<?xml version='1.0' encoding='UTF-8'?><?xml-stylesheet href="http://www.blogger.com/styles/atom.css" type="text/css"?><feed xmlns='http://www.w3.org/2005/Atom' xmlns:openSearch='http://a9.com/-/spec/opensearchrss/1.0/' xmlns:georss='http://www.georss.org/georss' xmlns:gd='http://schemas.google.com/g/2005' xmlns:thr='http://purl.org/syndication/thread/1.0'><id>tag:blogger.com,1999:blog-4806493550830325696</id><updated>2012-02-16T18:50:03.607+09:00</updated><category term='01'/><category term='02'/><category term='岡田知弘'/><category term='加藤政洋'/><category term='06'/><category term='05'/><category term='04'/><category term='まち飯'/><category term='07'/><category term='宗田好史'/><category term='03'/><category term='about'/><category term='佐々木龍郎'/><category term='片木孝治'/><category term='特1'/><category term='高浜利也'/><category term='untenor'/><title type='text'>QueryCruise3</title><subtitle type='html'></subtitle><link rel='http://schemas.google.com/g/2005#feed' type='application/atom+xml' href='http://qc-3.blogspot.com/feeds/posts/default'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4806493550830325696/posts/default?max-results=100'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://qc-3.blogspot.com/'/><link rel='hub' href='http://pubsubhubbub.appspot.com/'/><author><name>RAD</name><uri>http://www.blogger.com/profile/00204040342751953837</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><generator version='7.00' uri='http://www.blogger.com'>Blogger</generator><openSearch:totalResults>16</openSearch:totalResults><openSearch:startIndex>1</openSearch:startIndex><openSearch:itemsPerPage>100</openSearch:itemsPerPage><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4806493550830325696.post-5884332362240784875</id><published>2012-03-18T14:37:00.005+09:00</published><updated>2011-10-28T20:46:07.629+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='about'/><title type='text'>QueryCruise3—タウンとアーキテクト</title><content type='html'>&lt;div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on"&gt;--&lt;br /&gt;このインタビューサイト「タウンとアーキテクト」は、「QueryCruise（参照：右）」の一環として、考えはじめるとよくわかりづらい「地域」とはどのようなものか、を考えるためのものです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;----&lt;br /&gt;&lt;b&gt;タウンとアーキテクト&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;blockquote&gt;- &lt;/blockquote&gt;&lt;blockquote&gt;今回のQueryCruiseでは、タウン（地域）とアーキテクト（建築家）について考えたい。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;いま、地域が抱えるとされる「大問題」をすぐさま解かれるべきものと早合点せず、私たちが何気なく口にする「地域」という広がりとはどのようなものかを、まずとらえ直してみたい。これまでに考えられてきた制度的な線引きのみならず、さまざまなレベルやスケールで生まれる「地域」なるものを見ること。そして、そこにはどのような問題があり、それはどのように対処されるのが望ましいのかを考えることへと繋げていきたい。一番のねらいは、地域と建築／家との関係性をしっかりと見直してみることだ。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私たちが「タウンとアーキテクト」を思い浮かべるとき、そのイメージはえてしてとてもぼんやりしている。その二つは固定的なものではないのだから、その関係性は慎重に、瞬発的な良い／悪いを超えて考えられたほうがいいと思う。「解けるか／解けないか」の二項対立を超えて、「建築」というフレーム越しにある「地域」という問題を様々な角度から見てみよう。そこから「タウンアーキテクト」のあるべき姿を考え、ことによればその職能の微調整を考えてみたい。&lt;/blockquote&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4806493550830325696-5884332362240784875?l=qc-3.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4806493550830325696/posts/default/5884332362240784875'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4806493550830325696/posts/default/5884332362240784875'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://qc-3.blogspot.com/2011/03/qc3.html' title='QueryCruise3—タウンとアーキテクト'/><author><name>RAD</name><uri>http://www.blogger.com/profile/00204040342751953837</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4806493550830325696.post-8269546716041188289</id><published>2012-01-31T13:25:00.090+09:00</published><updated>2012-02-07T18:40:08.828+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='宗田好史'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='07'/><title type='text'>QC3｜07 宗田好史「「保存再生」から見える地域、人々の動き」</title><content type='html'>&lt;div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on"&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/-HlwYXMnTNdc/Ty0ZpvhLW5I/AAAAAAAAAac/KwPZm4p-VIs/s1600/QC3%EF%BD%9C07+%E5%AE%97%E7%94%B0%E5%A5%BD%E5%8F%B2%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AB%E7%94%BB%E5%83%8F2.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"&gt;&lt;img border="0" src="http://4.bp.blogspot.com/-HlwYXMnTNdc/Ty0ZpvhLW5I/AAAAAAAAAac/KwPZm4p-VIs/s1600/QC3%EF%BD%9C07+%E5%AE%97%E7%94%B0%E5%A5%BD%E5%8F%B2%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AB%E7%94%BB%E5%83%8F2.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;「「保存再生」から見える地域、人々の動き」&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;宗田好史インタビュー&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;今回お話をうかがった京都府立大学准教授宗田好史さんは、都市計画の観点から歴史的環境の保存再生に関して研究され、その成果を出版や講演といった様々な形で社会へと還元されている。京町家や歴史的都市を無批判的に「文化」としその保存再生を即座に是とする議論ではなく、その「保存再生」がいかなる社会的背景において実現し、またどのように都市へと影響を与えるのかをより広い視点から究明されている。今回のインタビューは、「保存再生」というテーマから見えてくる都市や社会の「症状」から、宗田さんの考える可能的「治療法」までうかがった。こうした、現在的な議論の中で見過ごされがちな都市や社会の諸側面への着目は、そのなかに様々な形で現れる「地域」なるものを考える契機となるかもしれない。社会的変化のあり方を、とりわけ人々の動きへと焦点を当てながら語っていただいた。（2011年6月、宗田さんの研究室にて）&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;※&lt;a href="http://qc-3.blogspot.com/2012/01/qc307_30.html"&gt;後編はこちら&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;--&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="font-weight: bold;"&gt;&lt;u&gt;前編「都市計画学、工学、社会学の間から」&lt;/u&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="font-weight: bold;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="font-weight: bold;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="font-weight: bold;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;b&gt;―宗田先生は京町家についてご研究をされていますが、その内容についてお話いただけますか？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;まず、町家といっても都市計画の分野での研究です。京都が町家を再生するには、建築だけでなく、都市計画の問題として何をすべきかを考える研究です。だから、どこに何軒の町家が残っていて、あるいは失われ、それはなぜかを知るために都市計画調査をしました。あわせて、社会学者の方法を真似て町家の住民の調査もしました。それまで、町家は何軒残っているか、その住民はどのように暮らし、働いているのか、また何を考えているのか、分からないままで町家の残し方が分らなかったのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;京町家の本についても書きました（『町家再生の論理』）が、研究としてはまだ表層的なものです。町家再生プランをつくるための予備調査でしたが、まちを歩いて町家の数やお店の数を数えて、それを地図にしただけ。多少文献はあたりましたが、まだ薄いものです。住民についてもアンケート調査で6000件くらいの意見をもらい、その中の250件に訪問調査をしました。それまで誰もやっていなかったから好意的にとらえてくれる人もいますが、それでもしょせん250件、しょせん4年間くらいでしかありません。それでは研究とは呼べませんよ。なぜそんなことを言うかというと、フィレンツェとかベネチアとかローマの研究の蓄積に比べて、まだまだ脆弱な研究だと思っています。そして、町家だけで京都の都市計画は語れないと思っています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;—では具体的にどのような視点が必要だとお考えでしょうか？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;例えば、今、京都の歴史を語る時に抜けているのが天皇に関わる点です。最近、アメリカ人研究者が『紀元二千六百年 消費と観光のナショナリズム』（ケネス・ルオフ）という興味深い本を出しました。いわゆる近代天皇制、つまり明治国家が創造した神話的古代に関する領域。そして国家神道という領域。これらが国家的祝祭として総合的に盛り上げた紀元二千六百年祭（昭和15年）の京都、こうした領域の研究が抜けていました。この年、京都でも政策的に様々な演出が行われ、観光客も戦前のピークを迎えました。実は、戦後しばらくはその惰性で来ていたと思います。その次のピークは東京オリンピック、新幹線開業、そして万博。これらは記憶されています。しかし、たかだか60年70年前、20世紀前半の状況はあまり語られません。それに比べると、僕が留学していた80年代の前半のイタリアでは、二つの大戦間の社会と建築の見直しが始まった頃で、これらに対する徹底的な研究が盛んでした。イタリアの専門家はファシズムを乗り越えないと地方分権や中央集権の議論ができないと考えていました。国家というもののあり方、そして民族というもののあり方。それからイタリアの文化政策に関しても、まず反省でした。そもそもこれらを始めたのはファシズム政権。ファシズムの文化政策はイタリア人のトラウマになっているから、それをどうするのかを議論していた。その反省を戦後世代に伝えないまま、京都では「文化」を語ります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/-Ah0Z9dX6fcY/Ty0jQ9GTzBI/AAAAAAAAAbE/Un-fd3InZyg/s1600/%E7%94%BA%E5%AE%B6%E5%86%8D%E7%94%9F%E3%81%AE%E8%AB%96%E7%90%86.jpeg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"&gt;　　　　&lt;img border="0" src="http://2.bp.blogspot.com/-Ah0Z9dX6fcY/Ty0jQ9GTzBI/AAAAAAAAAbE/Un-fd3InZyg/s1600/%E7%94%BA%E5%AE%B6%E5%86%8D%E7%94%9F%E3%81%AE%E8%AB%96%E7%90%86.jpeg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/-E25S3oxbPcw/Ty0jVBnEjyI/AAAAAAAAAbM/ToB_tud_dNs/s1600/%E7%B4%80%E5%85%83%E4%BA%8C%E5%8D%83%E5%85%AD%E7%99%BE%E5%B9%B4.jpeg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em; text-align: center;"&gt;&lt;img border="0" src="http://2.bp.blogspot.com/-E25S3oxbPcw/Ty0jVBnEjyI/AAAAAAAAAbM/ToB_tud_dNs/s1600/%E7%B4%80%E5%85%83%E4%BA%8C%E5%8D%83%E5%85%AD%E7%99%BE%E5%B9%B4.jpeg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;左：宗田好史『&lt;a href="http://www.amazon.co.jp/%E7%94%BA%E5%AE%B6%E5%86%8D%E7%94%9F%E3%81%AE%E8%AB%96%E7%90%86%E2%80%95%E5%89%B5%E9%80%A0%E7%9A%84%E3%81%BE%E3%81%A1%E3%81%A5%E3%81%8F%E3%82%8A%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%96%B9%E9%80%94-%E5%AE%97%E7%94%B0-%E5%A5%BD%E5%8F%B2/dp/4761524510"&gt;町家再生の論理―創造的まちづくりへの方途&lt;/a&gt;』 （学芸出版社、2009）&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;右：ケネス・ルオフ『&lt;a href="http://www.amazon.co.jp/%E7%B4%80%E5%85%83%E4%BA%8C%E5%8D%83%E5%85%AD%E7%99%BE%E5%B9%B4-%E6%B6%88%E8%B2%BB%E3%81%A8%E8%A6%B3%E5%85%89%E3%81%AE%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0-%E6%9C%9D%E6%97%A5%E9%81%B8%E6%9B%B8-%E3%82%B1%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%AA%E3%83%95/dp/4022599723/ref=sr_1_1?s=books&amp;amp;ie=UTF8&amp;amp;qid=1328356856&amp;amp;sr=1-1"&gt;紀元二千六百年　消費と観光のナショナリズム&lt;/a&gt;』（朝日新聞出版 、2010）&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;例えば平安神宮は平安遷都1300年祭の内国博覧会場として建てられ、「時代祭り」が始まった。そして起源がたいへんに古い「葵祭」にも、昭和31年に始まった斎王代と女人列がある。宮中の祭りをポピュラーな形にしたのでしょう。それから中世の町衆のものといわれる「祇園祭」。これを「京都三大祭り」と言っている。でもそれぞれの文化的背景の違いにはあまり注意が払われません。この三つを一緒くたに京都の伝統文化だと思っている。京都の歴史の積層性を描かないまま、世界遺産である金閣寺や仁和寺、天竜寺などが世界文化遺産に登録され、今も追加登録を待つ数々の社寺があり、一方で世界無形文化遺産に登録された祇園祭や京料理があり、その中で町家の保存を語っている。一方、御所や桂離宮、修学院離宮、陵墓など皇室財産もある。これらをどう取り扱うか？　あるいは世界遺産について言えば京都市が所有する二条城をどう見るか？　歴史都市の壮大な文化を背景に町家再生を市民運動として始めてきたのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―町家再生問題や景観問題には京都の地域が持つ難点が現れて来ているようにも感じられるのですが…&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そんな大げさなものじゃないと思います。