2012.11|「I Love Kyoto Kaikan」運営人河本順子さんインタビュー公開中

11.28.2012

QC3|11 河本順子「京都会館建替え問題から見る「京都」」



4/5 <交渉で物事が決まるということと公開で物事を決めていくということとの矛盾>
5/5 <「そんなこといくらしても人のつながりは生まれない」という声> はこちら
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失われるシーン:第二ホール前の壁画


―河本さんのご活動を資金的に支援される方等はいらっしゃいますか?


特にないですね。というか、なるべくそうした負荷のかからない方法でやっています。ただ、資金的な後ろ盾があればあったで、より効果的な方法を考えられるのかもしれませんね。モチベーションとしては、私は建築家でもありませんし、京都会館は今では本当に好きで残って欲しいと思いますが、お互いの関係性の中で見えてきた問題が大きいことに気がついたので、それをどうしたら解決できるかを考えたいということにあります。


―市民運動には、デモや署名のような動員を重視するやり方と、例えば議員さんへの働きかけのように交渉を重視するやり方との二種類があると思いますが、河本さんはそうした「手法」についてどのようにお考えでしょうか?


まず、今言われたどちらも大切な活動だと思います。次に、誰かと会って話をするという場合、これは一人ではできません。私はそんなツテもコネもないのです。だから、そういう場合は必ずどなたかとの連携や助けがないと実現しません。ある方と話をしたいと思った場合、その方を紹介してくださりそうな方にダメモトでお願いしてみます。うまくいくときもあるし、行かないときもあります。たまに直談判などもありますが……

ただ、こうした水面下の動きは必要なことだと思うのですが、その交渉で物事が決まるとなると、私たちがやっている民主主義的なというか、公開で物事を決めていくということと矛盾してしまうのではないかと、そのジレンマが気になっています。

実際に京都市の手法で痛感するのは、いつもそうやって「内々で」決められているのでは、ということです。京都会館問題についてだけかもしれませんが。たとえば、議会はほとんど機能していません。先述のように委員会も機能していない。先日一年生議員さんに面談の際にお聞きしたお話ですが、一生懸命勉強して、一日中拘束され、議会で意見を述べても最初に決めた予算が一円も変わらずに通ってしまうとのことでした。京都市の中で議会にしても委員会にしても、結局形だけで機能していないなと思いました。職員さん自体も決まった時点でそれを主張する側じゃなくて遂行する側ですから、変えられない。じゃあ何が機能しているのかが分からないのです。

なんとなく話やすいということで決められていることは案外あるのだろうなと思います。でもそういう形ではなくて、私たちが要望書で公開して、こういう問題があるということを市が受けて公開で返答してくれるような、誰でもアクセスできる民主的な手続きで物事が決まってほしいと思います。かといって、形式的に署名を出して、それだけで決まるものではありません。人と会ってお話をする、ということが大事であり、それが誰でも見えるようになり、「特定の誰かだからできる」という具合にならないようにしなければならないのですが、悩ましいです。


―「民主的なあり方」に関してはいろいろ議論あると思うのですが、例えば委員会で河本さんが緻密にメモを取られて公開をされて、それが人目につくことで影響を与えていくというような形の筋道もあると思います。決定の手続きとしては民主的とは言えないかもしれませんが、それをどれだけの人にオープンにできるか、に関しては河本さんはすでに望ましい関わり方をされているのではないかと思いますが、いかがでしょうか?


でも、ある特定の人しかこの人に会えない、ということは違う人から見たらヘンな話じゃないですか? なるべくそういうことを少なくしたいのです。要望書を出しても市がどういう基準で返答したり、しなかったりしているのかがわからない。そうすると不公平感が出てきます。そこから見えるのは、京都の文化というか、これまで培われてきたお付き合いの中での独特の基準があるな、ということ。それは市の人もこれまで当たり前に過ごしてきたものを、自分たちの今の仕事の都合に合わせて使っておられるだけで、悪気があるのではないのでしょう。でもだからいいと言ってるわけではないのですが。



長崎和平氏による「京都会館建て替え問題」要望書に対する京都市の回答「文化市民局」I Love Kyoto Kaikan(本文


そういう背景があるから、誰か交渉する人や交渉のための仕組みが絶対的に必要となるのでしょう。それは分かっているのですが、やり方がいい悪いで、人と会えたり会えなかったり、要望書に返事がもらえたりもらえなかったり、その基準は何かよくわからないわけです。誰にでも可能な仕組みの中でその手続きを踏めば、意見を出せば返答するとか、そういう当たり前のことがもっとできないと、結局不満を持っている人の意見がいい形にならないのではないかと思います。


―建築保存の問題としてはどのように見ていらっしゃいますか?


専門家ではない立場から見ると、「建物好きの人が建物を保存したいと思っている」という形では市民としては理解しにくいのだなと思いました。結局「使い勝手が良くなるんだったら立て替えたら?」という意見だって筋の通ったものですから。でも本来伝えたいメッセージは、建物保存しつつ内部の使い勝手を改善していけば費用が60億で済む、ということです。でもそこまでなかなか伝えられないんですよね。



日土小学校参考記事(YOMIURI ONLINEより


それから「保存」という言葉から受けるイメージですが、美術館に収蔵するように建物を使わずに残すものだと思いがちです。でも実は、近代建築の場合は、使い続けながらなおかつ保存するという考え方があるんだということを、今回初めて知りました。市民の方の中には以前の私のように思い違いをしている人も多いのではないでしょうか。愛媛県の日土(ひづち)小学校のように、使いながらも残していけるのだ、ということが分かるとよりよい理解になるかなと思います。





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プロフィール

河本順子
京都市在住の会社員。現代美術講座「高嶺格:アーティストワークショップ」(2006年)への参加がきっかけとなり、公共と個人の関係性について興味を抱くようになる。そのための方法論を市民の立場より考えることについての思考を継続中。台所大学picasomに参加(2010年 - )市民のための「政治」ワークショップ(2011年)グルジア椅子ワークショップ(2012年)