2012.11|「I Love Kyoto Kaikan」運営人河本順子さんインタビュー公開中

1.30.2012

QC3|07 宗田好史「「保存再生」から見える地域、人々の動き」


「保存再生」から見える地域、人々の動き
宗田好史インタビュー


前編はこちら
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後編「不動産としての建築、その裏にある人々の動き」



―ここで問われている、建築あるいはその保存の社会的意義について、もう少しご説明いただけますか?


では新風館*を例にあげてみましょう。高島屋と新風館はどう違うか? 僕は、新風館を設計したNTTファシリティーズさんと一緒に雑誌の特集記事を書いたので詳しく聞きました。改装時に、建築工事費に対して売り場面積がどのくらいとれるかが新風館はまず決定的に不利。そしてその売り場面積に対する「単位面積当りの売上高」にしても圧倒的に高島屋が高い。客の数も断然違う。新風間の中庭は楽しく、建築的にも成功しているのですが、営業的にはかなりのことを犠牲にしている。つまり、新風館は商業テナントビルとして高島屋の効率性とはまったく逆のことをしている。じゃあなんでそんなことをNTT都市開発が許したんだろう?



*新風館(上写真):近代建築のゼツェッションに影響を受けた吉田鉄郎の京都中央電話局をリチャード・ロジャーズとタッグを組んだNTTファシリティーズが保存改修した事例


地価があがるからだと思います。NTTは新風館のとなり巨大な土地建物を持っている。三条通りに面したビルです。NTTという大きな会社の財務状況には所有資産の価値が影響します。グローバル化の中で海外の同業他社と競争しないといけないし、国内もそう。とりわけ競争が激しい通信事業で戦わないといけない。世界には強い通信事業者がいる。携帯電話ではnokiaが大成功したし、今はiPhoneが世界を変えた。本来ならNTT他、日本の通信事業者、携帯電話メーカーがもっと頑張れる分野でしょう。だからNTTは、そのための投資が要る。それもR&D(研究開発)にも多大な資金を必要としています。

その借入には、健全な財務状況が不可欠です。全国の主要都市すべてに膨大な不動産を持っているNTTの資産価値は地価の影響を大きく受けます。地価が上がる限り、投資しやすい。でも下がれば財務体質は悪くなる。そこで売るほうがいいか、持っているほうがいいか? 事業を続けるなら持っていたほうがいい。NTT西日本が持っている土地の中で、どこで地価を上げられるかと言うと、大阪、京都、神戸。田舎の街にある電話局は二束三文にしかならないし、土地も建物も持っていても使い道がない。じゃあ大都市で、その建物を商業ビルとして経営するというリスクを冒してまで出て行くか? リスクを冒さずに財務状況がよくなればいい。都心なら着実に財務状況をよくすれば、それで十分だと思います。

新風館の最初の館長はテナントリーシングで京都にない会社を東京から連れてくるということで成功した人ですが、オープンしてからやったことは、新風館周辺にどれだけお店が増えたかを丁寧に数えていました。新しい店ができる度に「新風館の館長です」と開店祝のお花を届けた。「仲良くしましょう」と。人柄がいい方なのですが、それだけではない。情報交換したいのです。客の入りを聞きたい。営業状態を聞きたい。この間、京都の都心では新規出店の中心が西へと大きく流れていました。その結果、今は地価では烏丸通り沿いが、河原町通り沿いに並ぶように上がってきました。オフィス街烏丸通で、デパートと競っても仕方がない。勝てません。じゃあどうすれば人の流れが変わり、商業立地環境が改善され、地価が上がるかを考えたわけです。リチャード・ロジャーズに依頼して、戦前の古い電話局の建物を保存再生したデザインにしました。僕らが町家再生に対して言っていることと全く同じ。そういう成熟社会に向けた大人のセンス世界がある。なぜロジャーズかというと、彼がヨーロッパで手がけた再生建物はセンスがいいし、一般の人に人気ある商業施設になるからです。

東京の丸の内では三菱地所が一号館をきれいにしましたね。都市はきれいで美しいほうが地価が上がり、会社の経営がうまく行く。都市経営と自分たちのビジネスモデルとがどうあうのかを分かって設計している人たちがいて、それが例えばNTTファシリティーズです。そして三菱地所やNTTはそういうことをわかって建築家を呼ぶ。だからリチャード・ロジャーズに声をかける。彼も母国で慣れているからピンとくる。日本の建築家じゃそうはいかない。高度経済成長期に「これからよくなっていくぞ」という中で建築家と夢を見ましょうという時代と、今のように成長の限界が見えてきて限られたパイをどうしていくかというときに町並み保存、あるいは人口減少の中で都市の経営をどうするかという時代とでは、建築家に求められる社会性が違うのです。



新風館の隣にあるビル


―ヨーロッパでもそうした建築を手がけられる建築家は一部だと思いますが、他の建築家はそのような状況へとどのように関与しているのでしょう?