僕はしょせん工学屋だから、例えば水道なるものが発明されたら「水道を敷きましょう」、電気なるものが発明されたら「電気を引きましょう」、同じように「下水掘りましょう」、「道路舗装しましょう」などなど、それと同じように、今何をつくるかというと景観、今何やるかというと町家保存というだけだと思います。時代とともに新しい都市機能が必要になってきたように、都市をつくっていこうと思えば、その時代あるいは社会の変化、要請に応じた仕事があるわけです。今はニュータウンをやっても仕方がない。高速道路もそう。都市計画がそういうことを研究しても仕方ない時代だと思います。僕らは景観法ができる遥か以前から町家再生と言ってきましたが、ようやく僕らの出番が来たなと思って仕事しているだけです。ヨーロッパに比べ40年、アメリカに比べて30年くらい遅れたけれど、美しい歴史都市をどう創造するか、ということを都市計画から考えています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ただ、そうした工学的なところとは別に、京都の文化や都市社会の成熟という課題を考えています。僕らは、京都の現代社会、文化のあり様を見ていて、あまり矛盾しない都市づくりを進めようとします。それが民主主義では大きな原則ですし、都市計画の社会的役割です。だから町家再生の話をとっても、町家再生をうまくやれば世の中の人は京都の市民社会の文化活動だと認めてくれるわけです。多くのアーティストも共感し、喜んできてくれる。「創造的まちづくりの方途」という副題がついた『町家再生の論理』は、我々工学屋としてどう進めていけばいいかということを書いています。その都市を創造的まちづくりという大きな流れに乗っけるためにはこういう方途があるわけだから、ただ厳しく景観規制するような下手なやり方をするべきではない、と。もうちょっと賢くリーズナブルに、今の時代にあった創造的まちづくりがありますよ、と。ただそこは文化論が分かってないと、いま誰が主人公で誰を動かしたら時代の流れに乗れるかということを分かっていないとできません。その部分を理解するためには、京都は研究の蓄積がまだ薄いと思います。そういう議論がちゃんと起こってない。京都の近代にあえて蓋をしたように見えます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―「地域」なるものはその中でどうやって位置づけられて来たのですか？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「地域」というと日本では曖昧な言葉ですね。リージョナル・ディベロップメント（地域開発）を意識するなら、TVAや南イタリア開発、現在ではEUのアーバン／リージョンという政策につながってくる、いわゆる「分裂と統合のヨーロッパ」と呼ばれるようなところを考えないといけない。一方で、地域社会、コミュニティという意味でその言葉を使うなら、コミュニティ計画の系譜をルイス・マンフォードやその前のマックス・ウェーバーが都市社会を説明していて、近代化の過程でゲマインシャフトとゲゼルシャフトを分けて捉えることもありました。都市計画では、フーリエやサン・シモン、ロバート・オーウェンは新しいコミュニティを提起し、現在のニュータウンづくりには、クラレンス・ペリーの近隣住区論、スクール・ネイバーフッドの理論が参考にされました。それに、広域を指す「リージョン」と「コミュニティ」でいう地域を繋ぐ概念をパトリック・ゲデスというスコットランドの計画家が提起しています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そしてニュータウンにおいてコミュニティ計画がどうあるか、イギリスではどうか、日本ではどうか、アメリカがどうだという話になる。戦後60年代70年代の社会改革の時代、パリ5月革命が起きた時代に市民参加がどうあるか？　そこでパリに注目するならパリ・コミューンはなんだったのか？　イタリアの住民参加は？　という具合につながってくる。日本では、近代化とか戦後の民主化を経たことで伝統的な地域社会は変わったのですが、欧米のような整理が不十分なまま、現代と伝統を取り混ぜつつ、相互扶助が大切だと言っている。京都でも市民参加推進計画があり、その推進フォーラムを6年務めましたが、その議論は、地域の伝統的な学区の自治、連合自治会や社会福祉協議会というものを単位にした、ゲマインシャフトを大切にしつつ、90年代後半に盛んになったボランティアとか、NPOに少しずつシフトする流れをどう位置付けるかということでした。もちろん会社組織などゲゼルシャフトに属している人も多い訳で、地域でも会社でもなく、第三の道としても市民活動を捉え力にしようと考えていました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;学区のまちづくりが盛んなところでは「町内会に皆さん入りましょう」という流れが出てきます。地域恊働型都市計画といって、地域のなかにまちづくり協議会をつくって景観規制を考えてもらおうともしました。東京や横浜でなされているようにNPOがまちづくりを担うというやり方もあるでしょう。市民専門家を育成する市民景観マネージャーのような動きもある。その一連の流れの中でタウン・アーキテクトをつくるという話も出ました。だけど、いまそのどちらにもシフトできないから、そのどれにも属せない市民が右往左往している。そんな状況で、新しい組織形態ができても結合紐帯がうまくできていないから「地域」なるものの定義はますます曖昧になっている。そういう説明ができるかな。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―京都における「地域」の変遷はどのようにあったのでしょう？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;京都で言うと『町内会の研究』（御茶の水書房、1989）という本があります。戦前に「公道組合」というものがあって、国家総動員法のときに大政翼賛会という全国的な組織をつくり、その下に町内会や隣組を全部組織化してしまった。そうやって末端に組み込まれるから、戦後GHQが「町内会禁止令」を出したのです。京都ではその対応で「市政協力員」という制度がいまでも残っている。この本で言っているのは、町内会が行政の末端機構となって戦争中は供出と配給を担っていたのだ、ということですね。供出というのは軍事産業に使うための物資を出せということ、あるいは国債を買え。国債を買えということはつまり、お金出せ、ということ。その推進を町内会に任せた。要はノルマを出したわけです。モノとカネ。一方で配給は米や衣料切符とかを配給する。それを町内会に担わせる。すると町内会長は絶大な権力を持つわけです。案の定、汚職も、もちろん極稀ですがありました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―そのときの町内会の規模は？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今とまったく同じです。とりわけ都心部の旧町内は地理的には変わっていません。しかし、今と当時では人口も世帯数も随分違います。また、戦後に新しくできた住宅地は違います。当時田んぼだったわけだから（笑）。20世紀の前半には前世紀の伝統も色濃く残っていたのでしょう。……ところで、町家の間口が狭いのはなぜか知っていますか？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―税金の問題が、という話を聞きますが...&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;という話を聞きますね。でもあれは間違いです。まず税金というものがいつスタートしたか。近代です。税を取るのは近代国家の根幹だからその仕組みを明治に作ったのです。江戸幕府は小さな政府を志向していたから全部町民に任せました。だから京都所司代（しょしだい）には与力30 - 50人、同心も100人しかいない。でも担当は近畿地方全域、京都市内向けには町奉行を置きました。でも与力は20人、同心50人ほどだそうです。それもできれば町民のガードマンにまかせる、つまり「自分たちでやれ」ということですね。それでどうするかというと「町年寄（まちどしより）」という町人の代表に任せる。上京、下京というように分けて、その上何人かに任せて連帯性にする。町年寄はその下の「町名主（まちなぬし）」へ任せる。町名主は町内に「家持（かもつ）さん」を抱えている。これは要するに財産を持っている人です。財産を持ってない人からは金はとれませんからね。そして町名主の支配下にある家持が15人とかいると、その人らが集まるのが「寄合（よりあい）」。町年寄は町名主に命令する。所司代が例えば「今度橋をつくります」というと、その話を町名主に伝え、負担金を集めてもらう。どのくらい出すかはそれぞれで決めればいい。そうやってノルマを決めていくわけです。じゃあどう決めるかというと、間口の大小で額を決めた町内があったのでしょう。今風に言えば、資産価値、つまり固定資産税の算定基準に応じて決めればいいのだけれど、基礎となる測量図があるわけでもない。あとは使用人の数や売り上げで決めたところもあるでしょう。でもとりあえず負担金を簡単に決めることができたのが間口によってでした。それが一番よく使われた。当時の具体的な記録がきっちり残っているわけではないけど、人々の記憶にそういう形で残ってしまった。「大きな店を構えると負担金が大きい」というのは家主の教訓だった。でもいまではそういう秩序も失われてしまいました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/-joe-5HiQP7k/Ty0lkEpdWdI/AAAAAAAAAbU/OfR1ILwTtX0/s1600/IMG_2628.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"&gt;&lt;img border="0" src="http://2.bp.blogspot.com/-joe-5HiQP7k/Ty0lkEpdWdI/AAAAAAAAAbU/OfR1ILwTtX0/s1600/IMG_2628.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="text-align: center;"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;町家改修店舗が並ぶ通りの一例&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ただ、面白いのは、まだ間口割で町内会費を集めているところがあって、伝統を残している町内が僕の知っている限りでも3つはあります。新しい住宅地だったら、誰からでもまんべんなく一世帯いくらと決めてしまうでしょうね。「そのほうが民主的だ」と思う人もいるでしょうが、平等イコール民主主義ではないという意見もあります。所有資産が違うのだから、同じ金額では負担感が違うでしょう。だから間口に応じた方法が合理的だという意見もあるでしょう。こんな複雑な仕組みを独自に考えられるのが自律的だということかもしれません。昔、地域では「家持さん」、つまり財産を持っている人が少数、しかし持たない無産階級が膨大にいたのです。有産階級が応分の責任を果たしていたのでしょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;近代のヨーロッパの歴史は、まず有産市民階級（ブルジョアジー）が革命を起こし、一定の平等社会を実現した国がある。しかし、そう進まない国では、無産階級（プロレタリアート）が共産革命を起こしました。でも日本では市民革命も、無産階級の革命も起こりませんでした。だから、一部に伝統社会を残しながら、民主主義が始まり、未だに市民社会のあり方が脆弱で曖昧な部分を残しています。誰もとことん議論したことがないから、どこまでが到達点なのか分からないでいます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「町家は町衆文化」の表象だという人がいます。でも町家の住民が即、町衆と言う訳ではないかもしれません、実際、町家に暮らしていたのは、戦後になっても丁稚奉公の名残が残る従業員でもあります。彼らは「あんなむさくるしいところで、あんな封建的な支配をうけて働かないといけないなんて絶対に嫌だ」「あんな町家は早くこわして、近代的なビルを建てて、普通の社員になりたい」という声がありました。町家の奉公先で苦労したために、町家嫌いになった人は相当数います。だから町家が壊される時代が70年代までつづいていたし、80年代になっても、町家の再生が進まなかったという側面もあるのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―では宗田先生は町家問題へとどのような姿勢をとられていますか？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;保存が大前提です。しかし保存するためには市民のコンセンサスが要るから、市民が望まなければ町家の保存も再生も意味がありません。でも大部分の市民は「自分には関係ない」と思っています。とはいえ、この大部分の市民がコンセンサスの主体です。だから「町家は楽しいよ」と水を向けてみる。楽しいと分かれば、いろいろ遊んでくれる人が出ますから、その動きが阻害されないように陰で応援します。一方で、町家の住民には、いろいろな思いがあるでしょうが、この町家は贅沢ですよと伝えます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;我々保存屋、歴史的な都市環境の保存をする者は、住民、市民に働きかけるところからはじめます。働きかけて、実際動いてくれたら市民の皆さんの運動になります。そのためには、相手を知らなければなりません。だからまずは診察。お医者さんのように、患者さんの状態を克明に調べて、その後でいろいろ考えて診断します。こういう症状が出ているということは、つまりどういう病気なのか？　それを決めていくわけですね。症状の原因である病気が分れば治療計画がつくれます。このとき患者さんが自分自身で治っていく力をもっています。これを治癒力という。治癒を早くするのが治療です。治癒力を引き出すような治療がいいわけです。つまり、町が発展する力は、市民自身が幸せになろうとする力です。一人一人がよりよい暮らしを求め、そのためには皆で力をあわせようという流れをつくるのです。町家の保存再生にはいろんな問題があるけれど、根本の意識改革をすればよりよい京都らしい暮らしができますよと、町家再生を進める住民・市民の力を引き出そうと思うのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;実際に調査をしてみると、町家はみんなが言うように職住共存です。前で商売して奥で暮らす。職住共存がどんどん減って住宅化しています。都心の田の字地区だけで調べて、商売しているのは48％。その商売は、1、小売店、2、繊維問屋、3、和装関係の職人さん。どれも衰退業種です。商業統計見るまでもなく日本中から小売店鋪は減っている。流通革命が起こって、大型スーパーやコンビニが増え、商店街がシャッターを降ろす。和装は減少し、それで伝統産業の職人の仕事も減っている。じゃあこれからどうなるか？　嘆いていても仕方がありませんよ。この流れは簡単に止まらない。商売をたたんだ町家は住宅化しますが、町家の住宅は残るのか？　実は住宅は残りにくい。例えば相続で資産を兄弟で分けようとすれば、簡単なのは家を売って現金で分割することです。世代が変わると、同じ街の同じ家で住む人はたいへん少なくなっている。親が住んだ家に子の世代が住むのはたしか20％を切りました。子が住む場合でも建て替えます。そういう意味で住宅は脆いのです。住民は常に変わるのです。町家が住宅として残るには、むしろ子供ではなく、町家がいいという新しい持ち主が必要なのです。売買で持ち主は代わるが、町家はそのまま残る……　そう考えると店舗は売買され、経営者が代わりやすい、テナント物件だったら経営者はもっと代わりやすい。町家がいいという人が次々と入ればいいのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;常識的には、町家を文化財に指定して保存する方法を考えます。でも、個人所有の、それも小さな建物を文化財として個人が維持管理するのは厄介だと思われています。手続きも厄介ですが、土地建物という資産を売りたい場合もあるし、相続は必ず起こります。よほど資産に余裕がある人でなければ文化財を敬遠します。景観重要建造物など、他にもいろんな手があります。でも、制度を考える前に、普通の町家所有者の現実の問題、つまり不動産としての町家が市場の中で残っていくようにしないと保存はできないのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;町家再生を考える人は、この点をあまり詳しく見ません。町家の改修を発注した施主、店の経営者が青色申告をどうしているかなんてあまり考えません。一般に、建築家は事業者が将来どう経営しているか、これから10年間どうなっていくかが分からない。経済状態も変わるからです。ただ、年収も問わない。にもかかわらず1億、2億の工事を簡単に提案する。銀行であれば1億融資するとなると、こっちの帳簿をずっと見てきて、それをいろんな経済データに合わせて商売の見通しをつくってくれます。町家も同じで、そこまでシミュレーションしてあげないといけません。そのとき町の元気さを見ていくことから始めます。例えばどういう業種なら町家を好んで使ってくれるか？　レストランもその一つ。考えてもみれば、町家レストランといっても美味しさで名を上げた所は本当に少ないでしょう。そこではたと気づく、ああこれは付加価値なんだ、と。この程度の料理でも店が続いているってのは雰囲気がいいから、それが町家の価値だとわかります。大げさに言うと、これが町家の文化的価値、彼らはそれを上手に使っているのです。建築の社会的意義をよく理解していることだともいえます。&lt;br /&gt;&lt;div&gt;&lt;div style="font-weight: bold;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="font-weight: bold;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="font-weight: bold;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;※&lt;a href="http://qc-3.blogspot.com/2012/01/qc307_30.html"&gt;後編へつづく&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;--&lt;br /&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;プロフィール&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;&lt;b&gt;宗田　好史&lt;/b&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;&lt;b&gt;むねたよしふみ&lt;/b&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;1956年浜松市生。法政大学工学部建築学科卒業、同大学院を経て、イタリア、ピサ大学・ローマ大学大学院にて都市・地域計画学専攻、歴史的都市保存計画、景観計画の研究。歴史都市再生政策の研究で、工学博士（京都大学）。国際連合職員を経て、1993年より京都府立大学准教授。国際記念物遺産会議理事、京都市景観審査会委員、京都市歴史風致まちづくり推進協議会委員、他。東京文化財研究所客員研究員、国立民族学博物館共同研究員などを歴任。主な著書に、『地域共生のまちづくり』（共著、学芸出版社、1998年）、『まちづくりの科学』（共著、鹿島出版会、1999年9月）、『中心市街地の創造力－暮らしの変化をとらえた再生への道』（学芸出版社、2007年）、『町家再生の論理－創造的まちづくりへの方途』（学芸出版社、2009年）、など多数。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4806493550830325696-8269546716041188289?l=qc-3.