2012.11|「I Love Kyoto Kaikan」運営人河本順子さんインタビュー公開中

4.25.2011

QC3|01 片木孝治インタビュー「時間と空間のスケールから地域との関係性を構築する」

「時間と空間のスケールから地域との関わり方を構築する」後編
片木孝治インタビュー



前編はこちら




後編「地域のスケールと建築の可能性」


―片木さんは「地域」をどういうスケールでとらえていますか?


あまり使いたくない言葉なんですが、例えば「活性化」という観点から考えたとき、「一地域だけ」というとらえ方はダメなんじゃないかと思っています。僕は今「サンダーバードプロジェクト」という構想を考えているんです。人形劇にあった国際救助隊! なんとなくイメージも近いかな(笑)。「サンダーバード」の沿線にある大阪・京都・滋賀・福井・富山という括りでネットワークをつくりたいと思っているんです。そのようなネットワークが複数でき、地域⇔地域でさらに広いネットワークを構築することが重要だと思う。 片や、「500キロの建築構想」ということも考えています。これまで、都市計画までは設計者がやっています。しかし、土木事業以外で空間を定義しようとすると、その設計のスケールはあまり大きくないんですよね。

それが、「ソフト」という概念から建築を考えたときにリミットが外れると思うんです。「バーチャル・アーキテクチャー」的な仮想空間ではない、フィジカルな実空間の中でどういうとらえ方をしたら「500キロの建築」が言えるのかを今模索中です。そういったことを考えながら「北陸アートテーブル」という企画を組んだり、大阪でも「木の実プロジェクト」というプロジェクトを立ち上げていて、京都でもいくつかやっています。結局、日本の集権制は「東京と地方」というセットになっている。例えば、「タウンアーキテクト」も中央から著名な建築家が行って、地方の何かをデザインする、という形になっている。行政区でくくる地方分権が良いといっているわけじゃなくて、地方同士のネットワークがあって、そこで生活圏が生まれることもあるんじゃないかと思います。


―「地域」を市・町・村といったかつての広がりではなく、また別の広がりでとらえるひとつの例ですね。ここに様々な主体が関与する可能性も広がると思います。


僕はまちづくりを説明するときデジカメをたとえに出すんですよ。デジカメが出たときにソニー、パナソニック、フジフィルム、ニコン、キャノン、当時、それぞれがそれぞれに解答を出しました。ニコン、キャノンは光学レンズで勝負をした。一方フジフィルムは解像度なんですよ。「プリントアウトでしょ」って。ソニーやパナソニックはマルチメディア化をはかるんですね。同じ新しい「デジカメ」というひとつのコンテンツなんですが、専門や背景によって特徴のあるものができたわけです。

まちづくりというと、建築が本家本元です。でもここに「プロデューサー」や「コンサル」など「メディア系」から来る人が多い。なぜかというとまちづくりでポイントとなる「空いたところに何を入れるか」というのは「編集的」だからです。実際彼らは「編集する」と言うんです。でもまちづくりは「あるものをプロットして、集めて、パッケージして見せる」という「編集」だけではなく、ちゃんとタイムパースペクティヴを持ち、哲学を持って「町をどうしたいか」を空間化していく「構築」作業なんです。僕は自身のことをプロデューサーやディレクターと言いたくないのですが、今は良い言葉が見つかりません。建築がまちづくりの「本家本元なんだ」ということを言うときに、どういう手法を持って行くかを考えたい。


―ただ、建築は本当に「本家本元」なのでしょうか? 建築こそが今起こっている問題に対処しうるのか、というのはひとつ疑問です。


確かに。近代の都市計画がそのままプリントされた都市に、多様性がなかったり、面白みが無かったりする町になってしまった、という意味ではそうなんです。だからやっぱりハードからではなく、ソフトから入らないといけない。しかし、僕が「ソフト」と言っているのは、単に「建物を利用する」ということではないんです。僕が今アプローチしているのは、町のアクティヴィティから派生していくものだと思っています。ある意味では、リノベーション的な町のつくり替え。それはハード/ソフトの境界なく、読み解くコンテクストをどういう接ぎ木をするかという意味で、有効性があると思う。新しく興すモノゴトだと必ずしも場所の記憶が引き継がれるわけじゃない。


―「サンダーバードプロジェクト」のような500キロの建築が一方にあり、「AC」のような数百人の学生をどうオーガナイズするかという問題が他方にある。こうした異なるスケールレベルの差異をどのようにとらえられていますか?


