 


これに対してサービス業が増えました。医療保健福祉サービス業と情報サービス業、この2つだけが大きく増えています。京都市内の事業所統計を見ていきますと、80年代の初頭まで働いている人の数が最も多かった産業は織物業だったんですが、90年代に入ると一位は病院業に変わるんです。これを「サービスの経済化」と言います。一方農林漁業の減り方はとんでもなくて、10年間で3割か4割ですから、単純計算するとあと20年経ったら壊滅です。明らかにこれは輸入促進政策の結果です。農林漁業と製造業を基盤にした地域経済を作っている地域はどこかと言うと、郡部であるわけです。京都でいうと北部が一番典型的です。産業が衰退し、休業してしまうと所得がありませんし、金が無くなったら生活できません。そこで人口を支えられなくなって、人口が減って行くわけです。


—地域経済学において、今お話していただいた都道府県あるいは市町村という既存の境界を基にした階層性の他にどのような階層性があるのでしょうか?

  
今の話は行政区画としての市町村という基礎自治体の範囲を想定しています。その上に都道府県があり、国がある。これがなぜ重要かと言うと、行財政権限を持っているからです。法律を定めるのは国の行為。国は財政を持ってますし、税金を集める権利も持っています。都道府県や市町村は同じように法的な権限で条例を定めることができます。だから都市計画、あるいは建築基準法に沿ったかたちで、例えば京都市の景観条例やまちづくり条例のように独自の施策ができます。基本的にはこれは住民自治で決めるべきものですが、大規模な自治体、例えば京都市は150万人弱の基礎自治体で、一つの市議会を作る。これはスケールの問題に関わることです。日本の場合、今回、市町村合併をし過ぎてしまったせいで、とても生活領域とは言えないような広がりができてしまった。これが一つの行政領域、あるいは、そこに立つ地方自治体とか国というものの役割の大きさについての話です。


その他の地域階層として、通勤圏や労働市場を考えることができます。三大都市圏で言えば、京都の人が大阪に通うというような「労働市場圏」という圏域があるわけです。あるいはもっと広げていきますと、経済活動している主体が全国各地に支店網を持ってます。これを「資本の活動領域」と言っています。今東京系資本が一番広いエリアに展開しています。金融ビックバンで元々は在阪系だった企業グループが全部東京資本になっちゃったんです。つまり東京に本社機能が移ってしまった。したがって大阪も経済圏域がグッと収縮して弱くなってきています。それは何に象徴されるかといいますと、通勤人口の激減なんです。阪急や京阪が経営方針を変えてきた理由も、そこにあると思っています。もう通勤通学人口を期待できないわけです。だから特急の止まり方も変えてきたし、集客を第一にしてJRとスピード競争しない。もう一つは本業以外に展開していく。


このことに関して、第一次産業、第二次産業、第三次産業の全国に占める比率がどれだけあるのかを都道府県別に並べた図があるんですが、東京が非常に分かりやすく、山が高くなっている。これは法人所得の集中率で、東京に40%近くが集まっている。支店網から吸い上げられた利益が東京本社へ集中しているということなんです。実はこれが日本全体で起っている動きです。だから京都でも同じ動きがある。つまり京都府の中でも京都市に60%ぐらい人口集中しており、都心部のところに投資の集中点があります。このように、経済的圏域も複層性を帯びて存在し得ます。ただ「存在し得る」と言っただけでは、学問的には面白いかもしれないけど、現に起こっている問題を解決することにはなっていかないでしょう。私は、国や地方自治体が果たすべき役割は、その圏域のそれぞれの地域の持続的発展をなすことができるか、ということだと考えています。


—こうした経済的な動きは地域に対してどのような具体的影響を与えるのでしょうか?


経済活動そのものが、グローバルな動きと連動して町の外観、姿を変えていく、ということがひとつあります。それを見ていかなければ、例えば「保存だ」と言ったとしても意味がないと思っています。博物館的施設だけが残ったとしても、それを維持できるのかという問題があります。つまり、何で西陣や、室町も含めて、ドンドン織り屋さんや問屋さんが消えてペンシルビルができたり、空き店舗ができたり、ガレージが増えていくのか。あるいは室町一帯に展開していた問屋さんがビルを転貸して、そこに創作和風料理屋が入ったり、エステが入ったりするのか。これは、さっき言った大きな産業変動が国際規模で起こって、京都のところで繊維産業が立ち行かなくなってしまったからですよ。そしたら土地を持っている人たちはどうするか? たまたま地価がバブル崩壊後下落したわけです。そのなかで土地利用転換をしようと思ったら、地代が払えるような新しい業種しかない。