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4806493550830325696/posts/default/8269546716041188289'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4806493550830325696/posts/default/8269546716041188289'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://qc-3.blogspot.com/2012/01/qc307.html' title='QC3｜07 宗田好史「「保存再生」から見える地域、人々の動き」'/><author><name>RAD</name><uri>http://www.blogger.com/profile/00204040342751953837</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://4.bp.blogspot.com/-HlwYXMnTNdc/Ty0ZpvhLW5I/AAAAAAAAAac/KwPZm4p-VIs/s72-c/QC3%EF%BD%9C07+%E5%AE%97%E7%94%B0%E5%A5%BD%E5%8F%B2%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AB%E7%94%BB%E5%83%8F2.jpg' height='72' width='72'/></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4806493550830325696.post-1069300236090815201</id><published>2012-01-30T14:59:00.051+09:00</published><updated>2012-02-07T18:43:15.292+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='宗田好史'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='07'/><title type='text'>QC3｜07 宗田好史「「保存再生」から見える地域、人々の動き」</title><content type='html'>&lt;div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on"&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;「&lt;/b&gt;&lt;b&gt;「保存再生」から見える地域、人々の動き&lt;/b&gt;&lt;b&gt;」&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;宗田好史インタビュー&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;※&lt;a href="http://qc-3.blogspot.com/2012/01/qc307.html"&gt;前編はこちら&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;--&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="font-weight: bold;"&gt;&lt;u&gt;後編「不動産としての建築、その裏にある人々の動き」&lt;/u&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="font-weight: bold;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="font-weight: bold;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="font-weight: bold;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="font-weight: bold;"&gt;―ここで問われている、建築あるいはその保存の社会的意義について、もう少しご説明いただけますか？&lt;/div&gt;&lt;div style="font-weight: bold;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="font-weight: bold;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;では新風館*を例にあげてみましょう。高島屋と新風館はどう違うか？　僕は、新風館を設計したNTTファシリティーズさんと一緒に雑誌の特集記事を書いたので詳しく聞きました。改装時に、建築工事費に対して売り場面積がどのくらいとれるかが新風館はまず決定的に不利。そしてその売り場面積に対する「単位面積当りの売上高」にしても圧倒的に高島屋が高い。客の数も断然違う。新風間の中庭は楽しく、建築的にも成功しているのですが、営業的にはかなりのことを犠牲にしている。つまり、新風館は商業テナントビルとして高島屋の効率性とはまったく逆のことをしている。じゃあなんでそんなことをNTT都市開発が許したんだろう？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/-jepHTfTUpVw/Ty0mqBk-nNI/AAAAAAAAAbk/lSgWXbYxI-o/s1600/IMG_2633.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"&gt;&lt;img border="0" src="http://4.bp.blogspot.com/-jepHTfTUpVw/Ty0mqBk-nNI/AAAAAAAAAbk/lSgWXbYxI-o/s1600/IMG_2633.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;*新風館（上写真）：近代建築のゼツェッションに影響を受けた吉田鉄郎の京都中央電話局をリチャード・ロジャーズとタッグを組んだNTTファシリティーズが保存改修した事例&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;地価があがるからだと思います。NTTは新風館のとなり巨大な土地建物を持っている。三条通りに面したビルです。NTTという大きな会社の財務状況には所有資産の価値が影響します。グローバル化の中で海外の同業他社と競争しないといけないし、国内もそう。とりわけ競争が激しい通信事業で戦わないといけない。世界には強い通信事業者がいる。携帯電話ではnokiaが大成功したし、今はiPhoneが世界を変えた。本来ならNTT他、日本の通信事業者、携帯電話メーカーがもっと頑張れる分野でしょう。だからNTTは、そのための投資が要る。それもR＆D（研究開発）にも多大な資金を必要としています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その借入には、健全な財務状況が不可欠です。全国の主要都市すべてに膨大な不動産を持っているNTTの資産価値は地価の影響を大きく受けます。地価が上がる限り、投資しやすい。でも下がれば財務体質は悪くなる。そこで売るほうがいいか、持っているほうがいいか？　事業を続けるなら持っていたほうがいい。NTT西日本が持っている土地の中で、どこで地価を上げられるかと言うと、大阪、京都、神戸。田舎の街にある電話局は二束三文にしかならないし、土地も建物も持っていても使い道がない。じゃあ大都市で、その建物を商業ビルとして経営するというリスクを冒してまで出て行くか？　リスクを冒さずに財務状況がよくなればいい。都心なら着実に財務状況をよくすれば、それで十分だと思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;新風館の最初の館長はテナントリーシングで京都にない会社を東京から連れてくるということで成功した人ですが、オープンしてからやったことは、新風館周辺にどれだけお店が増えたかを丁寧に数えていました。新しい店ができる度に「新風館の館長です」と開店祝のお花を届けた。「仲良くしましょう」と。人柄がいい方なのですが、それだけではない。情報交換したいのです。客の入りを聞きたい。営業状態を聞きたい。この間、京都の都心では新規出店の中心が西へと大きく流れていました。その結果、今は地価では烏丸通り沿いが、河原町通り沿いに並ぶように上がってきました。オフィス街烏丸通で、デパートと競っても仕方がない。勝てません。じゃあどうすれば人の流れが変わり、商業立地環境が改善され、地価が上がるかを考えたわけです。リチャード・ロジャーズに依頼して、戦前の古い電話局の建物を保存再生したデザインにしました。僕らが町家再生に対して言っていることと全く同じ。そういう成熟社会に向けた大人のセンス世界がある。なぜロジャーズかというと、彼がヨーロッパで手がけた再生建物はセンスがいいし、一般の人に人気ある商業施設になるからです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;東京の丸の内では三菱地所が一号館をきれいにしましたね。都市はきれいで美しいほうが地価が上がり、会社の経営がうまく行く。都市経営と自分たちのビジネスモデルとがどうあうのかを分かって設計している人たちがいて、それが例えばNTTファシリティーズです。そして三菱地所やNTTはそういうことをわかって建築家を呼ぶ。だからリチャード・ロジャーズに声をかける。彼も母国で慣れているからピンとくる。日本の建築家じゃそうはいかない。高度経済成長期に「これからよくなっていくぞ」という中で建築家と夢を見ましょうという時代と、今のように成長の限界が見えてきて限られたパイをどうしていくかというときに町並み保存、あるいは人口減少の中で都市の経営をどうするかという時代とでは、建築家に求められる社会性が違うのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/-oOPa0BUsGRU/Ty0m6zxthEI/AAAAAAAAAbs/iX9d-WLtxaE/s1600/IMG_2634.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"&gt;&lt;img border="0" src="http://2.bp.blogspot.com/-oOPa0BUsGRU/Ty0m6zxthEI/AAAAAAAAAbs/iX9d-WLtxaE/s1600/IMG_2634.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="text-align: center;"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;新風館の隣にあるビル&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―ヨーロッパでもそうした建築を手がけられる建築家は一部だと思いますが、他の建築家はそのような状況へとどのように関与しているのでしょう？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;イタリアには建築家が多い、はいて捨てるほどといいますが、仕事はまずありません。でも保存とか再生という仕事をコツコツやって、生涯にひとつふたつ新しい仕事をして生きている。僕の友人のローマの建築家は小さなお店やってる人の帳簿をつけてあげていますよ。パソコンを持ち込んで青色申告のお手伝いをしてる。靴屋だったか服屋だったかの財務状況を見てあげているんです。どの国でも、建築家は器用で賢い人が多いから、税理士のようなこともできる人がいるわけですね。なぜそんなことしているかというと、財務状況がよくなれば仕事を出してくれるから。あるいは自分が改修した店の帳簿を見ないと、その改修がよかったか悪かったかが分からないから。そこまで面倒みてくれたら、店主はその建築家を離さない。建築家は変えられるけど、税理士は変えたくないからね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そのくらい面倒見ながら、その立場に立って、「じゃあどういう店にしましょうか」と言えたり、あるいは次の店を開けるところまできたら大したものです。そうしたら堂々と「これくらいの金を建築に使え」と言える。でもこういうことをしている人はやはり少ない。それはある意味で致命的かもしれない。店主にとっては、お店をつくりかえる、改装するということが一番大きな投資です。どの国でも、建築投資はすごく大きい。我々にとっても、住宅ローンはすごく重い。起業する若手は、まず、店を借りて始めますが、家賃と改装に費用をかけ過ぎて躓く人も多いのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;街中で消える店はバブル期の地価が高いときに店を買った人です。資金計画が甘かったけど、そもそも地価が高すぎた。もともと町家再生店舗が広がってきたのは、路地裏の長屋。そんなとこで商売をはじめる人たちがポツポツでてきたのは家賃が安かったからです。お兄ちゃんが小さな商売はじめようと思うと、最初に「新規開業貸付」を国民生活金融公庫から借り、用意できる額はおおよそ400万程度。そうすると最初に、店を探す。家主にとっては店舗に貸すのはリスクが大きいから、とりあえず先に一年分収めて下さい、ということで商売の場合は権利金として10ヶ月分以上を最初に入れます。韓国だと最初に10年分という例もあるそうですね。大阪もそれに近いです。権利金に400万のうち200万を当てようと思うと、月20万が限界。店舗に使う面積を5坪から10坪と考えると、坪3万とか4万でしょうか。ビルだと一坪10万を超える物件がほとんどですが、長屋だと坪1万とか1万5千円でいいというところがある。そこで5坪くらい。すると家賃は5万7万で済みます。権利金も80万で収まりますね。でもどうしても汚い。ならば友達を呼んで内装を50万くらいでおさえたい。あとは食器に凝ったり美味しい酒を集めたりする。そういう形で、イニシャルコストをぐっと押さえながら個性的な店ができてきたわけです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;これが下手な建築家や下手なコーディネーター、マーケッターに頼んでみたらひどいことになりますよ。すぐに「1000万は必要ですね」なんてことを言ってしまう。でもそのリスクは誰が持つのでしょう？　彼らが言うようにできる人なんて、すでに成功している人たちです。バイト上がりのお兄ちゃんには無理です。でも、元気なお兄ちゃんが個性的な店をやってくれないと街は面白くならない。そのためには長屋がいる。だからジェーン・ジェイコブスは昔『アメリカ大都市の死と生』の中で「都市にはどうして古い建築や小ブロック、路地が要るか？　それは小さな商売人が入るためであり、移民の家族が入るためです」ということを書いている。実は彼らの多様な暮らし方がNYのパワーや経済を支えている、ということを指摘したわけです。彼女の主張の大切な点です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―では、京都という地域が今後とるべき方針についてどのようなお考えをお持ちですか？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;60年代70年代、万博を前後にして世の中にものすごい影響を与えていた梅棹忠夫先生の京都論をこの前もう一度読んでみましたが、時代の流れを感じました。当時はエネルギー溢れる時代だったのです。先生は実際に当時の都市計画に大きな影響を与えています。現在、彼に匹敵するようなオピニオンリーダーはいません。でも当時想定していた、京都高速をつくり、京都駅ビルをつくるような、80年代の終わりからの京都開発論はもうなくなりました。北大路ビブレ、醍醐の開発、二条の開発などなど、五大開発事業というものがあったのですが、それも終り、京都市は高速道路なども見直しています。お金も必然性もなくなったのです。それに、一部の市民からコテンパンに言われてしまった。戦後の開発主義的な京都の像は現在完全に影を潜めました。もちろん、一部の人々はいまでも実現を主張していますが。70年代当時に考えられた京都の再生、京都開発、つまり高度経済成長当時の開発の夢というのはもうない。誰も信じていない。だから今「京都創生」といって、まず歴史的景観を守り美しい京都を創りましょう、そこに伝統を受け継ぐ新しい文化を生む文化政策を深めましょう、それが京都の観光を質的に高めていくという考え方です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そしてその「京都創生」の考え方をベースに、京都市の基本計画が策定されました。僕は起草委員長を務めたので皆さんの議論をまとめて6つ未来像に示しました。景観政策はある程度できたから、次に文化創造を目指そうという話をしています。歴史的景観を上手に活用していくことは経済発展の一つのモデルです。京都のモデルは東京型ではない。つまり、アメリカのグローバルシティ型でなく、ヨーロッパのリージョナルシティ、つまり小さな国の首都ではあるがEU全体では地方都市というタイプです。だから、ビジネスセンターを入れるような大きいビルはそういりません。古い建物を美しく維持して、人々の創造性を刺激する場とします。金融経済の中心ではないが、文化経済の拠点として生産性の高いビジネスモデルをつくろうと言っています。ニューヨークではなく、パリになりたい、あるいはフィレンツェになりたいという方向性です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;では、パリとフィレンツェなどの都市では発展の鍵をどう考えているのでしょう？　いろんな見方がありますが、僕の場合はアートだと思います。例えばパリに観光客がくる、そのとき買うのはまず絵はがきやエッフェル塔のミニチュア、その後、ファッションに移ります。そこでブランドものが人気になる。それが、行き着くところはアートでしょう。ブランド品は日本のアウトレットモールでも買えますが、小さな店を回りながらお洒落な品々、やがて画廊に寄って少し高いけれど手頃なアート作品を買うようになっています。アートを都市経営から見ると、そのお店の総資本経常利益率はかなり高いのです。売上高純利益率も高い。アーティストにとっても作品の原材料費はいくらでしょう？　場合によってはその額を100倍以上にして売ることだってできるのです。対照的に一番低いのはコンビニのような商売で、極端に言えば100円で仕入れたおにぎりを105円で売っています。その5円で光熱費や人件費ほか全てのコストを出すわけだから、コストを削りつつたくさん売らないといけない。そう考えると、美術くらいその売り上げ純利益率を高くできるものはないのです。もちろん、アーティストはそんなことはまったく考えないでしょう。でもそれを考える経営者はいるでしょうね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―ただ、そうした状況を政策という形でコントロールすることは可能でしょうか？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;難しいのです。ただ文化政策をとっても、「ヨーロッパにこういう考えがある。こういう事例があるんです」と表面的にさらって紹介するだけではそれでおしまいになってしまう。そもそも文化政策論というのは、バブル崩壊で自治体の予算がきびしくなり、文化政策の予算が削られましたという背景のなかで、それに対する巻き返しとして文化に予算つけないとダメですよという、役人が御用学者を巻き込んで予算の取り合いをしているような面がある。まだ余裕のある自治体が、文化にお金を出しているのを他の自治体が羨ましく思っているという状況なのです。制度をつくれば予算が付きやすいというだけで、具体的な文化政策の進め方はあまり考えていません。アートカウンシル制度をつくって民間や市民の代表に任せようというところまでです。でも、アーティストが集まる、素人の市民が意見を言ったからといって、優れたアーティストが育つはずもないでしょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;一方で望ましいあり方をしている都市では、アーティストとちゃんと対話をしています。アーティストと一緒に文化を育ててきた。「文化政策」なんていう名前は、その状況を見て本を書いたり論文を書いたりする仕事をしている人たちが後からつけただけです。そう考えると、僕らとしてはヨーロッパでの考え方を表面的に紹介するんじゃなくて、望ましいやり方を日本で応用したい。そのためには治療法を知っていればいいだけじゃなくて、診察しないといけない。だから調査をする。そこではじめて習ってきたことをどうやって適応するかが分かります。理論だけならば本を書けば済む。でも僕らは工学屋だから自分で応用したくなるのです。応用してダメだったものは自分が学んでなかったのだと思う。ならばもう一回戻ってそこを学ぶ。だからアートはこれからだと思うけど、難しいと思うけど、やれなくはないでしょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そして政策というのはその「応用する」ということだと思います。何を具体的にするのか、ということです。だから美術館をつくり、展覧会を支援するなんていう単純なことじゃない。京都そのものが文化なのだから、それをどう見るかです。砂漠に文化を起こすわけじゃないから、京都をどう理解するかです。例えば町家もそう。京都全市で4万7千件、数だったらヨーロッパに負けないけど、町家はアートの器、インキュベータです。優れた美術品をもっているお宅が多いし、今それを見せはじめた人たちがいます。