2012.11|「I Love Kyoto Kaikan」運営人河本順子さんインタビュー公開中

4.15.2012

QC3|特2 座談会「都市とスラム」




2/5 キーノートその2
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<スラム改善の実際―まちづくりとの類似点>


John F.C. Turner "HOUSING BY PEOPLE - Towards Autonomy in Building Environments"


日埜直彦:そうした問題意識から、ジョン・ターナーという人が書いた「Housing By People」(1976)という本が広く読まれてきました。この本でターナーは三つのポイントを挙げています。一つ、住民が話し合って何が必要かを決め、本当に必要なものをつくるべきだ。政府が定める制度的な標準設計の無駄を削ぎ落とすべきだというわけです。二つ、その場所の社会組織のなかで実施可能な技術を使うべきだ。新しい技術を持ってきて近代化した住宅をつくるとすぐメンテナンスができなくなります。ある種ヴァナキュラーな技術を許容する事が現実的だというわけです。三つ、立場性を超えた共同をすべきだ。建築家、施工者、住人、そこで働く人、お互いに自身の役割を前提として「ここまでしかしない」とか「住民なので住むだけです」という立場性にこもるのではなくて、互いの領分に手を突っ込んで行く事が必要だ、ということです。


ターナーの言っているポイントは日本で行なわれているいわゆる「まちづくり」にかなり共通しています。住民主体の意思決定、住民が主体的に参加できる方法、住民が立場性を超えて協働すること。ターナーの方針はそういう普遍性があり、実践的で説得力がある。そういうターナーの考えを参考にしながら、「サイト&サービス型」と「オンサイト型」という二つのアプローチが出てきます。ざっくり言うとサイト&サービス型は、行政サイドが敷地は用意します、インフラも骨格は整備します、資材も提供しましょう、しかしできるだけ自分たちでつくってください、というやり方。オンサイト型はスラムが今ある場所で、不法占拠していた住民に土地所有権を与え、既存住居を段々置き換えながら改善しましょう、というやり方。しかし必ずしも広くこのやり方が成功しているわけではありません。サイト&サービス型は参加する住民主体のコミュニティがしっかりまとまらないと進まないものですし、オンサイト型では住民に抜け駆け的に所有権を転売されてしまうと意味を成さない。ターナーが言うようなボトムアップの秩序形成はなかなか難しいのが実情です。物的リソースもファシリテーションする人的リソースも有り余るほどあるわけでなく、膨大なスラム問題に対応することはなかなか難しい。ターナーの指向は現代的なものだと思うけれども、しかしそれが実際に効果を上げているケースはそうたくさんはないという現実は認めざるを得ない。



<スラムの歴史性>

最初に産業革命以後の労働者階級の住宅地の環境悪化、つまり古典的なスラムの問題と、現代のスラムは構造的に異なるという話をしました。それと現在のスラムはどう異なるかもうすこし詳しく見てみましょう。三つぐらいその主だったポイントがあります。


まず第一に、今スラムが大きな課題となっている植民地主義を経験した第三世界において、宗主国がつくった近代的なものに対して伝統的な居住形態が前近代的に見え、これがえてしてスラムと呼ばれているわけです。もちろん一定の密度を越えれば住宅地に例えばインフラがなければ保健衛生上の問題が生じるわけで、その意味で近代化は必要でしょうが、伝統的なものがいきなりスラムと結びつけられるのは必然ではない。文化としての住環境の多様性を制度的にまた一律に近代化しようとする指向からどう救えるかが問題です。


第二に、都市を囲む地方に目を向けてみると、第二次世界大戦前ぐらいから「緑の革命」と称する農業の近代化が行なわれます。農薬と品種改良を積極的にやるわけですが、少ない人数で農産物がより多く取れるようになり、結果として農産物の値段が下がった結果、地方で食えない人たちが出て来て、これが都市への人口移動に繫がるわけです。つまり都市と地方の両面における近代化が引き起こした変容を意識しないと、スラムという目の前の現象に対する対症療法にしかならない。


第三に、グローバル化の問題。たとえばユニクロは衣料品生産をバングラデシュで行っています。バングラデシュは最貧国であり、世界のどの国よりも労働力が安いということが産業誘致の条件になっている。バングラデシュの工賃が上がればバングラディシュで生産する意味がないので、どこか別の国に発注されてしまう。だから工賃は上がらない。有り体に言ってこれは搾取の構図ですが、ぎりぎりでやる他ないので資本蓄積や社会整備する余裕など残らないわけです。グローバル経済の進行により、かつて国内の貧困層に担わせてきた低賃金労働が最貧国に移転した、とも言えるでしょう。そうすると現代の現象としてのグローバル化がスラム問題を構造化している部分もあるわけです。