しかももう一つ2000年代初頭の金融ビックバンが起こった。先に大阪の話をしましたが、京都でも四条烏丸の辺りは金融街でした。だからいろんな金融機関の支店があったんです。ところが合併したら店舗が余ってしまうわけです。そこへ何が入ったか。オフィスの女性を対象にした、あるいは通行客を対象にした小売店経営だとか、本屋さんだとか、喫茶店、あるいはエステ。そういうところにいわゆる市場を求めて企業群が入ってくる。けれどもこれは京都系企業ではなく東京や大阪系企業です。そういうかたちで街の姿が変わっていく。端的に言えば、そこに「住む」人や経済活動の主体がなくなってしまえば景観は維持され得ないわけです。これに対して、河原町通りは、かつてほど繁栄していません。東京系・大阪系企業のギラギラした若者向けのお店が不規則に入って来てしまったことで、お金を落とす中高年の買い物客が行かなくなったからだと考えられます。実は、この河原町通りの変化に学んでいるのが都心部の烏丸通りです。烏丸通りをどうするか、ということを検討するために、沿線の企業や地主や市が協議会を作って、あるルールを作っています。例えば風俗系を入れないとか、ギラギラしたものを入れない。そのようなかたちで、街を一つのルールの下に作っていこうという仕掛けをもっています。


—ただ、そのとき例えば西陣や祇園といった歴史的な変移がある程度見えやすい地域と、そうではない地域とがあると思うんですが、その違いをどのようにお考えですか?


京都市の伏見区に久我・羽束師(こが・はづかし)という地域があります。古い京都の歴史の中でも一番最初に開発されたところです。つまり平安京ができる前からある。有名な秦一族がやってきて開いた所です。向日(むこう)市と隣接しており、元々は桂川の西側で、乙訓(おとこみ)郡なんです。ところが60年前に「京都市と合併したい」と言って京都市に編入合併したんです。その後、高速道路の近くなので都市計画決定をして「工業地域」にしようとした。けれども京都市のような地価の高い所で工場がたくさん立地するような時代や環境ではなかったわけです。その結果、逆説的ですけど農地がまとまって残った。いま工業専用地域なのに九条ネギ等の産地になっています。他方で、都市計画規制がとてもゆるいので三階建て住宅が密集しています。この15年で京都市内で一番人口増加率が高い地域のひとつです。そういう中でまちづくりビジョンを作ろうじゃないかということになったんです。まずは住民のみなさんがまちづくり協議会を作った。


そこで二つの分科会をつくりました。ひとつは、自分たちが今住んでいる所は一体どういうところなんだろうか、ということを写真を媒介にしながら学び直そうという、歴史景観部会です。いわば、地域史を学ぶ取り組みです。もう一つが、農家の方々と新住民の方々が交流できる直売場を運営する農業部会です。野菜がたくさん採れておいしいんですよね。今150人ぐらいお客さんが固定的にできていて、毎月市を開き、一時間ぐらいで全部売り切れる。人気ですよ。そういうことをやりながらまちづくりビジョンをワークショップ型でつくりつつあります。


その地域が発展しなかったひとつの理由に、水害があると思います。土地が低いのですぐ桂川の洪水に遭ってしまう。だから水害というか「水に対する対応が重要」という認識も出てきます。そうしたことを学ぶことを、私は「地域学」と言っています。歴史的なところや自然条件も含めて、きちっと住人が見直し、それを共有化していくことが地域づくりに絶対必要なことだと思っています。どこか巧くいったモデルを真似したら良いとかいうようなことをやっていてもまちづくりは持続できない。しっかりと学ぶ主体がどれだけいるかにその地域の将来がかかっているんじゃないかと思います。


地域も、これまでは、そういう動きをせずに、既存の自治会は単に積み上げ方式で、最終的には市あるいは国に対して陳情要求をまとめていく、という団体だったんです。地域で自律的に「何かやろう」ということはあまり無かった新興住宅地です。西陣や室町などのように歴史的景観の変化がはっきりと見えなくとも、どの地域にも必ず地域が形成されてきた歴史があります。それを住民が主体的に学ぶことによって、地域の歴史的変化を知り、共有化することができると思うのです。


—確かにまちづくりが前例主義的になっているという話は耳にします。では、市や国に対する地域からの陳情要求しかないことはどのような点で問題なのでしょうか?


ひとつ例をお話しましょう。高山の旧市街地から一番離れたところ、車で1時間半ぐらい行ったところに高根村という村があるんです。野麦峠のあるところ、御嶽と乗鞍岳のちょうど間ぐらいにあるところです。かなり標高が高いところで、合併後4年間で人口が3割減っちゃったんですよ。かつては複数の市町村が合併前にあり、合併によってそれが1つの市になった。それで地域はどうなるか? ということなんです。税収は合併したからといってすぐ変わるもんじゃないんですが、実は人口が大きくなればなるほど地方交付税の一人当たり単価が下がっていくんです。そのとき人口の小さい地域が多く並んでいると、ものすごく「無駄」に見える。要するに財務省は財政不況のなかで地方交付税を圧縮したかったんです。