ただ、町家が高層ビルの間に埋没しているから力を発揮しない。そういう意味では60年代にできた現在の都市計画法とその制度が京都にはあまりよくなかったということです。それが建築をちぐはぐにした。町並みを建築的に整理してあげれば、美しい町並みができるはずです。文化遺産も美しく生きるのです。そしてその建築を調整するのが都市計画であり、実際に美しい町並みをつくるのは建築家なのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―都市計画という立場からそのような状況をどうご覧になられていますか？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;もちろんこれは僕の論ですが、都市計画家としての立場から言うと、アーティストたちを大事にしてパリもフィレンツェも頑張っていると思います。こういう人たちがいよいよ登場できるところまでくると都市の経済は大分楽になるな、と。少なくとも観光は楽です。百貨店の大売り出しとか清水寺のご開帳と違って、ルーブル美術館や町中の画廊でコンスタントに企画展が開かれていて、ベネチア・ビエンナーレではないですが世界中から作家がわざわざ作品を持ってきてくれる。それは強い。京都の街がこれだけきれいになったのだったら、もうすぐできるような気がします。そういう点でアートには可能性があると思っています。ジェーン・ジェイコブスが言うように、アーティストは古い街に住み着くものです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そもそも京都の町家を最初に見つけたのはアーティストだったのです。僕らより早かったですよ。18年も前ですが、西陣に住み着いた陶芸家の若い女性をよく思い出します。一人で住み着いた横浜の子でした。そのときに気づいたのだけど、この汚い町家を見たときにこれが奇麗になるということを彼女はイメージできたのだろう、陶芸家にはそういう能力があるのだろう、と。ミケランジェロが大理石の山を見て「この中でダビデが生まれたいと言っている。自分はそれを助けてあげる」ということを言ったように、陶芸家は土から奇麗な作品をつくるのだ、と。これは僕にはない才能だなと感動しました。だからアーティストはNYのグリニッジビレッジに住み着く、ロンドンのSOHOに住み着く。そういうことが町家でも起こったわけです。これは京都の街が持っているすごい治癒力なのだと思ったのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;考えてみれば、建築家と建築はまた別物で、そこに町家や町並みがある限りいろんな人たちがそれを見ています。つまり建築家だけが建築を見ているだけじゃない。そもそも建築学科を出ていようが、美大で陶芸をやっていようが、教育が違うだけであって両方とも建築家なんじゃないかと思いませんか？　ベースにあるのは美意識です。都市を美しくしようというときに、建築教育が本当に役に立つかどうかは分からない。少なくともさっきのケースでは陶芸家の方がよっぽど建築を理解しているかもしれないと思うのです。もちろんその人に設計を任せようとは思いませんが。でもその瞬間に求められる建築の美への理解力は圧倒的に彼女の方が高かった。そうであれば、建築家だけが建築を分かるなんて定義する必要はまったくない。建築基準法の知識は都市にとって常に必要とされるものじゃない。「これは二項道路に面していません」とか「耐震性を満たしていません」とか、もちろんとても大事なことだけど、それが逆に想像力を潰してしまうことだってあると思うのです。（了）&lt;br /&gt;&lt;div&gt;&lt;div&gt;&lt;div style="font-weight: bold;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="font-weight: bold;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; font-weight: bold; text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/-huTHFPzKSvE/Ty0qA_8tmkI/AAAAAAAAAb0/6wqhqU5eH1s/s1600/QC3%EF%BD%9C07+%E5%AE%97%E7%94%B0%E5%A5%BD%E5%8F%B2%E3%81%95%E3%82%93%E7%94%BB%E5%83%8F.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"&gt;&lt;img border="0" src="http://3.bp.blogspot.com/-huTHFPzKSvE/Ty0qA_8tmkI/AAAAAAAAAb0/6wqhqU5eH1s/s1600/QC3%EF%BD%9C07+%E5%AE%97%E7%94%B0%E5%A5%BD%E5%8F%B2%E3%81%95%E3%82%93%E7%94%BB%E5%83%8F.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; font-weight: bold; text-align: center;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="font-weight: bold;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="font-weight: bold;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;--&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;プロフィール&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="font-size: small;"&gt;&lt;b&gt;宗田　好史&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="font-size: small;"&gt;&lt;b&gt;むねたよしふみ&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="font-size: small;"&gt;1956年浜松市生。法政大学工学部建築学科卒業、同大学院を経て、イタリア、ピサ大学・ローマ大学大学院にて都市・地域計画学専攻、歴史的都市保存計画、景観計画の研究。歴史都市再生政策の研究で、工学博士（京都大学）。国際連合職員を経て、1993年より京都府立大学准教授。国際記念物遺産会議理事、京都市景観審査会委員、京都市歴史風致まちづくり推進協議会委員、他。東京文化財研究所客員研究員、国立民族学博物館共同研究員などを歴任。主な著書に、『地域共生のまちづくり』（共著、学芸出版社、1998年）、『まちづくりの科学』（共著、鹿島出版会、1999年9月）、『中心市街地の創造力－暮らしの変化をとらえた再生への道』（学芸出版社、2007年）、『町家再生の論理－創造的まちづくりへの方途』（学芸出版社、2009年）、など多数。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4806493550830325696-1069300236090815201?l=qc-3.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4806493550830325696/posts/default/1069300236090815201'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4806493550830325696/posts/default/1069300236090815201'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://qc-3.blogspot.com/2012/01/qc307_30.html' title='QC3｜07 宗田好史「「保存再生」から見える地域、人々の動き」'/><author><name>RAD</name><uri>http://www.blogger.com/profile/00204040342751953837</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://4.bp.blogspot.com/-jepHTfTUpVw/Ty0mqBk-nNI/AAAAAAAAAbk/lSgWXbYxI-o/s72-c/IMG_2633.jpg' height='72' width='72'/></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4806493550830325696.post-8845868000623114219</id><published>2011-12-25T17:47:00.108+09:00</published><updated>2012-02-04T20:57:24.711+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='06'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='untenor'/><title type='text'>QC3｜06 untenor「地域を拠点とする活動の応用可能性を考える」</title><content type='html'>&lt;div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on"&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/-ZDsvj-B37QA/Tvl4Fq6frsI/AAAAAAAAAZQ/8ogHfPTKFAA/s1600/QC3%25EF%25BD%259C06+untenor%25E3%2582%25BF%25E3%2582%25A4%25E3%2583%2588%25E3%2583%25AB%25E7%2594%25BB%25E5%2583%258F.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"&gt;&lt;img border="0" src="http://3.bp.blogspot.com/-ZDsvj-B37QA/Tvl4Fq6frsI/AAAAAAAAAZQ/8ogHfPTKFAA/s1600/QC3%25EF%25BD%259C06+untenor%25E3%2582%25BF%25E3%2582%25A4%25E3%2583%2588%25E3%2583%25AB%25E7%2594%25BB%25E5%2583%258F.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;「地域を拠点とする活動の応用可能性を考える」&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;untenorインタビュー&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;今回お話をうかがった「untenor」の辻琢磨と吉岡優一の二人は、静岡県は浜松市を拠点に活動を行っている。建築に携わりながら、それでも建築家としての関わり方ではなく、いわばそこで行われる「まちづくり」にどのような建築的思考を生かすことができるかを問いかけ、実践するプロジェクトである。いわゆる「地方」と呼ばれるような地域に根ざしながら、自身の活動をその地域のみに閉ざさないようにしている点に彼らの特徴がある。浜松における問題や取り組みをより広い文脈へと接続すること、また浜松での活動をまた別の地域へ応用する可能性を考えること、こうした意識のなかから「地域」を考えてみたい。（2011年11月、竜宮美術旅館にて）&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;※&lt;a href="http://qc-3.blogspot.com/2011/12/qc306-untenor_24.html"&gt;後編はこちら&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;--&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;「他にもありそうなところ」を拠点にすること&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―まず「untenor」について、お二人の役割分担を含めて説明していただけますか？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;辻&lt;br /&gt;「untenor」は、僕辻琢磨と吉岡優一、それから文芸大の学生数人と2010年に立ち上げたプロジェクトです。主な活動としてはまちづくり系のワークショップや建築／まちづくり系のレクチャーシリーズを行っています。「SENA（三遠南信地域連携ビジョン推進会議）」という組織から人材育成という形で助成金をもらい、デザインに興味のある学生や社会人の方にレクチャーを行うという事業を「untenor」と「浜松にぎわい協議会」とで担当しています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;僕と吉岡はプロジェクトの大枠やコンセプトを話すのですが、僕は浜松を拠点にしていますし、どちらかというと現場というか、動ける範囲で動くという「実働部隊」のような役割かなと思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;吉岡（以下：吉）&lt;br /&gt;特に二人の関心でいうと、辻の方がメディアに対して意識的で、浜松で面白いことがなされているということをどのように伝えるかを考えているところがあります。一方で僕はむしろ浜松という政令指定都市規模の都市でまちづくりを行う際に、メディアを使ってどのような実践が可能かに関心があります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;僕が現在所属する筑波大学貝島桃代研究室*で行っているまちづくりでは比較的小規模の地域が多いのですが、対象が掴みにくい規模の都市でどういった展開が可能であるかを考えています。僕自身もともと静岡文化芸術大学（文芸大）を卒業しているので、浜松にいたころから「いろいろやってはいるが、なんでここはこんなうまくいっていないのか」ということを実感していました。そしてオランダ留学後に自分なりに何かアクションを起こしてみようという時に同じ疑問を持つ辻と出会い活動を開始しました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;*筑波大学大学院貝島桃代研究室：建築事務所「アトリエ・ワン」を塚本由晴とともに共同主催する貝島桃代の研究室。設計、研究活動と並行して、茨城県つくば、水戸、下妻、大子、埼玉県北本、岐阜県飛騨種蔵、新潟県十日町、石川県金沢などでまちづくり活動に関わる&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―なぜ拠点として浜松を選ばれたのでしょう？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;辻&lt;br /&gt;僕は浜松市出身、吉岡は近くの掛川市というところの出身ということもあり、どちらも学生の頃からこの地を知っていて、そこから一度関東の大学に行っているので抽象化が起こっています。東海道の中心にあり、江戸から繊維産業が広まって、戦前までにそれが紡績工場になった。鉄道も発達し、それが戦争で軍需工場になり、戦災で焼け野原になって、戦後復興のときには自動車産業と機械産業とともに盛り上がった。「KAWAI」「HONDA」「SUZUKI」があり、その下請けがずっと広がって、それが今立ち行かなくなってパラダイムシフトが起こるというときに、中心市街地や郊外の問題が一緒に出てくる。日本の歴史的な流れと都市で起こっていることがよくも悪くもすごく分かりやすく、かつ実感しやすいのが浜松です。ゆえにそれを抽象化したときに何かあるモデルになるんじゃないか？　そういう問題意識があります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/-bfkZkacdgVg/TvWjd2snb6I/AAAAAAAAAXk/JKg3oto3NWI/s1600/004.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"&gt;&lt;img border="0" height="480" src="http://3.bp.blogspot.com/-bfkZkacdgVg/TvWjd2snb6I/AAAAAAAAAXk/JKg3oto3NWI/s640/004.jpg" width="640" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: center;"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: center;"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;浜松俯瞰/右側に再開発が進んだ東地区、左側に中心市街地&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;吉&lt;br /&gt;浜松は非常に「凡庸な」都市です。だから、ここでできたら他の都市でも固有性をスパイスにしながら展開できるだろうと。認識的にはそれくらいの抽象度があります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;東京での議論を意識すること／地域に根ざすこと&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―これまで活動を続けられるなかで、浜松とはどのような関係を取っていますか？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;吉&lt;br /&gt;僕ら「untenor」の活動のメインは教育活動であり、それは僕らの思想をダイレクトに伝えることができる。しかし、それだけでは街の人との接点がなかなか見えてこず、プロジェクトを実現する機会をつくり出す力には欠けます。そこで「untenor」という組織の他に「machinoba」という取り組みも行っています。こちらには僕の方の関与が大きいのですが、いわば「machinoba」は地域の人とべたっとして、一緒に何かやろう、地域の人がやりたいことをより良い質で実現しよう、という試みです。僕は普段はつくば市に住んでいるので距離的には遠いのですが、浜松という地域とべったりやるという活動をやっている。辻は近いのですが、「untenor」という距離感でまちと関わっているんです。そうやって距離感のバランスをうまくとろうとしています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;辻&lt;br /&gt;「untenor」がどこを見ているかということに関して言うと、吉岡が少し触れた通り、個人的には東京のメディアかなと思います。地方で起こっていることを一度抽象化し、東京の議論と同じレベルで語るということを意識して、それもそれぞれの地域から東京に持っていくということがしたいですね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―その理由は？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;辻&lt;br /&gt;ウェブの発達によって情報格差がなくなったと言われていますが、誰でも等しく情報を手に入れられる環境ができた分だけ、逆説的に物理的な集合、物理的な都市環境の差異が決定的になっていると言えます。そういう意味で東京は情報発信の場としての存在感をいまだに持っているわけで、メディアの影響力を考えると東京を経由した方が有効だと思います。浜松との距離感はありますが、コミュニケーションの量は浜松と東京で、ウェブ、フィジカル問わず同じ程度に保ちたいと考えています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;吉&lt;br /&gt;東京で活動していると人も多いし、その活動内容も比較的飽和しているような状況があると見ています。地方に帰ってきて何かをやるとなると圧倒的に条件が違います。だから活動の質さえ担保できれば、東京に持っていくだけでも十分魅力的なものになるのではないかと思います。わざわざ東京でやっているようなことを地方でもやるんじゃなくて、地方は地方でやって、それを抽象化すればいい。