イタリアには建築家が多い、はいて捨てるほどといいますが、仕事はまずありません。でも保存とか再生という仕事をコツコツやって、生涯にひとつふたつ新しい仕事をして生きている。僕の友人のローマの建築家は小さなお店やってる人の帳簿をつけてあげていますよ。パソコンを持ち込んで青色申告のお手伝いをしてる。靴屋だったか服屋だったかの財務状況を見てあげているんです。どの国でも、建築家は器用で賢い人が多いから、税理士のようなこともできる人がいるわけですね。なぜそんなことしているかというと、財務状況がよくなれば仕事を出してくれるから。あるいは自分が改修した店の帳簿を見ないと、その改修がよかったか悪かったかが分からないから。そこまで面倒みてくれたら、店主はその建築家を離さない。建築家は変えられるけど、税理士は変えたくないからね。

そのくらい面倒見ながら、その立場に立って、「じゃあどういう店にしましょうか」と言えたり、あるいは次の店を開けるところまできたら大したものです。そうしたら堂々と「これくらいの金を建築に使え」と言える。でもこういうことをしている人はやはり少ない。それはある意味で致命的かもしれない。店主にとっては、お店をつくりかえる、改装するということが一番大きな投資です。どの国でも、建築投資はすごく大きい。我々にとっても、住宅ローンはすごく重い。起業する若手は、まず、店を借りて始めますが、家賃と改装に費用をかけ過ぎて躓く人も多いのです。

街中で消える店はバブル期の地価が高いときに店を買った人です。資金計画が甘かったけど、そもそも地価が高すぎた。もともと町家再生店舗が広がってきたのは、路地裏の長屋。そんなとこで商売をはじめる人たちがポツポツでてきたのは家賃が安かったからです。お兄ちゃんが小さな商売はじめようと思うと、最初に「新規開業貸付」を国民生活金融公庫から借り、用意できる額はおおよそ400万程度。そうすると最初に、店を探す。家主にとっては店舗に貸すのはリスクが大きいから、とりあえず先に一年分収めて下さい、ということで商売の場合は権利金として10ヶ月分以上を最初に入れます。韓国だと最初に10年分という例もあるそうですね。大阪もそれに近いです。権利金に400万のうち200万を当てようと思うと、月20万が限界。店舗に使う面積を5坪から10坪と考えると、坪3万とか4万でしょうか。ビルだと一坪10万を超える物件がほとんどですが、長屋だと坪1万とか1万5千円でいいというところがある。そこで5坪くらい。すると家賃は5万7万で済みます。権利金も80万で収まりますね。でもどうしても汚い。ならば友達を呼んで内装を50万くらいでおさえたい。あとは食器に凝ったり美味しい酒を集めたりする。そういう形で、イニシャルコストをぐっと押さえながら個性的な店ができてきたわけです。

これが下手な建築家や下手なコーディネーター、マーケッターに頼んでみたらひどいことになりますよ。すぐに「1000万は必要ですね」なんてことを言ってしまう。でもそのリスクは誰が持つのでしょう? 彼らが言うようにできる人なんて、すでに成功している人たちです。バイト上がりのお兄ちゃんには無理です。でも、元気なお兄ちゃんが個性的な店をやってくれないと街は面白くならない。そのためには長屋がいる。だからジェーン・ジェイコブスは昔『アメリカ大都市の死と生』の中で「都市にはどうして古い建築や小ブロック、路地が要るか? それは小さな商売人が入るためであり、移民の家族が入るためです」ということを書いている。実は彼らの多様な暮らし方がNYのパワーや経済を支えている、ということを指摘したわけです。彼女の主張の大切な点です。


―では、京都という地域が今後とるべき方針についてどのようなお考えをお持ちですか?