けれども、翌年から合併して、すぐに交付金を大幅削減したらとんでもないことが起こるでしょう。そこで「合併特例」が出てきます。「合併特例債」という特別の借金を「平成の大合併」では認めていて、その内7割を国が後から面倒みますよと言っている。つまり地方交付税の中に初めから借金返しの部分を含み込むわけです。その内の返済の7割は自分たちで返さなくてもいい。けれどもこれは自由にならないお金なんです。合併に必要な経費、あるいは、例えば役所の名前を変えるとか、封筒を刷りかえるといった必要経費なんです。だから使えない。合併前には複数の市町村があり、過疎地域では町の1年間の経済的な富の生産に占める町村役場の財政支出の比率が4割を超えるところも多かった。この数字が大きいほど、その地域経済は役場経済に依存しているということを意味します。役場は公共事業を発注しますよね。多くの場合地元建設業や、冬場になると除雪の仕事です。また、支払われた給与で職員たちは地域の小売店でものを買う。こういう循環がそれぞれの町や村にあった。でも合併したら中心部にすべての財政が集中しちゃうんです。そして市役所に集中したお金が、交付金の特例が切れて、将来的には合併前の総額よりも激減してしまう。つまり周辺部で役場経済に依存したところほど、心臓から送り出される血、すなわち財政資金が少なくなってしまって、細胞が壊死するように地域経済がぐっと衰退してしまうわけです。人口を支えられなくなる。実際に合併後の追跡調査やった丹後出身の学生がいましたが、周辺部では合併前と比べるとほぼ2倍のスピードで人口減少を引き起こしています。先ほどの高山市の高根村では、それがさらに激しかったことを意味します。


こういうことを無くすためにどうしたらいいか。ひとつ面白い例があります。上越市という新潟県の直江津のあるところの取り組みです。ここは今回の平成の大合併で一番数が多かった14市町村合併なんです。雪がとんでもなく降る、「雪だるま財団」という有名な財団がある安塚区のような地域がある一方で、大潟区という日本海側で全然雪が積もらないところもある。除雪費を計上しても片方は足りなくて、もう片方は必要ないんです。つまり市一本でまとめる必要が無い。むしろまとめないほうがいい。だから各地域で地域自治区というものを設けて、そこに総合事務所を置き、各所2千万円まで自由に裁量できるようにした。


もう一つ、今年度から人口規模によって違うんですけど、500万円から1400万円の幅で地域活動資金というものをつくった。これはソフト事業でもハード事業でもいいから、地域協議会で使い方を決めてください、というお金です。提案するのは地域のNPOやまちづくり団体です。それぞれがプレゼンをして、各地域自治区ごとにおかれた地域協議会の面々がそれを見ながら決める。例えばスクールバスが維持できなくなった、という市が諦めかけてしまったことがあったんですけども、そこは連合体を組んで、スクールバス運営資金をつくろう、というかたちで自己決定できる。しかも、この地域協議会は、なんと公募公選で、住民が選挙で協議員を選ぶ仕組みです。


この地域自治区は最初周辺部の13の旧町村部が最初だったんですけども、一昨年10月から市街地の方に拡張して、15区をさらにつくった。人口20万人で28地域自治区ができたんです。「どういう単位で旧市街地に15地域をつくったんですか」と聞いてみました。「小学校区ぐらいかな?」と思ったら、違っていました。昭和の合併の前の単位でした。それが一番自治会、あるいは活動団体の最もまとまったかたちとして今も残っているんです。


一方で京都は東京都の区と違って区議会が無いわけです。区長も公選で選ばれていない。今、京都市の区で自由に裁量できる予算というのは50万円から100万円ほどしかない。しかも住民には一切提案権はないんです。上越市の28区に対して京都市の区は11しかなく、人口は7倍あるのにね。ともあれ、今や、地方自治体は2004年に地方自治法が改正されたことで、住民の生活により近いところで動こうと思えばできるんです。例えば、合併して新しく政令市になった新潟市と浜松市では区単位に地域自治区や協議会を設けているんです。浜松の方は、スズキ自動車の会長の横ヤリがはいって、この3月末で北部にある旧町村単位の協議会は無くなっちゃうんですけどね。ちなみに浜松は合併して1500平方キロメートル。上に水窪(みさくぼ)や佐久間が入った、とんでもなく広い天竜区という行政区ができたんです。天竜区には三つか四つの町があって、そこに地域協議会がある。旧町村単位で上越市のようなことができる仕組みだったんです。


2年前、本当に酷い話を聞きました。救急車がその天竜の消防署から山の中の熊(くま)という集落に行こうとして迷子になっちゃったんです。元々浜松の市街地で救急隊員だった人が、合併で広域移動になり、慣れない山道を走ったからです。これが災害の問題になるともっと大きいですね。この間、地震災害が続いていますが、中越沖地震(2006年)、能登半島そして宮城・岩手南部地震(2008年)というように、中山間地域が多い。被害が大きかったのは、ほとんど大規模合併地域の周辺なんですよ。するとどこで被害が起きてるのかがまずキャッチできないんです。だから復興にも手間がかかってしまう。役場が無くなるっていうことに伴う地域の持続可能性の危機がこの間広がったわけです。さきほどの階層性で言えば、それぞれの階層ごとの機能に合わせたかたちで、その権限や財源を認めていく。そういう仕組みづくりに切り換えていかなければいけないのではないかと思います。


そうすることで、住民が行政に対して、単なる陳情や要望を出すというレベルにとどまらず、それぞれの地域で行財政を活用しながら、地域の個性に合わせた地域づくりが持続的に展開できるようになると思うのです。