それが縮退時代の都市の議論にも繋がるし、東京にとっても地方にとっても今までになかった具体的な都市の議論が起こってくるだろうし、面白いと思っています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―では具体的に「untenor」として行っている活動を説明してもらえますか？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;辻&lt;br /&gt;以前、空き室利活用のプロジェクトをこちらの若手ディベロッパーとの恊働で行いました。彼らは不動産を持っていて、リノベーションもやり、空き室の利活用もやるという人たちです。その方と「浜松まちなかにぎわい協議会」さんという中心市街地活性化を目指す民間組織、僕ら、そして地元の文芸大とで恊働できないかと考えました。にぎわい協議会さんが浜松の地権者の方とのコネクションを一年間くらいかけてつくってきたので、それを使おうと。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;大雑把に言えば、浜松の空きテナントを居住に変えていくという話です。空きテナントから居住に変えていくときのプランニングと施工、ならびに居住までをひとつの教育的パッケージとして、学生が主体的に取り組むという形を目指しました。学校の課題ではタッチできない施工や居住の部分まで提案しながら展開していこうと思ったんです。でも結局文芸大にインフォーマルな主体である僕らとの恊働を許容してもらうことができなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そういうことはあったんですが、自分たちが「訳の分からない主体」であることには価値を感じています。どこかの枠組みに入ってしまうとすぐに勢力図にからめとられてしまう。地方はおそらくどこでもそうでしょうが、どのレベルを見ても仲が悪いというか、コミュニケーションの度合いで言うとマイナススタートというか……行政の人は商店街の人から嫌われているし、それは企業も然り。企業と商店街の間にコミュニケーションはないし、商店街同士も仲が悪い、というように。いろんなレイヤーで仲が悪いというか。つまり、どこかに属すとどどこかにはねられる、その関係性が難しい。「訳の分からない主体」であることの価値は、そのあたりの関係性のバランスを考えてのことです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―「RE」というインフォーマルなリサーチプログラムを進められていますが、ここではどのようなことをされているのでしょうか？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;辻&lt;br /&gt;「RE=Real Education」では主にリサーチプロジェクトを行なっています。過去三回、RE01、02、03とそれぞれSENAの人材育成プログラムの助成金を利用して運営しています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;RE01では研修生が主観的に気になった街の風景を客観的に科学し、その風景がどのような素材で構成され、その素材はどこで手に入り、値段はいくらするのかということをリサーチするという教育プログラムを実施しました。自分たちと抽象的な都市を近づける試みです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/-kGprwWDFnC4/TvWj4T0ONbI/AAAAAAAAAXw/R0DyKWQ2hAg/s1600/002.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"&gt;&lt;img border="0" height="456" src="http://3.bp.blogspot.com/-kGprwWDFnC4/TvWj4T0ONbI/AAAAAAAAAXw/R0DyKWQ2hAg/s640/002.jpg" width="640" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;RE01でのリサーチ結果&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;RE02では、レクチャーシリーズの企画運営プログラムを実施し、受講した研究生が受講後も自発的にレクチャーイベントを企画できるようにカリキュラムを組んでいます。この企画は自分たちのつながりの中からレクチャラーを選定し、オファーしていくというもので、レクチャー企画のための余条件に自分たちのつながりが組み込まれることで自分たち自身のことを改めて知るきっかけにもなります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/-dioyNNZ2aDc/TvWkZKF8UQI/AAAAAAAAAYI/OBx2uPr5mDI/s1600/003.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"&gt;&lt;img border="0" height="480" src="http://2.bp.blogspot.com/-dioyNNZ2aDc/TvWkZKF8UQI/AAAAAAAAAYI/OBx2uPr5mDI/s640/003.jpg" width="640" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="text-align: center;"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;RE01レクチャーの様子&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今進めているRE03は「CITY LAB」と名づけ、浜松市の商業政策課と協力し、クリエイティブセンターの提案を行政に行うためのインフォーマルな研究室を運営しています。いわゆる「ハコモノ」のセンターの提案ではなくて、自分たちが今持っている人材やイベント、場所を丁寧にリサーチし、それらを編集することでクリエイティブセンターの提案ができるのではないかと考えています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;全体としてインフォーマルな教育プログラムの実施がテーマになっています。都市の議論がなかなか生まれない浜松においてまず若い世代に対して、都市や建築やデザインを考えることや、自分たちがいる浜松というフィールドがいかに面白く、かつ可能性があるかということを少しでも伝えられればと思っています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;吉&lt;br /&gt;もうひとつ重要な点としては、都市の議論を「建築系の話」に閉じないということです。REシリーズにも非建築系の方々に参加していただいてます。僕らはあくまでも建築畑として議論を建築的に回収する射程で見ています。しかし、同時に都市や街の議論というのは常に開かれたプラットフォームのようなもので、他分野が同時に議論ができる共通項です。例えば千葉大の広井良典さん*のように医療・福祉と都市の問題を議論する方もいるし、個々の企業にとっても企業戦力として都市リサーチや議論は重要なものになっています。議論やプロジェクトを通して、それぞれの専門へ何かしらの知見を持ち帰ることや枠組みの再編は共通項を持っていることでできると思います。そういう意味でREシリーズは常に開かれた対象に対して発信しています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;*千葉大学法経学部総合政策学科教授。著作に『コミュニティを問いなおす』など。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;固有名から見る浜松という地域の独自性&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―浜松のまちづくりを担っていこうと思われている方には他にどのような人がいますか？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;辻&lt;br /&gt;「やらまいかミュージックフェスティバル」を仕掛けた鈴木達也さん、「architecturephoto.net」を主宰する後藤連平さん、先程お話した「浜松まちなかにぎわい協議会」、「NPO法人クリエイティヴサポートレッツ」、それから文芸大の中にももちろんいます。自分たちから見えている部分の話しかできないんですが、直接的に僕らが恩恵を受けているのは「machinoba」が入居している万年橋パークビルのオーナーさん。浜松の商店街レベルでの活性化を進めようとされている方ですね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;吉&lt;br /&gt;その人はなかなかラディカルな思想の持ち主で、僕らも話しやすいんです。ふつうのおじちゃんなんだけど、話してて非常に面白いです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―どのような方なんですか？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;吉&lt;br /&gt;もともとはアパレルの仕事をしていて、ヨーロッパ各地でデザイナーやブランド向けに浜松の生地を売っていたそうです。浜松の繊維産業が厳しい状況に追い込まれる中で、こだわりを持った作り手たちを繋ぎ、他にはできない品質の生地を展開していたと聞きました。現在では、厳密にいうと2011年4月に民営化した元市営駐車場の万年橋パークビルの社長さんです。それまでは民間圧迫をできないという理由からかなりの制限を受けていたのを、民営化したことをきっかけに地域活性化の拠点として駐車場をまちの中に位置付けるために芸術文化を取り込んだ多様な活動を展開されています。将来的には駐車場収益を中心市街地の活性化活動に当てたいとお話されています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;それからキーパーソンとして「NPO法人クリエイティヴサポートレッツ」の鈴木一朗太さんがいます。「レッツ」は福祉施設なんですが、障害者支援を広くとらえているんです。現代社会では「自分のやりたいことをちゃんとやる」ということが難しくなっています。それをちゃんとやるということを掲げて活動を展開されています。旧東海道の「ゆりの木通り」にインフォラウンジというチラシをアーカイブするスペースがあるのですが、簡単に言えばそれをディレクションしているトップが一朗太さんです。そこに森恭平くん*などが入ってきて、そこを拠点に「地域を繋ぐ」という活動をされています。「インフォラウンジ」に行けばいろんな人を紹介してくれるし、地域資源の掘り起こしという意味ではかなり重要なプレイヤーですね。まだまだいるとは思いますが潜れば潜るほどに発見があります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;*元呉福万博代表、文京区江戸川橋地蔵通り商店街コーディネーター&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;辻&lt;br /&gt;あとは今回RE03で僕らが行っている「CITY LAB*」に協力してくれている行政の産業部商業政策課の方々。彼らは中心市街地活性化に携わられているので、思惑は一致していて協力関係を築けています。なんというか一周して明るいというか。「まちづくり、大変だよねー、わはは」みたいな（笑）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;*浜松の中心市街地にクリエイティヴセンターを提案する、分野を横断したインフォーマルな研究室&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;吉&lt;br /&gt;いろいろやったけど、なかなかうまくいかないねー、と（笑）。働いている人たちも比較的若く新しいことを吸収しながらいきいきしているようにみえます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;辻&lt;br /&gt;あとは「浜松まちなかにぎわい協議会」さんですね。少し経緯を説明すると、遠鉄（遠州鉄道）百貨店という地方の鉄道グループの持っている百貨店がまだ中心市街地に残っていて、以前は中心市街地に西部百貨店や丸井があったんですが潰れて、あと松菱という地元百貨店も経営破綻して、今は10年間廃墟になっています。そのあたりの誘致を商業政策課が担当していたんです。少し前までは松菱に大丸が入る予定だったんですが、これが「入る」となったときに、遠鉄が「じゃあうちも頑張らないと」と増床を決定したんですよ。でも結局大丸誘致が失敗してしまって。遠鉄だけで中心市街地活性化をやらなければならなくなり、焦って「じゃあ何か」ということで地元の地銀や商工会と協力して「にぎわい協議会」ができたという認識です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/-Ly_O5J7QUXM/TvWk3yZinCI/AAAAAAAAAYg/5bEVdLuIODI/s1600/001.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"&gt;&lt;img border="0" height="480" src="http://2.bp.blogspot.com/-Ly_O5J7QUXM/TvWk3yZinCI/AAAAAAAAAYg/5bEVdLuIODI/s640/001.jpg" width="640" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="text-align: center;"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;松菱百貨店の様子&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「にぎわい協議会」は民間が出資しているんですが、メンバーはみんなそれぞれの出資先から出向しているサラリーマンたちなので、まちづくりに関しては素人なんですよ。何かしないと、ということで一応地域とのパイプはつくる。でもスキームがないので、イベントを打つだけになってしまうんです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;吉&lt;br /&gt;ネットワークをつくるのには役立っているのですが、実際にイベントやるときになるとイベント屋さんに相談に行ってしまうから、従来通り実施されていることがやられてしまいます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―彼らにアイデアを売りにいこうとする人材はいないのでしょうか？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;吉&lt;br /&gt;いないと思いますね。それが彼らが従来のやり方から抜け出せない外的な要因のひとつであると思います。しかし劇的に変わる可能性があるとしたら、彼らの許容力の幅の広さがあると思います。とにかく素人であることに自覚的で、毛嫌いせずに色んなことを受け入れています。それが将来的に浜松の関係性を変える力になるのではないかと感じたりもします。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;辻&lt;br /&gt;正直に言うと、「にぎわい協議会」は「どうせ何もできないだろう」と思われている節がありますね。だからいわゆる「意識的」な主体にとっては彼らとコミットすること自体がどうかという雰囲気が出ている気がします。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;吉&lt;br /&gt;一方、法律の後押しもありこういったいわゆる「まちづくり会社」というのは全国的に増えてきています。どこも実情としては「にぎわい的」な問題を抱えているのだとすると、クリエィティブな才能が介入する余地はあると思います。辻の指摘した「意識的」な主体側が、どうやってこの既存コンテクストになりつつあるものに介入し、関係性を再構築できるかを自らに問い、実践することが大切だと思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―このように多様な主体が積極的に動く中で、「untenor」として意識していることは？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;辻&lt;br /&gt;浜松のまちづくりで興味深いのは、活発な主体が皆プロフェッショナルではなく、お話した通りフラットなアマチュアであるということです。素人が皆暗中模索で探り探りやるというのは圧倒的に非効率かもしれませんが、逆に既成概念に縛られずに行動できるということがあると思います。そのとき僕らが意識することは、決定を急がない、あるいは明確な決定に対する重みをなるべく共有させないということです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;それは既成概念に縛られない自由な思考の可能性を最大限に引き出し、ギリギリまで粘ってなるべく強度のある決定を共有するということです。つまり、暗中模索の過程自体を共有しながら、なるべく多くの余条件を自分たちも含めた「フラットなアマチュア」から考えるということ。そういう自由な非効率性からなんとなく出すべき方向性のためのコンテクストをとらえていく、ということが建築的思考を実践する僕たちの役割なのかなと思います。さらに言えば、建築を扱うコンテクストの幅をいかに広げられるかという価値観をまちづくりに転用することも意識しています。自分たちが今持っている固有の要素の一つ一つをプロジェクトの重要なコンテクストとして捉えて、積極的に誤読する可能性をたくさん用意しておくことが自分たちの役割と感じます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;あるいは、まちづくりのテーブルにおいては、どういう空間がいいかという話をする空間の専門家というよりも、例えば一つの会合の状況を俯瞰して整理する役回りを期待されている印象を受けます。もちろん議題にもよりますが、建築を構築するという必要性を一旦キャンセルした状態から有効な手段を見つけていく上で、この俯瞰する意識は非常に重要だと感じています。一方この俯瞰者の視点だけだと「偉く」なってしまうので、俯瞰している自分とその場所で言葉を発している自分が常に同居するようなコミュニケーションが重要だと思っています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;※&lt;a href="http://qc-3.blogspot.com/2011/12/qc306-untenor_24.html"&gt;後編へ続く&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;--&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;プロフィール&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="p1"&gt;&lt;span class="s1"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;untenor&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="s1"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="p2"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;&lt;span class="s1"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="p1"&gt;&lt;span class="s1"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;辻 琢磨&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="p1"&gt;&lt;span class="s1"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;つじ たくま&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="p1"&gt;&lt;span class="s1"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;1986年静岡県生まれ。