2012.11|「I Love Kyoto Kaikan」運営人河本順子さんインタビュー公開中

10.21.2011

QC3|05 佐々木龍郎「地域に関わる回路を増やす―マクロ、ミクロ、そして都市」

「地域に関わる回路を増やす―マクロ、ミクロ、そして都市」
佐々木龍郎インタビュー


前編はこちら
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後編



―佐々木さんが横浜で継続されている「芸術不動産」というプロジェクトはどのようなものでしょうか?


まず芸術不動産につながるプロジェクトとして、関内という古い市街地エリアの空きビル調査をしました。さらにその前には複合市街地研究に携わっていました。もともと多くのオフィスからなる関内という既成市街地にこれから住宅が混じり込んでくる。その時にどのように混じりあうのが理想的なのか、をリサーチしたのが複合市街地研究です。それに平行して、既存ストックの活用の検討も開始しました。僕が直接ではなく、櫻井淳さんという懇意にしていただいていた都市プランナーが行政から委託を受けていて、そのパートナーとして関わりました。行政は実績がないとなかなか委託を受けられないので、建築家がいきなり調査をしたいと言っても受けられるようなケースは多くはありません。


2004年から横浜市は「創造都市」を標榜し、アーティストやクリエイターを積極的に横浜に誘致したいということを言い出していました。そのときに最初にできた拠点が「BankART1929」です。拠点は転々して今は日本郵船の倉庫をリノベーションした「BankART NYK」に落ち着いていますけど、やはり今でも「BankART」が横浜の核だと僕は思っています。いずれも横浜市が費用を負担して施設を整備し、BankARTが運営するという、公設民営方式です。横浜市はまちづくりや都市デザインに関して非常に理解が深く、そこにきちんと費用をかけてドライブさせる意志と能力があったわけです。


BankART1929主催のアートイベント「Landmark ProjectⅡ」(2007)の際に作成した可動看板。



でもその時僕が思ったのは、日本は長い目で見ると厳しい状況が続いて、公共投資だけでは立ち行かなくなるだろう、ということでした。そのとき民間との恊働が必要になってくるはずだ、と。そして、アーティストやクリエータを呼びたいと言っているけど、彼らだって不動産で寝起きして、不動産で制作して、不動産で発表する、いわば不動産まみれなわけです。でも誰もそんなことを考えずにただ「来い」と言う。実際、当時関内の賃料は坪一万円と言われていて、アーティストの払える額ではない。それで、やはり創造都市政策を絵に描いた餅にしないためには、これからは不動産にコミットメントしていかないといけない、ということで単純に2つの言葉を結んで「芸術不動産」というキーワードを発明しました。その時一緒だったのは、先程も名前が出た都市プランナーの櫻井淳さんと、北沢猛さんの弟子で現在は横浜市立大学准教授の鈴木伸治さんでした。それがスタートです。


それから、横浜市創造都市事業本部(現文化観光局創造都市推進部)や、横浜市芸術文化振興財団の「アーツコミッションYOKOHAMA(ACY)」と連携を取りながら運動を進めていきました。現在はACYがアーティストやクリエイターらの窓口になり、彼らをサポートするような組織になっています。そのようななかから、政策名にも「芸術不動産」という言葉が入ってきはじめて、旧い建物を持っている人と活用する人とを結びつける「芸術不動産モデル事業」、旧い建物をクリエータの拠点として活用するビルオーナーやビル運営者に対してそのリノベーション工事費を助成する「芸術不動産リノベーション助成事業」などが動いています。


特に、去年度から開始した「芸術不動産リノベーション助成事業」は、クリエイターを入居する前提でリノベーションをしてくれたビルオーナーを直接支援するプログラムです。オーナーにリノベーションのための費用を補助するということは非常に大きな決断なのですが、やはり創造都市に理解のあるビルオーナーを一人でも多く見つけて、協力していきたいと考えています。これはBankARTのような公設民営方式ではなく民設民営方式ですね。その時の「民」とは主にビルオーナーのことです。彼らの建築、都市、クリエイティブに対するリテラシーを少しずつでも高めていくことが長い目で見れば大切で、その契機として助成制度があるという感じです。稼動しての印象は、動こうかどうか迷っているオーナーは結構いて、そういう人たちの背中を押せる仕組があるとないとでは大きく違うということです。去年は年間で3件。2千万の助成が実現しました。最大で整備費の50%が助成されます。今年も同じ額の予算がついていて、同じく3件の助成の目安が立っています。僕はその仕組み全体のアドバイザーをしていますけど、問題もないわけではありません。特に、かなりひどい状態の建物が持ち込まれることもあって、助成対象としていいのか否か迅速かつ正確に判定していかなくてはならなくて、そこではまさに建築の知見が必要なんです。


―そこで求められる職能や能力とはどのようなものでしょうか?


