2012.11|「I Love Kyoto Kaikan」運営人河本順子さんインタビュー公開中

7.09.2012

QC3|10 小川玲子 「「外」から来る人たちを地域でどう迎え入れるか」


3/3 <コミュニティの強化に「外」から来た人が貢献する>
--


―先に本来の意味での移民政策が日本にはない、というお話がありましたが、彼らを受け入れるにあたってどのような状況が臨まれるとお考えでしょう?


EPAで入ってきた人たちと在日の人たちとでは課題が違います。在日の人たちも年を取っていくわけですし、年金や医療や福祉の問題もあるので、尚更きちんとした雇用を確保するというのはとても大事な問題です。その際彼らがどこで躓くかと言うと日本語ですから、日本語に対するサポートがまずひとつ。もうひとつ、「日本人の中で働くというのはこういうことなのよ」と教えてあげること。時間を守るとか無断欠勤をしないとか、そういうようなことは誰かが教えてあげれば問題なくできるのに、と思うので、そのあたりがサポートできるといいでしょうね。また、日本人にも彼らのバックグラウンドをもっと知ってもらえれば摩擦も減るのではないかと思いますし、彼らの生き方に学ぶところもたくさんあるはずです。


―そうした包摂を行う中で、文化間の共存のあり方が重要な課題となるかと思いますが、現状はいかがでしょうか?


日本人は衣・食・祭などの観点から異文化への関心が高い。相手の文化をより深く知ろうとする、という意味では好奇心が旺盛で時には「おせっかい」とも言えます。しかし、何か問題が起こった時に一緒になって行動をしてくれるかというと、してくれないことも多い。そういう意味で本質的に冷たいのではと思ったりすることもあります。

以前、オランダで暮らしていたことがあるのですが、オランダでは異文化の衣・食・祭に対する関心は低い。あなたがどういう人で、毎日どんなものを食べ、どんな神様にお祈りをしているのかは関係ない。でもその代り社会のルールはきちんと守らせる、という住み分け型で、公私が明確に分かれています。でも、社会全体として人種差別はいけないという平等意識は共有されているので、ある意味では心地よさがあります。どちらのモデルが良いのかはわかりませんが、お互い学べることは大きいと思います。


―ケア現場での差別意識など、移民がケアワーカーとして働く際にどのような問題があるのでしょうか?


「移民のケアワーカーには絶対に介護してほしくない」という意見はこれまで一件しか聞いたことがありません。むしろ外国人ケアワーカーは人気者です。ケアの現場は忙しいですよね。特に日本人は事務仕事もたくさんあるので余計に忙しい。だから、おじいちゃんおばあちゃんが呼んでも「ちょっと待っててね」「後でね」ということになる。しかし、外国人はそれが言えないんです。機械的にお世話をするということができなくて、いつもちゃんと応えてくれる。それが信頼関係につながっているような感じもします。

日本では外国人の雇用に対するイメージが悪く、「安いから」「質が悪い」「日本人が集まらないから外国人を雇っている」といった固定観念で見てしまいがちです。しかし、実際になぜ外国人を雇用したのかについて介護施設の方にお話を聞くと、将来絶対に人材不足になるので、いまから選択肢を増やしておこうということで外国人の受け入れに真剣に取り組んでいるわけですね。つまり日本人だけではケアは支え切れないので、外国人の手を借りなければならないという様々な「決心」をして受け入れている。ゆえに「受け入れたからには失敗ができない」と考えています。そこで施設側の人間が「今度のケアワーカーさんはインドネシアから来るイスラム教徒の方なので、宗教上の問題で豚肉は食べません」「だから、ごはんをつくってあげるのはありがたいですが豚肉は入れないでね」とか「断食の際は昼間太陽が出ているときは食べられません」とか、食べ物のことや習慣のことを紙に書いて近所に配ったり、説明したり、職員に対して例えば「フィリピンはこういう国です」とレクチャーしたり、使わなくなった家電を融通してもらえるよう呼びかけたりして細やかな準備をしています。先に少し触れた「おせっかい」とこうした「細やかさ」はかなり近いかもしれません。このような受け入れ体制があるところで、受け入れはとてもうまく行っていると思います。


―今の事例はどちらでの事例でしょうか?