60年代70年代、万博を前後にして世の中にものすごい影響を与えていた梅棹忠夫先生の京都論をこの前もう一度読んでみましたが、時代の流れを感じました。当時はエネルギー溢れる時代だったのです。先生は実際に当時の都市計画に大きな影響を与えています。現在、彼に匹敵するようなオピニオンリーダーはいません。でも当時想定していた、京都高速をつくり、京都駅ビルをつくるような、80年代の終わりからの京都開発論はもうなくなりました。北大路ビブレ、醍醐の開発、二条の開発などなど、五大開発事業というものがあったのですが、それも終り、京都市は高速道路なども見直しています。お金も必然性もなくなったのです。それに、一部の市民からコテンパンに言われてしまった。戦後の開発主義的な京都の像は現在完全に影を潜めました。もちろん、一部の人々はいまでも実現を主張していますが。70年代当時に考えられた京都の再生、京都開発、つまり高度経済成長当時の開発の夢というのはもうない。誰も信じていない。だから今「京都創生」といって、まず歴史的景観を守り美しい京都を創りましょう、そこに伝統を受け継ぐ新しい文化を生む文化政策を深めましょう、それが京都の観光を質的に高めていくという考え方です。

そしてその「京都創生」の考え方をベースに、京都市の基本計画が策定されました。僕は起草委員長を務めたので皆さんの議論をまとめて6つ未来像に示しました。景観政策はある程度できたから、次に文化創造を目指そうという話をしています。歴史的景観を上手に活用していくことは経済発展の一つのモデルです。京都のモデルは東京型ではない。つまり、アメリカのグローバルシティ型でなく、ヨーロッパのリージョナルシティ、つまり小さな国の首都ではあるがEU全体では地方都市というタイプです。だから、ビジネスセンターを入れるような大きいビルはそういりません。古い建物を美しく維持して、人々の創造性を刺激する場とします。金融経済の中心ではないが、文化経済の拠点として生産性の高いビジネスモデルをつくろうと言っています。ニューヨークではなく、パリになりたい、あるいはフィレンツェになりたいという方向性です。

では、パリとフィレンツェなどの都市では発展の鍵をどう考えているのでしょう? いろんな見方がありますが、僕の場合はアートだと思います。例えばパリに観光客がくる、そのとき買うのはまず絵はがきやエッフェル塔のミニチュア、その後、ファッションに移ります。そこでブランドものが人気になる。それが、行き着くところはアートでしょう。ブランド品は日本のアウトレットモールでも買えますが、小さな店を回りながらお洒落な品々、やがて画廊に寄って少し高いけれど手頃なアート作品を買うようになっています。アートを都市経営から見ると、そのお店の総資本経常利益率はかなり高いのです。売上高純利益率も高い。アーティストにとっても作品の原材料費はいくらでしょう? 場合によってはその額を100倍以上にして売ることだってできるのです。対照的に一番低いのはコンビニのような商売で、極端に言えば100円で仕入れたおにぎりを105円で売っています。その5円で光熱費や人件費ほか全てのコストを出すわけだから、コストを削りつつたくさん売らないといけない。そう考えると、美術くらいその売り上げ純利益率を高くできるものはないのです。もちろん、アーティストはそんなことはまったく考えないでしょう。でもそれを考える経営者はいるでしょうね。


―ただ、そうした状況を政策という形でコントロールすることは可能でしょうか?


難しいのです。ただ文化政策をとっても、「ヨーロッパにこういう考えがある。こういう事例があるんです」と表面的にさらって紹介するだけではそれでおしまいになってしまう。そもそも文化政策論というのは、バブル崩壊で自治体の予算がきびしくなり、文化政策の予算が削られましたという背景のなかで、それに対する巻き返しとして文化に予算つけないとダメですよという、役人が御用学者を巻き込んで予算の取り合いをしているような面がある。まだ余裕のある自治体が、文化にお金を出しているのを他の自治体が羨ましく思っているという状況なのです。制度をつくれば予算が付きやすいというだけで、具体的な文化政策の進め方はあまり考えていません。アートカウンシル制度をつくって民間や市民の代表に任せようというところまでです。でも、アーティストが集まる、素人の市民が意見を言ったからといって、優れたアーティストが育つはずもないでしょう。

一方で望ましいあり方をしている都市では、アーティストとちゃんと対話をしています。アーティストと一緒に文化を育ててきた。「文化政策」なんていう名前は、その状況を見て本を書いたり論文を書いたりする仕事をしている人たちが後からつけただけです。そう考えると、僕らとしてはヨーロッパでの考え方を表面的に紹介するんじゃなくて、望ましいやり方を日本で応用したい。そのためには治療法を知っていればいいだけじゃなくて、診察しないといけない。だから調査をする。そこではじめて習ってきたことをどうやって適応するかが分かります。理論だけならば本を書けば済む。でも僕らは工学屋だから自分で応用したくなるのです。応用してダメだったものは自分が学んでなかったのだと思う。ならばもう一回戻ってそこを学ぶ。だからアートはこれからだと思うけど、難しいと思うけど、やれなくはないでしょう。