旧い建物を実際見て、いいところ悪いところをチェックし、既存の資料や、公的機関の保管する資料なども参照しながら、総合的に判断することが求められます。そして、単に構造が大丈夫かどうかというだけではなくて、アーティストが使うわけですから、さらに一歩踏み込んで空間自体の価値も考えないといけない。毎回大変です。一方で、この判断によっては改修費用がかかり過ぎ、それが家賃に反映されてアーティストの負担が増すという本末転倒に陥る可能性が少なくありません。その意味で、この初動の判定に対する職能や報酬について十分に議論する余地がありますし、また建築基準法等の関連法規の見直しも必要です。


一方、教育について言えば、建築の教育はやはり新築教育が基準になっています。どうやってつくるか、という話は比較的得意だけど、旧い建物の状況を的確につかんで、活かすようなトレーニングが余りなされていないのが問題です。国土交通省がストック活用と言いはじめて大分経ちますけど、文部科学省のカリキュラムには反映されない。なぜならカリキュラムが新築のコマで埋め尽くされているからです。建物を見て判断するというカリキュラム、あるいはそういうプラクティスが必要なのは間違いなくて、実際に人材がいなくて困っています。


―あるものをどうするか、という考え方と、新築をどう建てるか、という考え方とでどのような違いや連続性を見ていらっしゃいますか?


僕はリノベーションや改修と新築はつながっていると思います。でも今は切れています。新築をやる人は新築、改修やる人は改修。リノベーションをやっていると建築がよく分かります。いいところは伸ばし、悪いところは改善すればいいわけです。その知見を活かして新築すればいい。いま年間に建てられている80万戸のほとんどは20世紀のコピー&ペーストです。なぜなら建築の価値を評価する基準は20世紀のままだからです。不動産価値として明確にされていない。だから、駅から近いとか、土地が安いとか、そういう環境のスペックだけで測られる。それかキッチンや家具のグレードとか。それを変えて、建築自体の価値が見えてくるような世の中にするためには、リノベーションに携わりながら、その知見を新築へと活かしていくような流れを早くつくらないと、いつまでも20世紀のコピペ的新築を未来永劫いじり続けなければいけないというルーティーンが待っています。これを何とかしたい。


これに関して、最近僕が言っているキーワードは「反完成」です。これは完成状態で渡すよりも難しい。全部コントロールしたほうが楽ですし、家具を借りてきて、勝手に写真とって雑誌に載せる方がイメージはつくりやすい。でも本来は建築は、そこから人が使いはじめて、いきいきと使ってもらって価値が増すようにならなければいけなくて、そのための余地を残しておくことが「反完成」という言葉が意味することです。これは言う程楽なことではなくて、偶然そうなったということではなく、どこで止めておくか、何を準備しておくのか、完成品とは異なるさまざまな判断が迫られることになります。


ヨコハマトリエンナーレ2011特別連携プログラム「BankART LIFEⅢ 新・港村」の公募で選ばれ完成した反完成住宅モデル。


今は完成品至上の世の中です。例えば住宅で言えば、建築家の設計する一品生産の住宅も、年間80万戸つくられる商品化住宅や建売住宅も、戸建住宅も集合住宅も完成品至上という意味では同じです。まったく水準は違いますが、完成品に住まわされていることに変わりない。建築家の住宅がそうなってしまう要因の一つは建築を扱うメディアが完成品至上メディアしかないということです。ある種の作家性が求められていて、それを可能な限り早く発見して公表する、ということ延々と続けている。ただ、そのようなメディアの数も大分減りました。


―そのお考えはどのような実践へとつながっていますか?


