2012.11|「I Love Kyoto Kaikan」運営人河本順子さんインタビュー公開中

6.12.2012

QC3|09 ナデガタ・インスタント・パーティー 「「地域活性化」の論理といかに距離を取り、出来事を作品としてどう残すか」



4/4 <「作品」として何を残すのか?>
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映画「学芸員Aの最後の仕事」
©Nadegata Instant Party


―そこでどのようなアウトプットを出すのかは今回の全児童自動館のみならず常につきまとう問題としてあるのではないでしょうか?


山城:例えば、僕らは自分たちのプロジェクトの記録映像を最初から最初まで撮っているんですが、それをDVD化して売るとなるとそれが「作品」になってしまう。でも僕らはむしろその記録はあくまでも断片である、ということを言いたいんですよね。

中崎:でも大昔からそうした議論はあって、例えばスミッソンやクリストもそうですが、ドローイングから写真まで全部断片としてそれぞれバラ売りする、という方法は行われてきました。ただ日本にそういうマーケットが無いということがあり、もう一歩進んだ時に見せ方と流通のさせ方が発明できていないんですよね。

山城:それは僕らの問題だけじゃなくて美術自体がそれを発明できていなくて、だからこそ美術が分からないと言われてしまうきっかけにもなっているのだと思います。ある時代までは展覧会で飾られているものを「これが作品です」と言えた。その外には何も無くて、ここに描かれている風景が作品です、と。それがある時代を越えると、「これは作品なんだけど、ある作品の一部が残ったものなんです」という時に「一部ってどういうこと?」という疑問が出てくる。ちゃんとストーリーが分からないとその作品が分からないのにクリストのドローイングを見せられたって、別の絵との差が分からない。それが僕らになるとその残し方も断片ではなくて、現場自体を体験してもらうということ行っている。だから展覧会が一ヶ月半あるとしたら、その一ヶ月半ずっと体験できるような場所にする、とか、展覧会場自体を現場にする、というところで何とか展覧会というシステムとマッチしているけど、その展覧会が終わった後にどうやって残るのかというとほとんど残っていない。カタログみたいなものを展覧会企画者がつくってくれるけど、それは残ったことになっていない。残し方をどのようにしたらいいのかなと思っています。

中崎:残すことは重要なことだ、という理解は僕らに共通していることだと思います。ただそのとき、僕なら絵画から、山城ならば映像や写真から入って行くわけですが、ある風景があってそれを描いたらそれは残ったものだ、ということ自体を疑っているんですよね。つまりそれを描いている時間がそこに堆積している、というルールそのものがうさんくさいわけです。映像や写真にしてもそう。それを撮ったという行為がそれを残したということになるけれど、その時間を立証する窓がそこにしか無いというルール自体を疑っていて、もっとそこに近づけるルールを定着する方法があるんじゃないか? ということは共通しているんです。つまりそれを探っているというか。

つまり僕らは過去に起こったことが定着されたメディアを見て、当座それしか手がかりが無いからそれを見るけど、実際のその時間は全然違うものだったんだろうなと想像していて、もっとそれに近づきたいなと思っている。その時間自体は特別な時間じゃなくてもいいのかもしれないですけど。何かがあったということを定着することだけじゃなくて、今日ここでこの面子でご飯を食べて話していた、ということ自体、明日立証することがすごく難しいわけです。もちろんボイスレコーダーに残っている、写真に残っている、でもどのくらいのタイミングで誰が何を飲んでいたか、隣の人がどういうことを話していたかということを次の瞬間には僕らは立証できないし、そのデータが丁寧に全部残っていたからと言って、それが全部残っていたと言えるのかは分からない。

もしかしたらよくわからない三行程度の言葉の方が的を得ちゃうこともあるかもしれない。起こったことと残ることは両方あってはじめて存在するんじゃないか、そのどちらかだけじゃダメだという気がしています。起こったことはすごく大事だけど、定着したものしか存在しないということは理解できない。


―建築でもいわゆる建物をつくるのではなく、コミュニティーの中に入っていく活動はだんだん多く聞くようになってきていますが、入って何をなし、何を残し、それをどう伝えて行くのかは大きな課題としてあるのではと感じています。ナデガタの今後の展開、展望についておうかがいできますでしょうか?


山城:とある建築の人と話していて、抱えている問題が一緒だというのは実感しましたね。今後の展開としては、もっと分からなくしたいというのと、画一化した人生をつくりたいという矛盾した欲望があります。それが複雑なんだけれど成立しちゃうような状況をつくりたいですね。

野田:私はこういうタイプの作品自体がどういう風にアーカイブされマーケットに乗っていくかが気になりますし、課題です。日本ではほとんどありませんが。美術館がそれにどうお金を払えるかを問うていかないといけないですね。美術館はいわば残す場所ですから、美術館に収蔵して残したい。残らないものをつくっているからこそ残したいですね。

山城:自分の欲望としては、人類がまだ発見していない感動を見つけたい。この時代の中こその感動をギリギリ共有できるようになりたい。ナデガタではそれができると思っています。

中崎:何にも無い状況でも感動する身体をつくり、それを伝える色眼鏡をこちらが用意することはできるかなと思います。青春映画を見ていると、大人が自分の青春を描くことからはじまっていて、おじさんの妄想と俳優の体が重なる仕組みがあるんですが、今回もそう。もうちょっとそっちよりの状況に観客を引き込みたいなと思います。その渦中に入ることのリスキーな感じをとって、安全圏から見ていることの嫌な感じを見せたい。つまり安心できるものをつくることを疑いたいと思っています。(了)



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プロフィール
Nadegata Instant Party(中崎透+山城大督+野田智子)
中崎透、山城大督、野田智子の3名で構成される「本末転倒型オフビートユニット」。2006年より活動を開始。地域コミュニティにコミットし、その場所において最適な「口実」を立ち上げることから作品制作を始める。インスタレーション、イベントなどに様々な人々を巻き込み、「口実」によって「現実」が変わっていくプロセスを作品として展開する。代表作に《Riversible Collection》2009年(水戸芸術館現代美術センター)、《24 OUR TELEVISION》2010年( 青森公立大学 国際芸術センター青森)、《Yellow Cake Street》2011年(Perth Institute of Contemporary Arts)がある。今後の予定として「開港都市にいがた 水と土の芸術祭2012」(新潟市内全域)、「街じゅうアートin北九州2012 ART FOR SHARE」(北九州市内)、「MOTアニュアル2012」(東京都現代美術館)への参加を予定している。