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="p1"&gt;&lt;span class="s1"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;横浜国立大学大学院建築都市スクールY-GSA修了後、Urban Nouveau*勤務。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="p1"&gt;&lt;span class="s1"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;現在、403architecture [dajiba]共同主宰&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="p2"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;&lt;span class="s1"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="p1"&gt;&lt;span class="s1"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="s1"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;吉岡 優一&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="p1"&gt;&lt;span class="s1"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;よしおか ゆういち&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="p1"&gt;&lt;span class="s1"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;1984年静岡県生まれ。静岡文化芸術大学デザイン学部空間造形学科 寒竹伸一研究室卒業。2009-10年 オランダ王立デルフト工科大学インダストリアルデザイン学科正規交換留学。現在、筑波大学大学院人間総合科学研究科博士前期課程 貝島桃代研究室に在籍。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4806493550830325696-8845868000623114219?l=qc-3.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4806493550830325696/posts/default/8845868000623114219'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4806493550830325696/posts/default/8845868000623114219'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://qc-3.blogspot.com/2011/12/qc306-untenor.html' title='QC3｜06 untenor「地域を拠点とする活動の応用可能性を考える」'/><author><name>RAD</name><uri>http://www.blogger.com/profile/00204040342751953837</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://3.bp.blogspot.com/-ZDsvj-B37QA/Tvl4Fq6frsI/AAAAAAAAAZQ/8ogHfPTKFAA/s72-c/QC3%25EF%25BD%259C06+untenor%25E3%2582%25BF%25E3%2582%25A4%25E3%2583%2588%25E3%2583%25AB%25E7%2594%25BB%25E5%2583%258F.jpg' height='72' width='72'/></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4806493550830325696.post-6593281892713051276</id><published>2011-12-24T17:55:00.031+09:00</published><updated>2011-12-27T23:57:31.795+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='06'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='untenor'/><title type='text'>QC3｜06 untenor「地域を拠点とする活動の応用可能性を考える」</title><content type='html'>&lt;div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on"&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;br class="Apple-interchange-newline" /&gt;「&lt;/b&gt;&lt;b&gt;地域を拠点とする活動の応用可能性を考える&lt;/b&gt;&lt;b&gt;」&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;untenorインタビュー&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;※&lt;a href="http://qc-3.blogspot.com/2011/12/qc306-untenor.html"&gt;前編はこちら&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;--&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;多方向から複層的なストーリーを並走させる&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―最初に「untenor」の活動をモデル化するという話が出ていましたが、地域で起こっている問題はそれぞれに異なっていて、それに対する解決策は画一的にはならない、ということは広く共有されていると思います。そこでの「モデル化」ということをどのような意図で言われているのでしょう？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;辻&lt;br /&gt;地域によって具体的な差異があるというのは前提としてあるんですが、その差異自体も抽象化してスキームをつくりたいという思いがあります。先も触れた「CITY LAB」では個々人の友人知人関係を洗い出す相関図のリサーチをしているのですが、出てくる固有名詞やそこでの関係性は随分と多様で、かつ、そこにしかないものなのですが、俯瞰して見て「固有名だけを扱う」ということはどこでも可能だと思います。メタレベルでさらに俯瞰しないとモデルにはなりません。人の名前や関係性は地域によって違いますが、根本的な部分というか、例えばそこの社会関係資本がマイナスという問題を共有しているところは多いでしょうし、ある一定の割合でキーパーソンがいて、その人をいかに刺激するかが鍵となっている点も然りだと思います。山崎亮さんはそれをモデルにしないまでもつかんでいて応用しているんじゃないかなと思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/-BGYezcEiU5g/TvWkKp2XZKI/AAAAAAAAAX8/qdud8VgDlzs/s1600/RE03.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"&gt;&lt;img border="0" height="482" src="http://4.bp.blogspot.com/-BGYezcEiU5g/TvWkKp2XZKI/AAAAAAAAAX8/qdud8VgDlzs/s640/RE03.png" width="640" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="text-align: center;"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;RE03における相関図リサーチ&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;吉&lt;br /&gt;付け加えると、政令指定都市は行政施策的に似通ってくるので、同じスキームをぶつけるという方向性もあると思います。ただしプロセスと導き方に注意しなければいけなくて、多様な解答を位置付けることが必要なわけです。辻が話した「固有性を出す」という方向性や、ひいてはそもそも「地域づくりをどうやっているか」は同じスキームとして他地域でも出せるものだと思っています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―吉岡さんは貝島研でまちづくりの活動もされていますが、その経験が「untenor」に影響を与えているところは？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;吉&lt;br /&gt;僕が修士課程の1年時から関わっているプロジェクトとして、埼玉県北本市の「北本らしい“顔”の駅前つくりプロジェクト」があります。駅前再開発事業と一緒にエリアの活性化をしようというプロジェクトです。相互にフィードバックしながら、設計はアトリエ・ワンが、まちづくりは研究室が担当するという形で進んでいます。このプロジェクトではどのように市民の活動と新しく設計される広場とを地続きにし、育てていくかが重要だったので、この頃から場所と出来事の問題を併せて考えることに関心を持つようになりました。建築設計だけをやっていた時に、荒い解像度でしか見えてなかった「プログラム」という言葉の前後にある主体の問題、仕組みの問題、運営の問題などトライ＆エラーを繰り返しながら学びました。現在も後輩たちが継続してやっているのですが、毎年活動にキャラクターがあり非常に勉強になります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この経験から「untenor」の活動に繋がるポイントとしては、「プロジェクトを通した関係性の強化」がまちづくりという文脈で非常に有効であるという点です。簡単な例だと高校の時の文化祭の後にみんなが何となく仲良くなっている感覚です。北本でもプロジェクトを共有することで、関わった人がそれぞれ持ち帰るモノがあり、共に育っていくような実感がありました。浜松での辻との恊働はそれがもう少し抽象化された状態です。現場のリアルな実感を、なんとかヴィジュアル化したり、言語化する作業にも力をいれ、共感できるようにメディア化しようとしています。これは「現場×メディア」のハイブリットな状態で、相互にアイデアがフィードバックされているように思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;このような物語性を付加する方法はまちづくり的状況に向いています。建築家が担当するまちづくりの多くはさっぱりしてるんですね。段階が明確に分かれている、分けざる得ない状況があるのですが。でも北本の場合はアーティストも入り交じっていたので少し異なっていました。アーティストの人はあんまり区切っていかないんです。ストーリーが併走して、それがどんどん増えていくという状況を好むと思うんですね。例えば空き室を改修するにしても、普通には改修しない。デザインして、改修して、完成という普通のストーリーは語らない。改修のための素材を集める段階で、「誰々さんが何々しにきた」ということを語るわけです。つまり「改修する」というストーリーと同時に「改修をきっかけにして様々な人が出入りする場所ができています」というストーリーが並走していく訳です。それはまちづくりという文脈とすごく相性がいいと思うんです。そこに影響を受けましたね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―「untenor」にとってここで言う「ストーリー」とは誰にどのように語られるものでしょう？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;吉&lt;br /&gt;基本的にはストーリーは個人が語るものです。しかしプロジェクトを共有しているまちづくりのような状況では、全体の指揮者のような人はいないけれど、個々の人がそれぞれに読み替えをしていて、それを共有しているというか。そうするとひとつの大きなストーリーではなく、多方向から様々なストーリーによって事象が説明されるようになります。あるひとつのプロジェクトでも、語る人が変わればストーリーが変わるような重層的な価値をどのように担保できるか、プロジェクト自体が複雑化する時代だからこそ、ワン・ストーリ－で語れるものではなく、強度ある並走するストーリーで語られるものが必要です。主体性を持って自分のストーリーでプロジェクトという場を語るような創造的な関係性に興味があり、みんなで情報を共有しておくことによってそれをつくり出すということが求められているんじゃないかと思います。僕らはそれを浜松でやろうとしているんです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/-YBqpnjCP1no/TvWlXJm-CFI/AAAAAAAAAYs/w6bVFa_wnME/s1600/006.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"&gt;&lt;img border="0" height="426" src="http://3.bp.blogspot.com/-YBqpnjCP1no/TvWlXJm-CFI/AAAAAAAAAYs/w6bVFa_wnME/s640/006.jpg" width="640" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="text-align: center;"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;ゆりの木通り商店街主催のイベントの様子&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;辻&lt;br /&gt;役割を強いて挙げるならという感覚もありますが。周囲や自分への明確な役割分担というかミッションを意識せずとも、関わる人が扱っている情報量はいっぱいあるわけです。それをあえて整理しないで、有機的な関係性のなかに身をあずけるというか。そうするとまちづくりという複雑な状況のなかで、自分の役割が自然と出てくるのかなという気はしています。街の中での自分の役割を結果的に見つける意識よりも、その見つけられるべき役割を意識せずとも多様体の中で自然と実行してしまっている自分の行為の集積を積極的に肯定していく複雑性を意識したいのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;解像度を上げ、徹底的に俯瞰する&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―現在まで浜松という具体的な土地、そして「まちづくり」というある広がりを前提とするようなやや抽象的な範囲についてお話してきましたが、お二人にとって「地域」とはどのようなものとして見えていますか？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;辻&lt;br /&gt;僕はコミュニケーションの質と量が一定範囲のなかである程度保たれているという状態かなと思います。だから「郊外」というくくり方は「地域」とは思いません。地域というと思い浮かぶのは、浜松では中心市街地のレベル、それと山の中にいったところとか。でもそれ以外の茫漠と広がっていく郊外に対して地域という概念を当てはめていくことはできないと思いますね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ただそれも解像度の問題かもしれません。「解像度を上げる」ということは非常に重要です。REでの一連のカリキュラムでも意識している、自分の周囲にある実感可能な固有名詞を調査対象にして積極的に面白がるということはこれからのまちづくりにとても重要だと思います。ものや人や概念が飽和していくなかでできることといえば、それらを横滑りさせて新しい価値を与えることくらいしかないようにすら思えます。固有名詞をひたすら追って、発掘して、編集する。つまり自分たちが持っているものだけで十分なんだと思えることが市民がまちづくりに関わるモチベーションの契機になるのではないでしょうか。その市民レベルの気づきがあって初めて、フォーマルなまちづくりが機能していくというか、ボトムアップの動きがフォーマライズされていくような地域のあり方が今の時代に必要かなと思います。徹底的に解像度を上げ、その分徹底的に俯瞰する、そういう態度で僕は地域に接していきたいと思っています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;吉&lt;br /&gt;僕の場合はネガティヴな制約を共有している人たちのことを「地域」と呼びたいですね。それは地理的なものかもしれないし、「買い物弱者」と呼ばれるような人たちが集まる場かもしれない。その「制約」みたいなものを顕在化させているところがいわばコミュニティかもしれません。一方で、その制約がポジティヴに働いて主体間のコミュニケーションが促進されたりということもあるでしょう。「地域」は本質的にはある種のマイナス要素を抱えていて、ゆえに相互扶助が必要な状況です。ゆえに繋がりが強調され、現代に多くの人々が求めているものがそこに生まれるのだと思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;辻&lt;br /&gt;山崎亮さんがコミュニティの話をするときテーマ型と地縁型という話をするんですけど、僕らが飛び込んでいるところはテーマ型であると思うんですね。地縁型ではなく。でもそのテーマというのが、「中心市街地がまずい」ということそれ自体がテーマ化している状態にあるような気がします。だから行政の人も、なんとなく大義名分があるということは前提なんだけど、ある明るさをもって活動できているというか。それは僕らも共有しているんです。だからそのテーマが「星を見る」とか「サッカーをする」とかではなくて、もう少しただ社会的なだけというか。そうするとその分入ってこれる主体も多いだろうし、その持続性もあるんじゃないかなと思っています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/-I-CWOdBc8q0/TvWknvaPsxI/AAAAAAAAAYU/zYREaAz-rRY/s1600/005.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"&gt;&lt;br class="Apple-interchange-newline" /&gt;&lt;img border="0" height="296" src="http://3.bp.blogspot.com/-I-CWOdBc8q0/TvWknvaPsxI/AAAAAAAAAYU/zYREaAz-rRY/s640/005.jpg" width="640" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="text-align: center;"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;machinobaオフィス&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;「インフォーマルである」ことを「継続する」&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―では最後に、これからの展望についてお話をうかがえますか？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;辻&lt;br /&gt;教育は自分たちがいままで枠組みを設定しないということで続けてこれた、ひとつの「枠組み」なので、これは継続したいですね。今後は、にぎわい協議会と行政という官民のまちづくりの主体とうまくバランスを取りながら少しずつプロジェクトを起こしていくような段階に入っていくと思います。既存の保守的な既得権益とつながっているところで教育をするんじゃなくて、それこそ実験的に教育する矛先はいろいろあると思うんです。