2012.11|「I Love Kyoto Kaikan」運営人河本順子さんインタビュー公開中

6.12.2012

QC3|09 ナデガタ・インスタント・パーティー 「「地域活性化」の論理といかに距離を取り、出来事を作品としてどう残すか」



2/4 <地域のなかへどのような「口実」をいかに導入するか?>
3/4 <「地域活性化」の論理といかに距離を取るか?> はこちら
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《Instant Scramble Gypsy》2011, 月見の里学遊館(静岡)
「どまんなかセンター」での風景
 ©Nadegata Instant Party


―これまでの他のプロジェクトでも終わった後のつながりの継続はありますか?


山城:コミュニティの継続はほとんどあります。最初の阿佐ヶ谷のプロジェクトの際に高校生だったの子が大学を卒業して社会人になって手伝いにきてくれたり。ただ、それ自体が作品のコアではないし、コミュニティをつくったり人との出会いがすばらしい、ということを言いたいわけでもない。そういうことが付随していることも確かだけど、僕らとしてはそんなに重要視しているわけじゃないですね。


―また異なるコミュニティでの取り組みとして、昨日行なわれた「全児童自動館※」はどのような経緯ではじまったのですか?


※中高生の居場所づくり事業「なかなかTIME」を実施する練馬区立中村児童館を舞台とし、児童館にアーティストを招聘するプログラム「アーティスト・イン・児童館2011」の一環として実施された。「ドキュメンタリー映画」をキーワードに、児童館に集う中高生のみらなず職員や近隣住民を巻き込み「文化祭」を立ち上げるというプロジェクト。2012年3月17日には一日限りの文化祭として、小中高生による模擬店、ライブ、パフォーマンス、また中高生による「文化祭」制作を追った映画上映が行われ、「ドキュメンタリー映画」のラストシーンが撮影された。【http://zenjido.jidokan.net/


山城:僕らの作品を見てくれていた「アーティスト・イン・児童館」代表の臼井隆志さんから「児童館でそこに集う中高生と一緒に何かプロジェクトをやってください」という提案をもらってはじまりました。通いはじめたそばから彼らとコミュニケーションがとれるわけもなく、自分たちが誰かを説明するのも難しいから一緒にサッカーするくらいしかできなくて、アクションをほとんど起こさずに通い続けるというのが最初の一年。次年度に何をするかということを提案しないといけなかったので、その時は児童館という場所でイベントをして、ちゃんとお客さんからお金をとるものを提案したんです。ただその時点では中高生は誰もやりたいと言っていないし、僕らが発案したからといって「やります!」という感じにはならなかった。「勝手に何してんの?」という感じ。そのときのミーティングには来てくれていたけど、信頼関係があったわけではなかったですね。その後地震があって3、4ヶ月くらい止まり、夏前くらいから再開を始め、そこで一旦プランが白紙になって、11月くらいにドキュメンタリー映画にしよう、と決まったんです。カメラに写ってしまったらその一員にさせられていくという。ただ僕らとしても中高生が本気でつくろうとした世界をつくろうとしたんですが、もう一層それを使った作品があるという点を彼らに伝えるのが難しかった。


―入れ子構造をとっているわけですね?


山城:まず「全児童自動館」という文化祭をつくる、という設定があり、その中には僕らも入っています。中高生はその枠のなかでしかやっていないわけですが、その枠のなかの一人としてもやってる僕らは、あるときはその枠からはみ出て彼らに話をするから、彼らからしたら「もうひとつ枠がある」ということがよく分からなかったんじゃないかと思います。


《全児童自動館》2012, アーティスト・イン・児童館、中村児童館(東京)
当日の様子
 ©Nadegata Instant Party


―素朴な疑問ですが、なぜそうした入れ子構造を意識的につくられているのでしょうか?


中崎:作品は、「全児童自動館」という文化祭本番のためにつくった映像の続きがいまこの現実で起こっていて、その中に自分たちも入ってしまう、というすごくベタな形をとっています。要は絵画を見ているときにその描かれている風景の中に見ている側が入って行くということと同じで、それはひとつの憧れだし、ひとつの面白さだと思います。それは見る/見られるの関係に似ていて、「映画の続きがここにある」ということが認識可能なものにできたら、それは一つの作品として成立するだろう、ということを考えていました。


―僕らの方の経験と、中高生の経験とが複数化しているということでしょうか?