最近「ハ会」という報告書をまとめました。5回連続で行ったシンポジウムのドキュメンテーションです。不動産、住宅系シンクタンク、社会学者、経済学者、建築都市関連事業者、建築家などなど、さまざまなジャンルの方々を巻き込んで、これからの住宅の話をしました。


僕にとって刺激だったのは、これがマクロ政策的な視点に貫かれている、ということです。「年間80万戸なんて多すぎる」といった視点ですね。正直なところ、目の前の一つ一つの建物に向き合っていると年間どれだけ住宅がつくられているかなんて気にしたことなかったんです。しかし少し俯瞰して見るとマクロなレベルの住宅政策や都市政策といった政策がある。意地悪い言い方をすれば「住宅政策がなかった」ということも見えてきてしまうのですが、「日本はこれからどうなるのか?」という大きな話について、僕はそこが不勉強だったし興味もなかった。


だからマクロまで戻って、いま何が必要かを議論する必要がある。マクロ、ミクロ、その間にある都市または地域、この三つの層について考えています。建築の知見がある人がマクロレベルのことをやれたらいいと思います。建築の知見はものすごく活用の幅が広い。だからいろいろなレベルにコミットメントできる、と考えています。先程も言いましたけど、建築という学問は多岐にわたっていて、そういう意味で建築は総合学だと思いますし、今その総合性が求められていると思います。それはマクロのレベルでも然りだと思います。「マクロがこうだとミクロはこんなになっちゃうよ」ということは、個別のミクロに実際に携わってないと言えません。


このことは被災地を支援している時にも強く感じました。僕らは被災直後の四月から「仮住まいの輪」という被災者支援のプロジェクトを続けています。具体的には無料で居住を提供したいという人と、提供して欲しい被災者とをマッチングさせるプロジェクトです。そして「仮設住宅リノベーションプロジェクト」として、仮設住宅をもっと上手く使えないか、もっと快適に過ごせないかというプロジェクトにも取り組んでいて、その関連で今まで何度か被災地を訪れています。


そこにはマクロな視点が無いんです。東北地域だと、やはり東北新幹線と東北自動車道という二大インフラが重要で、本来ならそこにある程度の産業を集積させ雇用を創出することが素直です。そしてそれは未来の東京や関西などの被災の際にはバックアップ的役割も果たすことになる。突発的な大規模自然災害が多い国なのだから、いろんなエリアでお互い助け合わないといけない。日本全体をシェアしていくような視点が大切なんです。もちろん海岸線の復興も大事なのですが、それを着実に進めていくためにも内陸のインフラ軸に産業や雇用が安定すれば、そこでを基点に海側の復興もできる。そのように日本と東北、内陸と沿岸との関係をきちんと位置付けていくのがマクロレベルの視点という意味です。大切なのは僕の考え方の善し悪しではなくて、そのような水準のことが議論される場があるということで、今はそれがない。狭い範囲での農業や漁業の話はしているけど、日本をどうするか、という話を誰もしていない。大きなビジョンが欠落しています。


一方でミクロの話もないんです。どういう住宅をつくりますか? どういう住まい方をしたいですか? ということがあまり話されていない。高台移転、高所移転についてはみんな議論するけど、そこでどういう生活をするかは誰も議論しない。このままでは、また20世紀のコピー&ペーストが立ち並ぶことになります。これもやはり善し悪しの話ではなく「東京のハウスメーカでつくられた完成品としての住宅が東北に建ち並ぶ」ということを意味していて、それが本当に生活や街の復興につながっていくのかということです。ただ僕はそうは思えない。


つまり、マクロなビジョンも、ミクロなビジョンもないままに、その間の「地域」を一生懸命埋めているように見えるんです。その地域にしても、住民とワークショップをして「住民がこう言ったからこうする」という安易な話が少なくない。僕はもちろん住民の意見もとても大切だと思うけど、やはりそれだけでは地域、建築はできない。少なくともこの地域でどれくらいの住宅が必要か、そこでどういう住まいがあるとよいか、こうしたことがきちんと組み立てられなければならない。例えば避難所から仮設住宅に移れないという人がいて、なぜなら仮設住宅だと食事が提供されないから離れられないのだという理由がある。その状態ではたとえ復興住宅ができても彼らは入れないわけで、ならば住宅ではなく福祉施設を整備したほうがいい。つまり、住宅の戸数と施設の床数を合わせた「居住者数」をその比率なども含めて地域ごとに設計していくことが大切になってくる。それが無いから、仮設住宅をつくっても空いてしまう。総合的な居住政策が、日頃も非常時もない。なぜかというと、要する日本には住宅政策がなくて不動産に全部丸投げしてきたからです。仮設住宅もプレファブ協議会に丸投げ。確かに建設や不動産が日本のGDPを支えている部分もあるので単純に善し悪しは言い切れないけど、400万戸も空き家があるのに仮設を10万戸新築するという話には違和感を感たのは事実です。