学生によく言うのはスーパーズームイン/ズームアウトができるかどうか。それをより高速でやることで、ディテールと全体と周りとの関係が見えてくる。建築家はこれを当たり前のようにやっている。なので、建築家の可能性を建物にとどめておくのは非常にもったいないと思っています。ちょっと話はズレますが「新しいビルディングタイプ」がそろそろ出てきていいんじゃないかなと思うんです。数年程前京都にマンガミュージアムができましたが、個人的に面白いと思っています。このミュージアムにはいくつかの要素があり、現在ではそれらをまとめて「コンプレックス」としています。「ブックストアとカフェ」というようにこれまでの呼び方の足し算しかなされていないけど、「新しい名前」によって使われ方がさらに広がって行く可能性がある。


―その時、建築はどのように定義されますか?


難しいですね(笑)。ある問題を物理的に解決する手段だけが建築ではありません。つまり自分たちが通常プログラムする壁、床、天井をどうするか、ではなく、その対象を人やことに移しながらオーガナイズできることがあるんじゃないかと思います。建築はそのような様々にある情報を集めるノードでもある。そしてそれをコントロールするためにタクトを振るう立場にいるのが建築家です。だから、いまだ請負の設計をやっているだけではダメだなと思います。設計する仕事を待っていないで、自らつくらないといけない。必然的な建築をつくる、そういう状況をつくる行為をしたい。


―僕らも、建築のもとになせる実践の幅広さを探っていきたいと考えています。


建築はすばらしい職能です。お施主さんはこの家を「俺が建てた」と言う。建築家も「俺が建てた」と言う。施行関係者、大工さんも、左官屋さんも、クロス屋さん、設備屋さんも「俺が建てた」。これに対して関わっている人が「俺は請負だから」って自分の職能を否定しない。だから建築は関与する人全員が「俺が建てた」と言える対象物なんです。 ここに重要なポイントがあります。その関与する主体が互いにリスペクトできるということです。それこそがこういった新たな職能としての確立であり「如何にポジティヴに関わってもらうか」が建築家の裁量であり役割だと思います。


―つくる前提をつくるということですか?


そうですね。これまではハコをつくることに社会的意味があった。しかし、地域にもハコモノが充足し、社会情勢や経済的価値観が転換し、これまでとは違った角度で「必然的な建築」をつくらなければいけない時代になった。これまでとは逆の流れが現代だと思う。例えば、文化施設なんかは数十から百億の建設費用がかかるし、ランニングコストでも年間数億です。片やACでは、数百万から数千万で可能です。単純にそれはイニシャルコストだけでAC一千年分におつりがくる額です。しかし、誤解のないように言っておくと、建築を建てることがダメと言っているわけじゃありません。単なるイベントでもダメ。そのときはギュッと関心が上がりますが、その後忘れられてしまう。重要なのは、じわじわやって、波及効果を10年後に見るのか、20年後に見るのかをプログラムすることです。例えば、ACでは、今参加している子たちが、40歳になってもやり取りを続けていける仕組みを構築しています。これは20年掛かるロングプログラムであって、それでワンサイクルだと思っています。アクティビティを囲むアーキテクチャがあるわけだから、アーキテクチャはアクティビティから欲されないといけない。


―そのときの状況をどのように見られていますか?