そして政策というのはその「応用する」ということだと思います。何を具体的にするのか、ということです。だから美術館をつくり、展覧会を支援するなんていう単純なことじゃない。京都そのものが文化なのだから、それをどう見るかです。砂漠に文化を起こすわけじゃないから、京都をどう理解するかです。例えば町家もそう。京都全市で4万7千件、数だったらヨーロッパに負けないけど、町家はアートの器、インキュベータです。優れた美術品をもっているお宅が多いし、今それを見せはじめた人たちがいます。ただ、町家が高層ビルの間に埋没しているから力を発揮しない。そういう意味では60年代にできた現在の都市計画法とその制度が京都にはあまりよくなかったということです。それが建築をちぐはぐにした。町並みを建築的に整理してあげれば、美しい町並みができるはずです。文化遺産も美しく生きるのです。そしてその建築を調整するのが都市計画であり、実際に美しい町並みをつくるのは建築家なのです。


―都市計画という立場からそのような状況をどうご覧になられていますか?


もちろんこれは僕の論ですが、都市計画家としての立場から言うと、アーティストたちを大事にしてパリもフィレンツェも頑張っていると思います。こういう人たちがいよいよ登場できるところまでくると都市の経済は大分楽になるな、と。少なくとも観光は楽です。百貨店の大売り出しとか清水寺のご開帳と違って、ルーブル美術館や町中の画廊でコンスタントに企画展が開かれていて、ベネチア・ビエンナーレではないですが世界中から作家がわざわざ作品を持ってきてくれる。それは強い。京都の街がこれだけきれいになったのだったら、もうすぐできるような気がします。そういう点でアートには可能性があると思っています。ジェーン・ジェイコブスが言うように、アーティストは古い街に住み着くものです。

そもそも京都の町家を最初に見つけたのはアーティストだったのです。僕らより早かったですよ。18年も前ですが、西陣に住み着いた陶芸家の若い女性をよく思い出します。一人で住み着いた横浜の子でした。そのときに気づいたのだけど、この汚い町家を見たときにこれが奇麗になるということを彼女はイメージできたのだろう、陶芸家にはそういう能力があるのだろう、と。ミケランジェロが大理石の山を見て「この中でダビデが生まれたいと言っている。自分はそれを助けてあげる」ということを言ったように、陶芸家は土から奇麗な作品をつくるのだ、と。これは僕にはない才能だなと感動しました。だからアーティストはNYのグリニッジビレッジに住み着く、ロンドンのSOHOに住み着く。そういうことが町家でも起こったわけです。これは京都の街が持っているすごい治癒力なのだと思ったのです。

考えてみれば、建築家と建築はまた別物で、そこに町家や町並みがある限りいろんな人たちがそれを見ています。つまり建築家だけが建築を見ているだけじゃない。そもそも建築学科を出ていようが、美大で陶芸をやっていようが、教育が違うだけであって両方とも建築家なんじゃないかと思いませんか? ベースにあるのは美意識です。都市を美しくしようというときに、建築教育が本当に役に立つかどうかは分からない。少なくともさっきのケースでは陶芸家の方がよっぽど建築を理解しているかもしれないと思うのです。もちろんその人に設計を任せようとは思いませんが。でもその瞬間に求められる建築の美への理解力は圧倒的に彼女の方が高かった。そうであれば、建築家だけが建築を分かるなんて定義する必要はまったくない。建築基準法の知識は都市にとって常に必要とされるものじゃない。「これは二項道路に面していません」とか「耐震性を満たしていません」とか、もちろんとても大事なことだけど、それが逆に想像力を潰してしまうことだってあると思うのです。(了)





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プロフィール

宗田 好史
むねたよしふみ
1956年浜松市生。法政大学工学部建築学科卒業、同大学院を経て、イタリア、ピサ大学・ローマ大学大学院にて都市・地域計画学専攻、歴史的都市保存計画、景観計画の研究。歴史都市再生政策の研究で、工学博士(京都大学)。国際連合職員を経て、1993年より京都府立大学准教授。国際記念物遺産会議理事、京都市景観審査会委員、京都市歴史風致まちづくり推進協議会委員、他。東京文化財研究所客員研究員、国立民族学博物館共同研究員などを歴任。主な著書に、『地域共生のまちづくり』(共著、学芸出版社、1998年)、『まちづくりの科学』(共著、鹿島出版会、1999年9月)、『中心市街地の創造力-暮らしの変化をとらえた再生への道』(学芸出版社、2007年)、『町家再生の論理-創造的まちづくりへの方途』(学芸出版社、2009年)、など多数。