こうして見ると問題を構成しているさまざまな側面が、帝国主義の歴史から、近代化、グローバル化の歴史とつながっていて、とても深く歴史的に規定された問題なのだということがわかるでしょう。八方ふさがりのようですが、こうした単に建築や都市に関する視野だけでは見えてこない外部要因が都市を規定しているわけです。これら歴史的政治的文脈がマクロ的なスラム問題の条件を規定していて、単にミクロの現場だけではどうにもならないのは当然かもしれません。



 <マクロの問題をミクロの処方で対処できるのか?>

さまざまな側面を見てきましたが、こうしたスラム問題に関するマクロの問題を、いま行なわれているミクロの処方対象で解決できるのか? これはかなり深刻な問題です。スラムクリアランスもターナーが提唱したアプローチも結局は点的な対処、ミクロの解決手段です。散発的な改善はそれ自体としては評価されるべきだろうけど、そのことがマクロ的な問題としてのスラム問題に繫がっていく経路は定かではありません。それどころか問題の構造が変わらないかぎり一つ一つの努力は摩耗してしまうかもしれません。都市を扱うヒトはともかく、建築単体を扱っている意識からは、多数のミクロの試みがいつかマクロに反映するのではないかという淡い希望があるでしょう。でもそれはやはり楽観的すぎるのだと思います。マクロの経済発展が実質的に効いているなかで、ミクロの試みが行き詰まりを見せている、その現実を考えれば、マクロに届くより総合的な都市への構想が求められていると思うわけです。言ってみれば近代建築は社会の近代化というマクロの変動に呼応したマクロの手法の展開の歴史でした。それに匹敵するような何かが必要なのでしょう。


その視野において、あらためて東京は面白いと思っています。東京はメガシティの先駆的例だと先ほど言いましたが、ともあれ東京はスラム問題を乗り越えてきました。経済発展という好条件がそれを可能にしたことは事実でしょうが、それだけではない。どういう過程で都市発展が進み、どういう社会的関係がそこで作用したのか、再検証することから具体的なケース・スタディーをし始めています。日本は都市計画が強くないし、公共セクターが都市形成に果たした役割も強くない。でも単純に民間で各自が思い思いに勝手なことをやってきた結果が現在だというわけでもない。細かくはここでは言いませんが、郊外化が進行するプロセスにおいて、いかなる宅地化が良いのか模索する試みが社会的に少しずつ進行して、現在があります。カオス的でエキゾチックでごちゃごちゃした街、という東京の印象は、それこそ西欧的な都市観からの評価でしょうが、しかしそういう表面的な見方をひっくり返しつつ、東京が体現し成熟させてきたオルタナティブな都市像を抽出できるんじゃないかと思っているわけです。


古典的なスラムに対応した都市像としてシカゴ学派によるダウンタウン/インナースラム/郊外という同心円状の図式があります。これを階層構造に翻案した衛星都市とか副都心とかいうイメージで近代都市の空間的構造はイメージされてきました。90年代くらいにいわゆる郊外論が社会学周辺で盛んに議論されましたが、そこに関わっておられた成田龍一さん【註:歴史学者。専門は日本近現代史、都市社会史】と東京の歴史についてお話させていただいたときに、「同心円状の東京像を越えられない限りなにをやってもあまり意味がない」という意見をいただいたことがあります。その時は意味がよくわからなかったんですが、今こうした問題を考えるようになってその意義がはっきりわかります。近代的な都市像とは異なる現代的な都市のコンセプトをどう具現化するか、そのことは単に都市の理解という事にとどまるものではなく、都市におけるあらゆる実践の前提になります。


東京はきわめて特殊な対象ですが、そこに一定の普遍性が含まれているはずで、そこから現代の都市とはどのような空間であるのかが見えてくるはずです。同様にスラムもきわめて特殊な対象ですが、そこからくみ上げられる問題の普遍性はある。両極端と言っても過言ではないこの二つの間で、あらためて都市において建築に関わり、実践する事の意味、あるいはそのありようを自覚出来るのではないかと思っています。(キーノート了)



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プロフィール
日埜直彦:1971年生まれ。建築家。日埜建築設計事務所主宰。都市に関する国際巡回展Struggling Cities展企画。現在世界巡回中。