ベタな話から始まりますが、戦後日本が勝ち得たものは物質的な「豊かさ」です。しかし、それを支えた工業生産、すなわち、ものをつくる場所は今やBRICsに行ってしまった。日本は、島国で国土が少ない、資源がない。そのとき日本が世界でどういうイニシアチブをとるかということを考えなければならない時代に入っていると思う。「モノがたくさんある」という豊かさの次の段階にある「生き方」の豊かさのプロトタイプをつくれば、それが省資源社会における持続可能な国際的な解法となり、そのノウハウがビジネスにもなると思う。その先進性のヒントが地方の生活にある。だから、縮小化が進む日本においては、デュアルライフを推奨したいと考えています。これは都市⇔地域の人口格差問題だけじゃなくて、そうしたことを考えられる人材育成といった意味でも重要だと考えています。上海でも、NYでも、東京でも一様に得られる変わりのない「豊かさ」じゃなくて、多様な価値観を生まなきゃならない。また、同じようなことがデザインにも考えられます。かつて「未開の地」があった時代は、時間の蓄積を経た独自性のようなものがあり、デザインも多様だったと思う。しかし、その後グローバリゼーションで世界は急速に狭くなった。「未開の地」はなくなり、全員が同じようなものを持つようになった。差異がどんどんなくなって、均質化してしまった。これは、同じ方法論が続く弊害であり、危機だと思っています。地域のデザインは言ってしまえば「どんくさく」「土臭い」けれども、これをブラッシュアップしてしまうと他の地域のものと見分けがつかなくなる。その辺にある機能や形態を差別化しただけのプロダクトデザインと変わらなくなっちゃって、結局デザインソースがわからなくなる。例えば、高気密高断熱住宅は季節感を剥ぎ取った。日本の「涼」を楽しむ文化、すなわちデザインの可能性を吹き飛ばしている。そういうことをもっと意識しないといけないと考えてます。


―差異をならしてしまうか、それを生かすことができるかという問題がありますね。


たとえになるか判らないけど、インドやタイなんかには「100倍の生活差」があって、屋台で数百円でお腹いっぱいおいしく食べられる一方で、祇園と変わらないくらいの高級料理店もある。でもみんな幸せに生きている。資本的な貧富の差はあるけど、ある種の住み分けで、裕福でない低所得者だって幸せに生活している。お金がない分、彼らは自由にのんびりした時間を過ごすこともできる。でも例えば「食べもの」だけで比較しちゃうと「あいつらが食べてるものを食べたい」とねたんじゃう。で「なんで俺たちには食べられないの」と思ったときに、それは「差別」意識になり、それを補完するために均質化が始まる。


―ひとつの尺度で見渡せてしまうことの問題はありますね。


そう。たとえばちょっと昔の京都でも、先斗町や祇園はハッキリと別格の世界だった。僕らもそれを横に見ながら夢は持つんだけど、でも、そこに行けない自分がまずしいとは思わなかった。ちゃんと意識のレイヤーができている文化形成ってあると思うんですよ。そういった多様性や社会認識が背景になっていくような価値観の再創出ができれば良いと思っています。これを広げて考えてみましょうか。都市からのイメージだけで「地方は可哀想だ」と言ってしまう。これは先ほど言った問題に近いです。地方の人も都市を見ると「あれ、なんだかみんな楽しそうだな」と思ってしまう。そして「なんで地方は面白くないんだ」と、特に若い人たちは刷り込まれちゃう。何かが偏っている。ACではそのあたりについても提案したいと考えています。今、「田舎」が無い子って多いんです。だから絵に描いたような田舎がそこにあって「それが嬉しい」という子も沢山いる。彼らにとっては、都市生活も地方生活もある意味で「豊かなこと」なんですよ。その価値の見つけ方や、人間関係を上手く築くことが必要で、それには妙な刷り込みによる偏見を持たない経験しかない。こうした若者たちの力で、河和田のみならず、全国の地方が抱える人口格差による色々な問題に対する手がかりになるんじゃないかと思います。


―いまどのようなプロジェクトを考えておられますか?


