2012.11|「I Love Kyoto Kaikan」運営人河本順子さんインタビュー公開中

4.12.2012

QC3|特2 座談会「都市とスラム」



5/5 座談会その3
1/5 キーノートその1 はこちら3/5 座談会その1 はこちら
--




<日本はめちゃくちゃな都市だけど、なんとかなってきた>


日埜
-
ただ、日本からでも世界銀行がやるような形式的スラム改善に対するオルタナティヴを出せるんじゃないかと思うんですよ。もうちょっとめちゃくちゃな帳尻合わせでもなんとかなっちゃったよ、っていうことは結構有意義だと思う。


榊原
-
それは日埜さんが監修されている『Struggling Cities』という展覧会でも目指されていることですよね?


日埜
-
その展覧会は海外だけ巡回しているのでご覧いただけないのが残念ですが、結局東京ってエキゾティックな街というイメージが一人歩きしていてみんな知らないですよね。というか、東京在住のヒトもあんまり知らない。自分が住んでるところと、働いているところ、それから自分が遊んでるところくらいしか知らない。その展覧会では、まず知らないところも含めて東京を見せるプレゼンテーションをしました。

例えば、おおよそ80年前くらいの都市構造がそのまま今でも生きているエリアがあり、他方でつい20年くらい前に宅地開発されたエリアがある。どちらがいいかというと、80年前のほうが良いんです。物理的なインフラが良い/悪いで地区環境が変わるというよりも、ある種のエコロジーがそこで成立しているかということのほうが重要に思える。今言っているその80年前の都市構造が持続しているエリアってのは宅地なのですが、例えば車庫のつくりようがないほど狭いんですよ。その街ができたときに普通の人が車を所有するなんて考えもしなかったから。道路も車が入れないことはないけど狭い。そうするとお母さんは自転車で買い物をしないといけない。そこで商店街が必要となる。そしてそういう需要に応えていきいきとした商店街があり、そこで商売する人がいるからそこには昼間でも歩く人がいる。それはパッケージとしてよくできているわけです。

お金の循環、人間の循環、ものの循環、が成立し、互いに互いの生存の基盤を提供している。それは一種のエコロジーみたいなもんです。他方で20年くらい前の住宅地は当然のように駐車場をむりやり狭い敷地につくり、住みやすいとはいえないような住環境になる。お父さんは会社まで1時間半通勤して、お母さんは軽自動車で遠くに買い物に行く。すると日中地域ですれ違う人が誰もいないわけですよ。こうなると地域のエコロジーとは切れていて、離れているお店なり職場と結びついてるけど、その地域とは結びついていない。結果として住む、寝るという機能しか持っていない住宅地は住みやすい環境とは言えない状態になるし、ある種貧しいとも言える。エコロジーというのは結局ライフスタイルのようなソフトと都市施設のようなハードが両面相まって形成されるもので、それが成熟をしている場所は好ましく見える。東京の教訓というのはそうした「成熟」にあるかもしれない。


榊原
-
今日のお話ではマクロの問題にミクロの処方で対処できるのか? ということが重要な問題提起としてありました。これまで「都市を計画する」ということはなされてきましたが、それ以外に都市というマクロへと接近する道が見えづらいように思います。そこで能動的にアクションを起こせるような方法へのヒントが生まれると、その問題を考えるためのきっかけになるかなと思うんですが……


日埜
-
いま震災の影響もあり、国土計画についていろいろと語られ、マクロの計画についての話がときどき出ます。そういう話を聞いていて思うのは、かつて60年代に東京が人口を急激に増やしていた時代に計画に携わっていた人たちの、マクロと今言われてるマクロはちょっと違うんじゃないかということです。かつて関わっていた方に話を聞くと、実はほとんど何も根拠になるものはなかったと言う。彼らも本当のところはわからないんだけど「えいや」っと描いて、それを国土計画と言っていた。その意味で都市計画も国土計画もそういう野心的、向こう見ずなものです。もちろん理屈はつけていたけど根拠はそれほどない。つまり、都市計画にはしっかりしたマクロの基盤があって、計画的な分析と手法がある、という現在のぼんやりとした想像は幻想じゃないかと。そもそもマクロの計画は粗さを持っていて、むしろそのなかで現実がつくられ、結果論的に整合するようになっただけだったりするわけです。紙の上の整合性よりも、現実を形成していくシェアされたヴィジョンがはるかに大切です。