地域の話に少し戻ると、国交省が被災地に対して土木系、都市計画系のコンサルティング会社に検討を委託しています。僕は復旧ならそれでいいと思います。でも今回は単純な復旧ではなく復興なので、彼らだけでは厳しいと思う。逆に牡鹿半島でのアーキエイドの活動を見ていると、建築家たちはやはり地域の本質的な状況を取り出すのに長けていて、一方で、それを土木や都市に実行する能力という意味ではやや経験がない部分もある。だからこの両者が上手く連携するような仕組みができればいいと思います。釜石などでは別な意味でそのような取り組みをしているけど、いじるにしても異業種交流的な豊富な視点の中から打開策が見えてくることもあるわけですから、そういう意味で、横浜などの活動で僕はさまざまな方々と一緒にやってきて、常に互いにどうすれば活かされるのかを考えていて、逆に考えて続けていかないと一人の力では進まない、という実感があります。


―そのとき建築家の職能として様々なあり方が提示できると思いますが、佐々木さんはどのようなモデルを提示しようとされていますか?


現在「オルタナティヴ・リサーチ」を手掛けるNPOを立ち上げたいと思っています。先程話をした宇都宮もそうですが「現在こういうプロジェクトが進んでいて、これしかないと言われているんだけど、何か他のアイデアはないのか?」ということで困っている方々に相談を持ちかけられることが多く、多くがボランティアワークになってしまうのですが、このオルタナティヴの検討はやはり業務としてあるべきだと思っています。


東京の西側に50年ほど前に整備された魅力的な団地があります。テラスハウスと4階建の階段室型集合住宅で構成されているのですが、これを大規模開発する計画があってそのほとんどが6階建になってしまう。周辺は第一種低層住居専用地区で高さ10mに抑えられていたのに、その真ん中に高さ20メートルの建物が建ち並ぶ島ができます。それも地区計画というかたちで立地する区と都とが後押ししているという状態でした。それで、周辺住民から相談を受けてオルタナティヴ・リサーチを行いカウンター・プロジェクトをぶつけました。可能な限りテラスハウスを保存しながら4階建に抑えて、6階案と同じ容積を確保して事業性が低くならないという提案で、地区計画もかけなくていいし、道路引き直すなどのインフラコストもかからない。結局は都市計画は強行されてしまったのですが、このようなスタディをもっと早く見たかった、と団地の住民にも言われました。


周辺住民が「どうしたらいいんでしょうか」と困っているときに、言葉でアドバイスできる部分もあるし、絵で見せて見直しを迫ることもできる。必ずしもそれが実現にいたったわけではありませんが、彼らもそれで気持ちを強く持ったと思うんです。もちろんその代替案が事業性6割なんてことなら話は別だと思います。僕はロマンティックなだけの保存活動では立ち行かないと思っています。このことについては賛否両論あるのは十分わかっているのですが、この国の不動産の現状を抑えながら闘わないと物事は変わっていかない。東京の西側の件は、不動産事業者も設計者も施工者も一流で、それを区と都が支援している。つまり民間と行政が結託して、一種低層住居の良好な街にいきなり20メートルの街つくります、と言い出しているわけです。彼らの言い分としては、このへんに広い森つくりますよ、と。でも板状の建物の北側で陽も当たらなければ、風も通らない。そして終日日影かかってるような暗い場所に「区民広場」と表記されている。そして建物は外側片廊下の20世紀のコピー&ペーストです。僕から見たらひとつとしていいとこない。


ただ、何より恐ろしいのは、このようなことが一方的に進んでいるということです。最優先されるのは事業性で、相変わらず土地が高いということに起因しているのですが、それが圧倒的に日本の現実です。そしてこの調子でどんどん建てていく。分譲入れたら700万戸くらい空き家があるのにどんどん建てていく。これから人口が減っているのにどんどん建てていく。そのような現実の中で、「オルタナティヴ」を考えること、そしてそれを比較していく過程で、プロジェクトが少しでもいいものになっていくこと、そのような機会が必要だと考えています。


―では最後に、佐々木さんにとって地域とはどのようなものとして見えてくるでしょうか?


