2012.11|「I Love Kyoto Kaikan」運営人河本順子さんインタビュー公開中

3.06.2012

QC3|08 林憲吾「ある町並みを考えることが、よりグローバルな地域に貢献する」




今回お話をうかがった林憲吾さんは、インドネシアはジャカルタを拠点としたメガシティの研究チームで調査を進められている。京都市北部に位置する「総合地球環境学研究所」に在籍される一方、『建築雑誌』では編集委員として「未来のスラム」特集など特集記事の編集にも携わられた。ジャカルタでの研究と聞くと、遠く異国で行われているものという意識を持ってしまいがちではあるが、林さんのねらいは、ある具体的な地域での研究がいかに他の地域で、またよりグローバルなレベルでどのような効果を持ち得るか、という点にある。極端に言えば、このインタビューで語られた内容はそのまま私たちが住む地域へ置き換えて考えることが可能なことでもある。お話をうかがうなかで、現在林さんらが進めるリサーチにおける重要な概念として「町並み」という言葉が挙げられた。保存の対象としてある種見せ物的にとらえられかねないこのアイデアを、地域を把握する一種の武器にしようとするこの試みは、ある規模として見える「地域」をとらえるきっかけを与えてくれると考えている。(2012.02.05、総合地球環境学研究所にて)



1/6 ジャカルタを拠点とする研究について
2/6はこちら
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―林さんが現在ご研究されていることについて、まずご説明していただけますか?


現在はインドネシアのジャカルタの研究していますが、少し遡って話をしますね。僕は修士課程以降、東京大学の藤森(照信)研究室に在籍していたのですが、当時は日本の近代建築について研究しようと思っていました。けれども、研究室でアジア圏の調査をされていた村松伸さんに勧められて、インドネシアの調査に同行したのがインドネシアを研究するきっかけです。最初は、スマトラ島にあるメダンというインドネシアで4番目に大きい都市で調査をしました。そのときは植民地時代の建築を調査していました。オランダの植民地化が、現地の建築(高床式住宅)にどんな影響を与えたかを研究していたんです。この延長でジャカルタでも研究するようになりました。


近代都市遺産資産悉皆調査をもとに作成したジャカルタヘリテイジマップ(表)(東京大学生産技術研究所藤森・村松研究室作成)
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具体的にジャカルタでは、まず近代建築のリスト化を向こうの学生とやりました。近代建築史の分野では藤森さんが近代建築のリスト化をずっと進められていたんですね。町のなかで近代建築がどこにどれくらい残っているかを調べる、その萌芽が70年代にあったわけです。それを村松さんが引き継いで中国で行い、中国から、ベトナム、タイ、インドネシアという流れで東南アジアに広げていきました。僕らの試みは、それをジャカルタでもやろうという応用編です。その成果として「ジャカルタへリテイジマップ」をつくりました。そのとき考えていたことは、地域資源をどう発掘し、まとめて、公開するかということです。


近代都市遺産資産悉皆調査をもとに作成したジャカルタヘリテイジマップ(裏)(東京大学生産技術研究所藤森・村松研究室作成)
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―今お話にあった「ヘリテイジマップ」ではどのような建物の分類をされましたか?


基本的にリストにする条件としては、1960年以前のものです。その年代以前に建てられたものなら全てリストに入れる。2500件くらいデータがあります。で、それをどう評価するかということなんですが、一般的に建築物の評価は建築の専門家が行うことが多いじゃないですか。これは歴史的に価値がある、とか、これは誰々が建てた建築である、とか。でもインドネシアなどの建築史がそれほど根付いていないところでは、現地の学生と一緒に調査をしていても「なんでこれをリスト化するのか意味が分からない」という話になるんです。そのときに建築史としてのロジックでも説明するんですが、彼ら学生もジャカルタの一般の人たちと知識としてはあまり変わらないわけです。そこで彼らにとってどういう価値があるかを考える必要がある。つまり僕ら日本人が向こうへ押し掛けて「これは価値があるんだ!」なんて一方的に言っても、半分植民地主義と同じじゃないかみたいな批判もありえます。じゃあ一般の人にとって建物の価値ってなんだろう、と考えながらつくったのが「ヘリテイジバタフライ」という図です。


遺産資産を評価するクライテリアを示したヘリテイジバタフライ(東京大学生産技術研究所藤森・村松研究室作成)


羽の右側はいわゆる専門家からの評価、左側は一般の人による評価を意味してます。右上から、建築の歴史的評価、建物の状態、そして建物の特殊性が並んでいます。このように専門家的な評価をする一方で、それに対応するかたちで、例えばある建物に人々がたくさん思い出を持っていたり、誰かにインタビューするとある建物のことをよく知っていたり、そうした一般の人の関心を評価します。「人々の記憶に残っているか」や「みんなが大切に使っているか」などを、愛着、記憶、幸福の三つから、定量化できないにしても、評価してみようとつくりました。


―現地では建築史があまり根付いていない、というお話がありましたが、一方現地で建築専門家をめぐる状況はどのようになっていますか?


最近はあまり日本の状況と変わらないですね。いわゆる有名建築家もちらほら名前を聞くようになりましたし、アメリカやヨーロッパに留学して戻ってくるような建築家も増えてきました。MVRDVが向こうで講演して、スーパーカンポン(カンポンは、都市内集落を意味する)という超高密度な居住区の提案をするとか、人や情報もずいぶんとダイレクトに入ってきています。むしろこれからは日本の学生よりも比較的欧米の情報にどんどんアクセスしていくと思いますね。ここ5、6年くらいで状況は随分変わってきました。



―日本ではゼネコンやハウスメーカーといったプレイヤーも存在していますが、ジャカルタではその辺りどうでしょう?


ジャカルタではゼネコンやハウスメーカーといった設計施工を一貫してやる企業というのは少ないと思います。建設事務所というのは聞きますが、建築学生が卒業して入るのは不動産も扱うディベロッパーの方が多いですね。企画と設計が一緒にあって、そこに建設事務所、施工会社がくっついて大きな建物を建てる。大規模開発はそうやって起こります。一般的な住宅の方は工務店というよりももう少しファジーな、極端な話、近所の大工さんのような人たちが請け負っていて、日雇い労働者が手伝うという形になります。



2/6ヘ続く



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プロフィール

林憲吾(はやしけんご)
1980年生。総合地球環境学研究所「メガシティシティが地球環境に及ぼすインパクト」にプロジェクト研究員として所属。インドネシアを中心とした東南ア ジアの近代建築史を研究。2009年東京大学大学院博士課程単位取得満期退学。2009年4月より現職。共著=『千年持続学の構築』『シブヤ遺産』。

三村豊(みむらゆたか)

1981年生。東京大学大学院工学系研究科博士課程。専門は建築史・都市史・地域情報学。建築史を中心としたGIS・画像処理・データベースなどの地域研究に従事。おもにインドネシア・ジャカルタを対象とした時系列の都市情報基盤の構築について研究。共著に「シブヤ遺産」など。