山城:そこは複数化していいんです。いくつもレイヤーがあるなかでどれかが正解というわけではありません。僕らは何レイヤーも分かれて行くように設計しているんですが、今回の場合はアートなんて微塵も思ってない中高生と、「アート」なんて言葉一回も聞いたことのない小学生しかいないんです。


《全児童自動館》準備の様子
 ©Nadegata Instant Party


―設定を仕掛ける側としてそのレイヤーの切断面をどう見ているのでしょうか?

中崎:レイヤーとは言え言葉通りではないんです。これを文化祭として見ている層と、文化祭というフレームというそれ自体をひとつ上から見ている層があったとしたら、意外と小学生低学年の子たちなんかは想像以上にヘンな場所にいて、高校生たちの映画の中で設定としてあったタイムスリップをいまここでも信じてしまっていたりする。その映画も引いた目線で見ないと面白くないようなかたちにしていたけど、実は彼らの方が逆にすんなり入ってしまうという状況が起こっていて、思ってる以上にねじれたところでつながってる気がするんですね。半分そうなってほしいなと思っていたのですが。


―最終的な記録、またその作品としてはどのようなものをお考えですか?


山城:全児童自動館では、客観視カメラ、全児童自動館のドキュメンタリーをつくってるアーティスト役としての僕のカメラ、僕らがつくってるドキュメンタリーの中で映画をつくってる高校生グループのカメラの三つの視点がありました。ただアウトプットをどれにするかを決めてないから、とりあえず撮っておかないとということで撮っていました。それをどう使うかは会期中も決まってなかったですし、まだ決まってないんです。

中崎:選択肢はいくつかあって、中高生に見せるためのものとして山城が撮った映像の続きをつくるというのがひとつあり得ます。でもそれを僕らの作品として見せるべきか否かはまだ分かりません。もう一台の山城が撮っているということも記録しているカメラの映像を続きとして見せる可能性とか、あるいはどれも発表しないという可能性もある中で、保留しながらここまでやってきました。


―今回のようにある場所や人の集まりに関わっていく時に、ナデガタは「設定」や「口実」をつくる人としての役割を担っていると感じられますが、実際にはどのような存在としてそこへ関わっていっているのでしょうか?


山城:本当は僕らが口実としているものなんて目的じゃないんですが、最初にそれは言わない。青森で24時間テレビ【註:2010年「24 OUR TELEVISION」】をやった時も、別に本気でハイクオリティなテレビ番組をみんなでつくろうと思ってるわけではないんですが、関わってくれる人たちが手を抜いてしまうとそれ以下のものにしかならないから、みんなに頑張ってもらうために言っています。本当の目的はプロジェクトの中で気付いていく。でもそれは終わった後じゃないと話せなかったりするんですよね。


《24 OUR TELEVISION》2010, アーティスト・イン・レジデンス2010
「反応連鎖」青森公立大学 国際芸術センター青森(青森)
 ©Nadegata Instant Party


中崎:昨日の状況は面白かった。本番終わってからのトークの時は外側のお客さんからすれば動物園の檻の中を外から見ているような状況だったと思うんですね。トーク自体も僕らと中高生が話してる状態をもう一層外側からお客さんが見ているという構図があった。山城が「これ以上話せない」という制約があることも込みでのショーがあった、というか。



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プロフィール
Nadegata Instant Party(中崎透+山城大督+野田智子)
中崎透、山城大督、野田智子の3名で構成される「本末転倒型オフビートユニット」。2006年より活動を開始。地域コミュニティにコミットし、その場所において最適な「口実」を立ち上げることから作品制作を始める。インスタレーション、イベントなどに様々な人々を巻き込み、「口実」によって「現実」が変わっていくプロセスを作品として展開する。代表作に《Riversible Collection》2009年(水戸芸術館現代美術センター)、《24 OUR TELEVISION》2010年( 青森公立大学 国際芸術センター青森)、《Yellow Cake Street》2011年(Perth Institute of Contemporary Arts)がある。今後の予定として「開港都市にいがた 水と土の芸術祭2012」(新潟市内全域)、「街じゅうアートin北九州2012 ART FOR SHARE」(北九州市内)、「MOTアニュアル2012」(東京都現代美術館)への参加を予定している。