先ほどまでの話に即して言うと、マクロな俯瞰的な視点と、ひとつひとつの住まいといったミクロな視点があって、その両方を束ねていって実現化されているのが地域だと思うんです。地域とは概念というよりも実体としてある。だから僕にとっては、地域が先にあるのではなく、どの範囲を地域と呼ぶのか、そこから見直していけなければならない考えています。それはひとつひとつの暮らしを見てきながら、どれくらいの規模で束ねられているのがいいか、地形などの自然条件をも加味しながら考えていく。もちろん今までの商圏や学区などの規模に対しても配慮がいるのですが、一方でパーソナルメディアの高まりによって帰属意識が変わっていてることもおそらく関係してくる。


その時に基本的に一番大事なのは個人の構えだと思っています。つまり、どう暮らしたいかということをこれから個々が一人ひとり考えていくべきだと思います。住まわされるのではなく、自分たちでこうしたい、自分たちでここを地域と名付けたい、そうやって個人からスタートしていくという地域ですね。一方で、これから俯瞰的なレベルで日本はどう舵をとりますか、という視点があるべきです。その両方が顕在化するのが地域だと思うのです。しかし一般的なレベルで言えば「地域」なるものの把握はできていません。東京出身が何人いるのか、仕事をしながら通っている人がどれくらいいるのか。それくらいの把握があれば、何をつくろうかという議論ができる。しかし一方で、例えば今復興の議論でなされているのは、1000人いるから1000人分用意しよう、という把握でしかありません。全員が全員戻ってくるなんてことはあり得ない。


地域を考える上で最も重要なことは、地域は多層でいろいろなスケールがある、ということです。だから経産省のタウン・マネジメント・オーガニゼーション(TMO)はそれで余り上手く機能していかなかったと思います。経済の話だけ持ち込もうとしたわけです。今の時代はハードじゃないんだ、ソフトなんだと。でもそうではないんです。ソフトがいきいきとするハードのあり方は必ずあるんです。地域それぞれに。その思考錯誤を経てじゃあ次はこういうハードをつくろう、という話になればいいわけです。その延長上に、建築自体がいきいきと使われていないんじゃないか、という疑問が出てくるはずなんです。ある意味で豊かと言われているこの国ですが、みな個人で生きているわけじゃない。そう考えたとき、地域はその個人が束ねられる単位として非常に重要な概念だと思います。だから安易に「コンパクトにせよ」なんて言えないと思います。例えば密集しているからスプロールした方がいい場合もあるわけです。だけど常にマクロ/ミクロ/中間サイズという意識を忘れずに、必要なことを勉強しながら知見を得ながら進めていくしかないなと思っています。


実際の行動指針として言うならば、地域ごとの力学があって、それをきちんと意識しながらまちづくりを進めていくことが重要です。個々の地域においてリーダーシップを持って動く個人が束ねられているまちづくりもあれば、地域を俯瞰的に政策的に考えていくまちづくりもあるでしょう。そのなかで、いくつかのスケールの視点が重なってひとつのかたちになっていくと思うんですが、それを横断して議論していくプラットフォームをつくり、そこを横断してスタディできる業務の形態や発生の仕方を目指す必要があると思います。僕は微力ですが個人でできる枠を拡張したいと思っていますね。もちろんとても難しいことではありますが、そのような物事への関わり方において、建築家の総合性は活かされる、と僕は信じています。(了)




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プロフィール
佐々木龍郎(ささきたつろう)
建築家/1964年東京生まれ/東京都立大学(現首都大学東京)大学院工学研究科建築学専攻博士課程単位取得退学/株式会社佐々木設計事務所代表取締役/神奈川大学・京都造形芸術大学・東海大学・東京電機大学非常勤講師/千代田区景観アドバイザー/横濱まちづくり倶楽部理事/東京と横浜(宇徳ビルヨンカイ)に拠点/建築設計監理・まちづくり・調査研究・商品開発・建築教育。