それをどこにと限定せずに、ある種インフォーマルな状態で、自分たちが何者かを明かさずに教育する（笑）ということも続けていきたいなと思っています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;吉&lt;br /&gt;「継続する」ということと「インフォーマルである」ということは言わば相反するものだから、そのあたりのバランスを意識していかないとと思っています。いつの間にか「既得権益集団」になっていたりということもありますからね。結局いままでのフレームに落ち着いてしまった、ということがないようにしたいと思っています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;辻&lt;br /&gt;自分たちが浜松で活動して、なるべくボトムアップ型の、インフォーマルな、教育やまちづくりを意識するのは、自分たちが東京で学んで、トップダウン型の計画の、フォーマルな大学教育と設計教育を受けてきたからこそ意味があるんだと思うんです。震災における東電問題に代表されるような既得権益を否定することは簡単ですが、その既得権益の恩恵によって僕らは生かされてきているわけですから、彼らを否定することは自分自身を否定することと同義なんですね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そういう二極化した矛盾を引き受ける思考法を実践するに当たって、浜松と東京、ベタとメタ、批判と肯定、既得権益とラディカリスト、吉岡と僕、というような様々な軸を「untenor」は引き受けたいと考えていて、大きなことを言えば、二極化する世界の把握の仕方を発信していきたいと思っています。その上で正当な批判を実践したい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;なんというか、世間では日本の政治も経済も地域も終わったという言説が明らかに当たり前に空気として共有されていると思います。少しでも国内や国外の社会情勢に興味がある人は既得権益を批判することで自己を保っている程度の状況でしょう。人口配分的に若者は高齢者の負担を背負わなければならないのは明白だとか、つまり私たちの周囲にある状況は少しでも思考したら絶望につながっていくと思うのですが、この絶望こそ、誤読されるべきだと思っています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;吉&lt;br /&gt;「untenor」が浜松を舞台に活動していることを大きく言ってしまうと、自分たちの都市への権利を取り戻すための活動の一つであると思います。主体性を持った都市との関わりを構築する方法を不器用に模索していると言うか。僕たちは生活に、強いて言えば都市にあまりにも無関心であったために、現在の権利をはぎ取られた、言い換えると効率的な委託の文化に依存した状況が生まれています。少しでも現状に介入し、より良い流れをつくり出すためのゲリラ戦を、自分の関心に近い対象で実践していきたいと思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;昔からシチュアシオニストにかなり惚れ込んでいましたが、浜松で劇作家の岸井大輔さんと会いハンナ・アーレントを知り、公共圏という言葉を知りました。都市の権利を取り戻すために公と私との間に広がる境域に対し、制度的にも、方法論的にも、ふるまい的にも、活動の実践を蓄積していきたいと思います。これは各地で活動されている方と関心と繋がる部分であり、ディテールの議論を深めていくことでより面白いことができると思っています。&lt;br /&gt;（了）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/-MxZPWfLJ5LA/TvWmAvuvXkI/AAAAAAAAAY4/ahKFKKTQYqE/s1600/%25E3%2582%25AB%25E3%2582%25AD%25E3%2582%2599%25E3%2583%25A44Foff_pic01.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"&gt;&lt;img border="0" height="480" src="http://4.bp.blogspot.com/-MxZPWfLJ5LA/TvWmAvuvXkI/AAAAAAAAAY4/ahKFKKTQYqE/s640/%25E3%2582%25AB%25E3%2582%25AD%25E3%2582%2599%25E3%2583%25A44Foff_pic01.jpg" width="640" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="text-align: center;"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;カギヤハウス4Fの写真&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;--&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;プロフィール&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="p1"&gt;&lt;span class="s1"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;untenor&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="s1"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="p2"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;&lt;span class="s1"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="p1"&gt;&lt;span class="s1"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;辻 琢磨&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="p1"&gt;&lt;span class="s1"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;つじ たくま&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="p1"&gt;&lt;span class="s1"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;1986年静岡県生まれ。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="p1"&gt;&lt;span class="s1"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;横浜国立大学大学院建築都市スクールY-GSA修了後、Urban Nouveau*勤務。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="p1"&gt;&lt;span class="s1"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;現在、403architecture [dajiba]共同主宰&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="p2"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;&lt;span class="s1"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="p1"&gt;&lt;span class="s1"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="s1"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;吉岡 優一&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="p1"&gt;&lt;span class="s1"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;よしおか ゆういち&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="p1"&gt;&lt;span class="s1"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;1984年静岡県生まれ。静岡文化芸術大学デザイン学部空間造形学科 寒竹伸一研究室卒業。2009-10年 オランダ王立デルフト工科大学インダストリアルデザイン学科正規交換留学。現在、筑波大学大学院人間総合科学研究科博士前期課程 貝島桃代研究室に在籍。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4806493550830325696-6593281892713051276?l=qc-3.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4806493550830325696/posts/default/6593281892713051276'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4806493550830325696/posts/default/6593281892713051276'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://qc-3.blogspot.com/2011/12/qc306-untenor_24.html' title='QC3｜06 untenor「地域を拠点とする活動の応用可能性を考える」'/><author><name>RAD</name><uri>http://www.blogger.com/profile/00204040342751953837</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://4.bp.blogspot.com/-BGYezcEiU5g/TvWkKp2XZKI/AAAAAAAAAX8/qdud8VgDlzs/s72-c/RE03.png' height='72' width='72'/></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4806493550830325696.post-5834248624447215109</id><published>2011-10-28T16:32:00.004+09:00</published><updated>2011-10-28T20:50:52.154+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='05'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='佐々木龍郎'/><title type='text'>QC3｜05 佐々木龍郎「地域に関わる回路を増やす―マクロ、ミクロ、そして都市」</title><content type='html'>&lt;div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on"&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/-a-6Yj5QxZUo/TqpNon5gY-I/AAAAAAAAAWk/K-o0rvo7QUY/s1600/QC3%25EF%25BD%259C05+%25E4%25BD%2590%25E3%2580%2585%25E6%259C%25A8%25E9%25BE%258D%25E9%2583%258E%25E3%2582%25BF%25E3%2582%25A4%25E3%2583%2588%25E3%2583%25AB%25E7%2594%25BB%25E5%2583%258F.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"&gt;&lt;img border="0" src="http://4.bp.blogspot.com/-a-6Yj5QxZUo/TqpNon5gY-I/AAAAAAAAAWk/K-o0rvo7QUY/s1600/QC3%25EF%25BD%259C05+%25E4%25BD%2590%25E3%2580%2585%25E6%259C%25A8%25E9%25BE%258D%25E9%2583%258E%25E3%2582%25BF%25E3%2582%25A4%25E3%2583%2588%25E3%2583%25AB%25E7%2594%25BB%25E5%2583%258F.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;「地域に関わる回路を増やす―マクロ、ミクロ、そして都市」&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;佐々木龍郎インタビュー&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;今回お話をうかがった建築家佐々木龍郎さんは、極めて多様な活動に関与されている。建築の設計管理、調査研究、商品開発、教育、そしてまちづくり。自身が提示されたこれら5つの分類それぞれにおいても、より多岐に渡る依頼者や共同者とともに、異なった状況のもとで、建築的実践のなかで得た知見を動員されながら問題解決に取り組まれている。今回のインタビューではとりわけ「まちづくり」の現場に焦点を当て、過去から現在まで携わられた多様なプロジェクトを例に挙げていただいた。地域との関わり方を具体的に見ていく際、その「多様さ」は地域別というように横へと広がっているだけではない。言わば地域を見通す際の「縦」の視線として、常に考えられなければならない層の違いがそこには存在しているということがここでは問題となっている。（2011年8月、佐々木設計事務所にて）&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;※&lt;a href="http://qc-3.blogspot.com/2011/10/qc306_21.html"&gt;後編はこちら&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;--&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;u&gt;前編&lt;/u&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―佐々木さんは現在極めて多くの活動を行われ、また多くのプロジェクトに関わられていますが、これを見取り図的に説明していただけますか？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;活動の種類は大体５つです。メインは建築の設計監理です。大きいものでは約1000床の病院の増改築を10年くらい手がけていたり、一方小さいものだと20席くらいのフレンチのビストロの内装の仕事をしていたり、それが去年ミシュランの星を一つ取ったのですが、ジャンルも規模もさまざまです。次にまちづくり。主に横浜で、他に宇都宮、舞鶴、古河など。民間とやるケースと、行政から委託されるケースと両方あります。千代田区から委託されて景観アドバイザーもしています。3つめは調査研究。これからの住宅のこと（ハ会など）、リノベーション（HEAD研究会TF4など）、被災地支援（仮り住まいの輪など）とこれも多岐に渡っていて、頼まれるものもあれば自発的にやるケースもあります。4つめは商品開発に近いもの。例えばアルミ構造住宅の普及プロジェクトに携わっています。アルミ構造住宅については既に、難波和彦さん、伊東豊雄さん、山本理顕さんといった方々が手がけられてきていますが、そのような単体の設計ではなく、もう少し汎用化し普及できないかということを市場の話を含めてやっています。最後に教育。基本は建築ですが、東大の都市工で教えていた時期もあり、商学部の学生や社会人向けの講義もしています。立場も以前は東海大では期限付き准教授として、今は主に非常勤講師として教えています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;すべてに共通しているのは、建築の経験で得た知見を総動員して物事にあたっているということです。言い方を変えれば、建築は本来、総合的な知見を鍛えるには最適な学問、専門領域と言えると思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今回の話の中心になるであろうまちづくりに関して言うと、きっかけは今から約13年前、1998年ごろです。当時、僕は30で独立して4、5年たったところで、つくったものを雑誌やメディアに載せていただき、いわゆる建築家として活動していたのですが、ふと建築単体のことだけではなく建築の前提となる都市のあり方や成り立ちに何らかのかたちでコミットメントしていかなくてはいけない、と思い立って意識的に都市に目を向けはじめました。誤解を恐れずに言うと、建築家は都市を語るときにやはり自分の建築の成立背景として都市を語ることが少なくない。一方で、僕は都市に実際にタッチできないか、都市の成立に直接関与できないか、ということを考えていて、その気持ちは今も続いています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―最初に関わられた地域は？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;横浜です。1998年に横浜で「第2回ヨコハマ都市デザインフォーラム」という国際会議があり、その手伝いをしました。もともとはその頃「30代建築家100人会議」という集まりの世話人を塚本由晴さん、手塚貴晴さん、みかんぐみの曽我部さんといった人たちと一緒にしていて、あるシンポジウムで都市をテーマにしようという話になりました。たまたま西沢立衛さんと僕が担当で、以前からよく知っている方だったのですが、当時横浜市の都市デザイン室長から東大都市工に戻ってきていた北沢猛さんを二人で尋ねたんです。その時はシンポジウムに関していろいろアドバイスをもらったのですが、次の日に電話がかかってきて「横浜手伝ってよ」と言われていきなり巻き込まれました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―具体的にどう巻き込まれたのでしょう？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「都市デザインフォーラム」は海外の人も含めて300人くらいが集まる会議だったのですが、議論のきっかけとなるような資料づくりからはじめました。「とりあえず100ぐらいアイディアないと格好つかないんじゃないの」という勢いで、アイディアを片っ端からA5サイズのカード形式にまとめていって、最終的に90枚は僕らがつくり、10枚は白紙にして参加者に委ねよういうことになりました。カード制作のメンバーは建築家のみならずグラフィックデザインや都市デザインなどの専門家と、それから「町方」と呼ばれる関内・馬車道・元町・伊勢佐木などのエリアの方々、そして行政からも都市整備局、経済局などいろいろなところから人が集まってきました。大体6ヶ月ぐらいかかったと思いますけど、このカードは紙芝居のように組み合わせてシナリオをつくれるようになっているので、その６ヶ月の間に市民を交えたワークショップも開催しカードの内容を充実させていきました。この100の提案カードは2006年にUR都市機構の協力を得て『まちづくり101の提案カード』として出版され、今も販売されています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;一方で、フォーラムが終わった後も、カード作成に携わったメンバーが自主的に「この成果をなんとか横浜のまちづくりにつなげていけないか？」ということで、馬車道のサモワールという紅茶専門店で月1度の集まりを続けていて、それが2001年2月に「&lt;a href="http://www.e-hamaclub.com/"&gt;横濱まちづくり倶楽部&lt;/a&gt;」というかたちになりました。これはNPOではなくただの任意団体です。地域の方と行政と専門家がそれぞれの立場を超えて話し合う場として設立されました。夜な夜な集まり、酒を飲みながら言いたいことを言う。でもそのメンバーがなかなか強力で、横浜に深く関わっている人たちがたくさんいて、それが異業種交流のようなかたちで集まってきました。