こうした基盤として「クロスジェネレーション(世代間交流)」が大事だと思っています。ACでは、僕が勝手に「バーチャル30(仮想の30代)」と名付けて、それを実践しています。プロジェクトを進めている僕は40代で、河和田に来ている学生たちはだいたい20代。この世代が如何に手を組むかがポイントです。ACは学生主体ですが、20代の子たちができる規模ではありません。といって、40代の僕が主導でクオリティーを求めても到達できない。だから互いに10歳歩み寄り補完するわけです。そうすれば、僕たちは仮想の30代としてACを動かせる。


―次の世代に上の世代がチャンスを与えるということでしょうか?


一般的には「チャンスを与えてやる」ということになるかも知れませんが、僕自身はそういったつもりはりません。異世代で補完しあうことなんです。学生でないと出せないエネルギーがある。僕らのような年齢の人たちとやろうとすると、こなれたことしかしない。また、ようやく自分でできるようになった年代だから、プライドのために動いてしまって、ベタなことができなくなっちゃうんです。いわゆる自我です。だから40代にACはできないんです。かといって20代に大きなお金を任せられるかというと、それも難しい。このように互いに無いものを補完することが、ありそうでなかったACの実体なのかも知れません。同様に、ほんとは僕は60代の人たちと組みたい。僕を10歳あげてほしいんですよ。僕が持っている感性、経験、アイデアを、10歳上のレベルで取り組んでみたいんです。そうしたら、今の50代がやっている動きとは、全く違う新しい動きがつくり出せると思います。そういうクロスジェネレーションの取り組みを上の人が提案してくれたらいんだけどね。つまり、「その世代にできること」で社会が動いても、あまり進展がないんじゃないかと思うんです。自分の世代じゃできないこと、もちろん全部がプラスではないでしょうが、マイナスを許容しながら取り組めたらこれまでに無い層ができるんじゃないかなって。なかなか理解してもらえないんですけどね。


―ありがとうございます。最後にこれからの展望についてお話いただけますか?


最終的には国際的な活動として国連とやりたいですね。縮小化社会に入ったと言われていますが、その中でも日本はいち早く縮小化による様々な問題と向き合う点で、先進性があります。そのノウハウはきっと国際社会でも役に立つでしょう。これは以前、山崎亮さんとお話したときにも焦点になったところです。中国やアメリカでも、そう遠くない将来に人口減少が始まり、インドも含めて右肩上がりの成長という社会構造はいずれ終わる。日本がバブル以降経験していることですよ。日本の地域で起こっている減少化と向き合うことで、それがどんな形でできるのかを含めて、何かしらデータやモデル、そしてそれに対応できる人材育成をつくることができたら、日本や海外で右肩上がりをつくることは無理でも現状維持することが実践できる。

文化の違い、宗教の違いあると思いますが、本質的なところ「生まれたところを愛する」のは民族や宗教違えども「人」であれば変わらないと思う。だからモノを持っていくんじゃなくて、そこにあるものを生かして、そこにある文化を広げていきましょう!という話です。だから、河和田とそれ以外の地域で文脈の違いはあっても、あまり関係なく、汎用性があるんじゃないかと思うんです。そういうノウハウを持つ「DO-TANK」をつくっていき、そういう実践に強い人を育てていくことをこれからのねらいとしています。



(精華大学、片木さんの研究室にて)

片木孝治 
1970年生。京都精華大学卒業/名古屋大学大学院研究生(片木篤研究室)。C+A東京一級建築士事務所に勤務を経て、2000年にSALT-DESIGN 設立。現在、株式会社応用芸術研究所 代表取締役/京都精華大学デザイン学部建築学科 特任准教授/NPO法人 京都カラスマ大学 副理事長など、建築や環境活動をはじめ、表現(芸術)をプログラムした地域づくりを手掛ける。

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次回5月の公開は地域経済学を研究される岡田知弘さん(京都大学大学院経済学研究科教授)にお話をうかがいます。