スラム人口が8億人だという話を今日しましたがその数字だってすごく荒いものです。可能な限り統計的ベストを尽くそうとはしているが、国によって基準がばらつく事も当然ある。ですがそこをさらに正確にしようとしてもあまり意味はなくて、結局それはそれなりに現実を作っているのだからどう対応するかを考えるべきです。同様にその対応も、あまり生真面目に整合性を考えても意味はなく、粗くても現実的な対応でなければならない。単に受動的に経済発展によりスラムが改善するのを待つというのが都市的なアプローチでないのと同様に、手法の委細にこだわりごちゃごちゃいうばかりでは現実逃避にしかならない。真にラディカルな問題は、都市観を根本的に更新しつつ、ミクロの場で行なわれているマイナーなストラグルへの抑圧を解除して行くことにあるのではないかと思います。


榊原
-
見えなくなる社会問題は都市構造の改変によって対処できる問題なのでしょうか? その中で都市計画の有効性はどこにあるのか? あるいはそれを対処する主体はどのようなものとなるのでしょう?


日埜
-
今の都市計画は近代に生まれたディシプリンです。それは多かれ少なかれ古典的なスラムに対応している。現代的なスラム、あるいは見えなくなったスラムに対してはそれとは別のアプローチが必要でしょう。実際にはそうした芽は常にある。ターナーじゃないけど、その場にいる人が現在抱えている問題に対して一番困っていて、一番なんとかしようと思っているわけだから、そういう人たちが自生的に形成しつつある秩序をどうやってプロフェッショナルとしてオーソライズするかが問題です。そういうボトムアップというかある種のインフォーマルさを受け止める構えが必要だと思います。そのときにミクロの現場に視野が閉じてしまうのではプロフェッショナルがそこにいる意味はない。マクロからミクロに繋いでいく具体的な回路をもつ必要がある。大きなトレンドに逆らう抵抗をするにしても、そこにニッチを形成する意識は必要です。そうした専門性は我々の職能のなかに既に潜んでいるものですから、それを少し違うカタチで再編成し、どのように方向付けるのか考えて行く必要があると思っているわけです。

それは近代という時代と今の時代とを分ける大きな問いでしょう。近代とはつまり制度化の時代です。都市計画も制度だったし、建築も制度と法によって制度化されている。国民国家は国単位でその内側にある種の等質な領域を作ろうとしてきた。でも、当事者たちが相互に良いと判断するなら、そこに専門家はある種の妥当さを裏付ける介入をしながら積極的に受け止めることが出来るはずです。これは道州制の話にも通じるものです。少しスケールを下げると判断も変わって来るだろうし、実験的なこともできるでしょう。そういうインフォーマルな領域、身動きしやすいスケールを見つけていけると思います。(了)



--
プロフィール


日埜直彦:1971年生まれ。建築家。日埜建築設計事務所主宰。都市に関する国際巡回展Struggling Cities展企画。現在世界巡回中。


篠原雅武:1975年生。社会哲学、思想史専攻。2004年京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程単位認定退学。京都大学博士(人間・環境学)。現在、大阪大学大学院国際公共政策研究科特任准教授。著書に、『公共空間の政治理論』(人文書院、2007年)『空間のために』(以文社、2011年)。共訳書に、M・デイヴィス『スラムの惑星:都市貧困のグローバル化』(明石書店、2010年)ほか。


林憲吾:QueryCruise3「タウンとアーキテクト」vol.08参照

島田陽:1972年兵庫県生まれ。建築家。1999年タトアーキテクツ/島田陽建築設計事務所設立