佐賀です。地方ですとだいたい皆さんお互いを知っていますし、スーパーに行ってもみんな顔見知りだったりします。高齢化が進んでいるので若い人が来たというだけで喜ばれますし、いわばケアワーカーの受け入れによって地域コミュニティが活性化したりします。


―コミュニティの強化にいわば「外」から来た人が貢献しているということがとても興味深いですね。


移民のケアワーカーたちは福祉施設のイベントの際にも料理や踊りなどを披露してくれて、それがとても盛り上がるんです。おまけに、EPAは国家資格に合格しなければならないので、地域の退職した校長先生や公務員の方々がボランティアでEPAの試験合格に向けて勉強をサポートしたり、新しいネットワークが地域社会で起こっています。東京では在日外国人をケアワーカーとして雇っている施設が、彼らに介護福祉士の資格をとってほしいということで日本語クラスを開き、そこに教員として早稲田大学の日本語教育の先生たちが参画し、施設の方々が「介護概論」など専門のことを教え、さらには地域の定年退職者のNPOがボランティアで関わって、「自分たちもゆくゆくはお世話になるから」といって、外国人の介護福祉士国家試験突破に向けて支援している、という例もあります。そうした外国人の方を中心にした地域社会が新たに生まれていますね。


―「私たち」が「彼ら」を地域社会にどう受け入れるのか? という構図よりも、彼らの身の回りの世話に様々な方が関わって地域社会が新たに編成されていく、という構図があるようで興味深くお聞きしました。では最後に、小川先生ご自身のご研究、あるいはご活動から見えて来る、福岡における課題について聞かせてください。


外国人にとっては言語の問題が大きいですね。インターンの受け入れでさえ言語の習熟度の点で断られてしまう。企業側の採用の改善が望まれます。発想や見方が日本人と外国人とでは全然違うので、その面白さをうまく企業で生かしてもらえればいいのに言語の壁に阻まれてしまう残念なケースが多いですね。

また、早急な課題は移民の第2世代の教育だと思います。日系人の子供がいじめや言語の問題で公立校に行けず、私費で運営されている学校に通い日本語ではない言語で教育を受けるということは日本で暮らし続けるにあたっては不利になります。日本の公教育のなかでそれに対応できるようにしないといけないと思います。日本は子どもの権利条約を批准しているので、全ての子どもたちが教育を受ける権利を持っているという条約の精神に則りながら、サポートできるシステムをつくっていくことが重要だとおもいます。

相手に100%を求めるのではなく、こちらも譲歩しつつ中間で出会う「Meeting half way」が理想だと思うのですが、現状は「all or nothing」のような状態になっていると思います。日本語ができないというのは、その人が持っている能力とはあまり関係がないにもかかわらず、負担感ばかりが目についてしまう。言語能力の不足を誰かが支えなくてはいけなくなり、それが負担になることは分からなくもない。でもそれゆえ曖昧な指示では務まらなくなり、きちんとコミュニケーションをとらなければならなくなったことによって全体のチームワークやコミュニケーション能力が上がったという事例もあります。そういうポジティブなモデルがつくれるといいと思います。最初は大変ですが、ここで上手くいけば、次の世代の受け入れは最初に来た世代がやってくれるので、ずっと楽になるでしょうね。多様であることがプラスに思える社会は、きっと日本人にとっても住みやすい社会だと思います。(了







--
プロフィール
小川玲子(九州大学) 
幼少期にアパルトヘイト体制下の南アフリカで育ち、国際協力の仕事で文化遺産の保存や東南アジアの先住民族やムスリム女性のエンパワーメントに携わった後に現職。大学では留学生担当教員を務めながら移民研究に携わる。Globalization of Care and the Context of Reception of Southeast Asian Care Workers in Japan, Southeast Asian Studies, 2012, Vol. 49(4);(共著)eds. Henk Vinken et al., 2010, Civic Engagement in Contemporary Japan, Springer, USA;(共著)大野俊編、2010年、『メディア文化と相互イメージ形成』九州大学出版会etc.