この倶楽部は今も継続していますし、僕も理事として携わっていますけど、1998年から2006年の間に30強のアイディアが実現しています。これはかなりの打率だと思うのですが、強力なメンバーとそれをお互い束縛しあわない組織のあり方がもたらしたものだと思っています。個人的に言えば、この過程で培った人間関係により横浜では50近いプロジェクトに携わってきています。でも実は建築の設計監理のプロジェクトはほとんどなくて、あってもリノベーションや改修をいくつか手がけてる程度です。意図的にそうしているわけではないのですが、まちづくりに関する調査研究や教育関係が多いです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―その他にはどのような地域へと関わられたのでしょうか？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;まずは宇都宮ですね。大学の後輩が地元で空洞化した中心市街地の再生を考えているということで、一度シンポジウムに呼ばれて行きました。もう10年以上前です。JR宇都宮と東武宇都宮との丁度中間くらいで、２つの地元デパートがつぶれ、西武も撤退という状態でした。唯一残っているのがパルコでした。地権者や商店主、宇都宮大学の先生や学生たちが集まって議論していました。僕はその時に正直な印象として「過疎化すればいい」と言ったんです。もちろんいい加減に言ったのではなくて、宇都宮は環状道路が整備されてそこに4つぐらい大規模商業が立地して、生活がそちらにシフトしていたんですね。このような時に、無理矢理中心の密度を回復するのは無理なので、これを機会に中心の密度を減らして、減らしたなりの新しい都市の価値をつくればいいと考えたのです。シエナのカンポ広場ぐらいの広場ができるな、とぼんやり想像していました。会が終わった後に、ある地区の再開発準備会の地権者の方々が4、5人いらして「そんなこと言わないで手伝ってくれ」と言われて巻き込まれました。最初の打ち合わせに民民の餃子を積まれたのが大きかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この地域はもともと行政がコンサルタントをつけていました。ただ彼らは巨大な開発しか考えていなくて、住民から「本当にこれしか無いのか？」という疑問が丁度出ているというタイミングでした。それで再開発という土地の高度利用に対して、土地を低利用する代替案をつくって話し合いを続けました。最初、行政からは東京から来た若い奴が住民をあらぬ方向に扇動している、とブラックリストにも載ったそうなのですが、そのうち誤解が解けて、最終的には行政から一部コンサル業務を委託されるまでになりました。ただ、最終的に別の事業協力者や別の設計事務所が介入してきたりして、住民たちの気持ちもバラバラになってしまい、今は休止している状態です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/-M10q7_okTI4/TqpRWHE-IiI/AAAAAAAAAXE/54584q-cBH0/s1600/IMG_3898.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em; text-align: center;"&gt;&lt;img border="0" src="http://3.bp.blogspot.com/-M10q7_okTI4/TqpRWHE-IiI/AAAAAAAAAXE/54584q-cBH0/s1600/IMG_3898.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;一方、京都の舞鶴。もともと北沢猛さんが亡くなるまでまちづくり全体に関与されていたところです。そこに旧海軍時代の旧いレンガ倉庫がいくつもあり、それを文化芸術に活用できないかということで呼ばれました。その時はアラップというイギリスに本社のある総合エンジニアリング事務所と組んで、レンガでレンガ倉庫を補強するという新しい提案をしました。実現にはいたりませんでしたけど、僕らは旧いレンガ倉庫の活用だけではなくそれを全体のまちづくりにつなげていくこともできるので、その点が期待されていました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;他には茨城県の古河市。古河駅のすぐ近くの道路が拡幅されるということで、昔の町家建築や蔵などが全部壊されてしまう、という状況がありました。そのなかで活用可能ないい状態の建築は曵屋などをしながら、また新しい建物についてはデザインガイドラインなどを設けて町並みを修景できないか、というシュミレーションに取り組みました。ここでも個別の建築をどうするか、ということと、それが集まった時の町並みがどのようになるのか、どちらかではなくその両方を考える必要がありました。蔵の保存に携わっていた東海大学の羽生教授は僕の中高大すべての先輩で、かつその時期に僕自身も東海大の特任准教授だったこともあり、彼に呼ばれて地域に入りました。２年ぐらい住民とワークショップをしたのですが、その甲斐もなくほとんどの建物は壊されてしまって駐車場等になってしまっています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;それから、つくばエクスプレス沿線の柏の葉。そこには、東大と千葉大、三井不動産、柏市などによる「アーバンデザインセンター柏の葉（UDCK）」という組織が駅前にあります。これも亡くなった北沢猛さんがつくった組織なのですが、そこで公共空間の新しい実験をしたいということで、既存の仮設建築のユニットによる公共建築の整備に携わりました。最初は学生たちが課題として取り組んでいて、そこに僕ら専門家が加わるかたちで実現していきました。市の出先となるインフォメーション、小さな図書館、アーティストが滞在しながらものをつくれるレジデンスという3つの小さな公共建築による街をつくりました。これは今もかたちを変えて継続されています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そして、もう一度横浜に戻って「2059年海都横浜構想」というプロジェクトに関わってきました。50年後の港のあり方、都市のあり方を描こうというもので、2009年の第3回にあたる都市デザインの国際会議にて発表されました。高度成長を支えてきた工業港湾、物流港湾から、「インナーハーバー」と呼ばれる横浜の内港部分では、少なくともそのような20世紀のゾーニングが見直され、「生活」「産業」「交流」とが複合する水辺が形成され、それを支える「交通」「環境」が整備されるというものです。インナーハーバー全体の絵だけではなく、山下埠頭などの具体的なイメージも作成しました。ハードが際立つだけではなく、いかに人がいきいきと居られるのか、そのような点に注意しています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;こうして見てみると北沢猛さんとの関わりが多いのですが、彼が僕を呼ぶ理由は明確だったと思います。僕は意識的に都市と建築に跨がって活動しようとしていて、もちろん完成度の高い単体の建築をつくることが一番の幸せなのですが、それとは別の視点も併せ持っています。全部自分で隅々までつくり込むのではなく、他者との協同を前提としなければならないなかで何ができるのかいつも考えています。建築家としては中途半端かもしれないけど、単体と集合の関係を常に考えながら、どこにどのようにコミットメントしていけば建築の価値や都市の価値をつくりだして行けるのか、いつも考えています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―それぞれの地域ごとに背景が異なり、また関わり方も違うと思いますが、その点も考えあわせてどのような問題点がありましたか？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;横浜では最初から、エリアの方々やそこで長く活躍されている専門家の方々、また行政の方々と知り合うことができて、言い換えれば街と接触する回路が多いということになります。この「回路が多い」ということはとても大切です。回路が一つしかないと、それが閉じられれば関係が切れてしまって、その地域にコミットメントできなくなってしまいます。実際に舞鶴の場合は完全に行政の人とやっていて、行政の人は一定期間で担当が変わってしまうので、その変わり目で全体の枠組みも一気に変わってしまい距離を置かざるを得なくなりました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;古河も一緒です。東海大の同僚と一緒に関わらせてもらっていると先程言いましたけど、そこではワークショップを通じて住民の方々とも対話をする機会があったので住民から直接相談を受ける回路も出てきました。そうなると、やはり地域に入っていったあとにどういうつながりができるのか、回路のタイプと数によって大分変わってきます。単純に言えば、たくさんあればあるほど関与の幅もでてきます。舞鶴のケースなど、行政からのみの回路だと切れて頓挫してしまう可能性もある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;それと行政からの委託は入札形式になることが多く、持続性が担保されていません。特にまちづくりは3年から5年くらいは継続して関わらないと効果が上がらないと思っていて、僕の仕事に問題があればもちろん切られていいわけですが、喜んでもらっているのに続けられないという問題も少なくありません。行政によっては「前年実績」ということで続けさせていただくこともあるのですが、担当者が変わると刷新ということも少なくありません。その意味で簡単ではないですね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://qc-3.blogspot.com/2011/10/qc306_21.html"&gt;後編へ続く&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;--&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;プロフィール&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;佐々木龍郎（ささきたつろう）&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;建築家／1964年東京生まれ／東京都立大学（現首都大学東京）大学院工学研究科建築学専攻博士課程単位取得退学／株式会社佐々木設計事務所代表取締役／神奈川大学・京都造形芸術大学・東海大学・東京電機大学非常勤講師／千代田区景観アドバイザー／横濱まちづくり倶楽部理事／東京と横浜（宇徳ビルヨンカイ）に拠点／建築設計監理・まちづくり・調査研究・商品開発・建築教育。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4806493550830325696-5834248624447215109?l=qc-3.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4806493550830325696/posts/default/5834248624447215109'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4806493550830325696/posts/default/5834248624447215109'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://qc-3.blogspot.com/2011/10/qc306_28.html' title='QC3｜05 佐々木龍郎「地域に関わる回路を増やす―マクロ、ミクロ、そして都市」'/><author><name>RAD</name><uri>http://www.blogger.com/profile/00204040342751953837</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://4.bp.blogspot.com/-a-6Yj5QxZUo/TqpNon5gY-I/AAAAAAAAAWk/K-o0rvo7QUY/s72-c/QC3%25EF%25BD%259C05+%25E4%25BD%2590%25E3%2580%2585%25E6%259C%25A8%25E9%25BE%258D%25E9%2583%258E%25E3%2582%25BF%25E3%2582%25A4%25E3%2583%2588%25E3%2583%25AB%25E7%2594%25BB%25E5%2583%258F.jpg' height='72' width='72'/></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4806493550830325696.post-7369611229262396691</id><published>2011-10-21T20:35:00.003+09:00</published><updated>2011-10-28T20:51:05.060+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='05'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='佐々木龍郎'/><title type='text'>QC3｜05 佐々木龍郎「地域に関わる回路を増やす―マクロ、ミクロ、そして都市」</title><content type='html'>&lt;div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-weight: bold;"&gt;「地域に関わる回路を増やす―マクロ、ミクロ、そして都市」&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="font-weight: bold;"&gt;佐々木龍郎インタビュー&lt;/div&gt;&lt;div style="font-weight: bold;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="font-weight: bold;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;※&lt;a href="http://qc-3.blogspot.com/2011/10/qc306_28.html"&gt;前編はこちら&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;--&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;u&gt;後編&lt;/u&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―佐々木さんが横浜で継続されている「芸術不動産」というプロジェクトはどのようなものでしょうか？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;まず芸術不動産につながるプロジェクトとして、関内という古い市街地エリアの空きビル調査をしました。さらにその前には複合市街地研究に携わっていました。もともと多くのオフィスからなる関内という既成市街地にこれから住宅が混じり込んでくる。その時にどのように混じりあうのが理想的なのか、をリサーチしたのが複合市街地研究です。それに平行して、既存ストックの活用の検討も開始しました。僕が直接ではなく、櫻井淳さんという懇意にしていただいていた都市プランナーが行政から委託を受けていて、そのパートナーとして関わりました。行政は実績がないとなかなか委託を受けられないので、建築家がいきなり調査をしたいと言っても受けられるようなケースは多くはありません。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;2004年から横浜市は「創造都市」を標榜し、アーティストやクリエイターを積極的に横浜に誘致したいということを言い出していました。そのときに最初にできた拠点が「BankART1929」です。拠点は転々して今は日本郵船の倉庫をリノベーションした「BankART NYK」に落ち着いていますけど、やはり今でも「BankART」が横浜の核だと僕は思っています。いずれも横浜市が費用を負担して施設を整備し、BankARTが運営するという、公設民営方式です。横浜市はまちづくりや都市デザインに関して非常に理解が深く、そこにきちんと費用をかけてドライブさせる意志と能力があったわけです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/-bJQ8Ri6YcB0/TqpPL_zgEaI/AAAAAAAAAW0/yCIIIKfocxU/s1600/%25E8%258A%25B8%25E8%25A1%2593%25E4%25B8%258D%25E5%258B%2595%25E7%2594%25A3.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"&gt;&lt;img border="0" src="http://2.bp.blogspot.com/-bJQ8Ri6YcB0/TqpPL_zgEaI/AAAAAAAAAW0/yCIIIKfocxU/s1600/%25E8%258A%25B8%25E8%25A1%2593%25E4%25B8%258D%25E5%258B%2595%25E7%2594%25A3.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: center;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;BankART1929主催のアートイベント「Landmark ProjectⅡ」(2007)の際に作成した可動看板。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;でもその時僕が思ったのは、日本は長い目で見ると厳しい状況が続いて、公共投資だけでは立ち行かなくなるだろう、ということでした。そのとき民間との恊働が必要になってくるはずだ、と。そして、アーティストやクリエータを呼びたいと言っているけど、彼らだって不動産で寝起きして、不動産で制作して、不動産で発表する、いわば不動産まみれなわけです。でも誰もそんなことを考えずにただ「来い」と言う。実際、当時関内の賃料は坪一万円と言われていて、アーティストの払える額ではない。それで、やはり創造都市政策を絵に描いた餅にしないためには、これからは不動産にコミットメントしていかないといけない、ということで単純に２つの言葉を結んで「芸術不動産」というキーワードを発明しました。その時一緒だったのは、先程も名前が出た都市プランナーの櫻井淳さんと、北沢猛さんの弟子で現在は横浜市立大学准教授の鈴木伸治さんでした。それがスタートです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;それから、横浜市創造都市事業本部（現文化観光局創造都市推進部）や、横浜市芸術文化振興財団の「アーツコミッションYOKOHAMA（ACY）」と連携を取りながら運動を進めていきました。現在はACYがアーティストやクリエイターらの窓口になり、彼らをサポートするような組織になっています。そのようななかから、政策名にも「芸術不動産」という言葉が入ってきはじめて、旧い建物を持っている人と活用する人とを結びつける「芸術不動産モデル事業」、旧い建物をクリエータの拠点として活用するビルオーナーやビル運営者に対してそのリノベーション工事費を助成する「芸術不動産リノベーション助成事業」などが動いています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;特に、去年度から開始した「芸術不動産リノベーション助成事業」は、クリエイターを入居する前提でリノベーションをしてくれたビルオーナーを直接支援するプログラムです。オーナーにリノベーションのための費用を補助するということは非常に大きな決断なのですが、やはり創造都市に理解のあるビルオーナーを一人でも多く見つけて、協力していきたいと考えています。これはBankARTのような公設民営方式ではなく民設民営方式ですね。その時の「民」とは主にビルオーナーのことです。彼らの建築、都市、クリエイティブに対するリテラシーを少しずつでも高めていくことが長い目で見れば大切で、その契機として助成制度があるという感じです。稼動しての印象は、動こうかどうか迷っているオーナーは結構いて、そういう人たちの背中を押せる仕組があるとないとでは大きく違うということです。去年は年間で3件。2千万の助成が実現しました。最大で整備費の50％が助成されます。今年も同じ額の予算がついていて、同じく3件の助成の目安が立っています。僕はその仕組み全体のアドバイザーをしていますけど、問題もないわけではありません。特に、かなりひどい状態の建物が持ち込まれることもあって、助成対象としていいのか否か迅速かつ正確に判定していかなくてはならなくて、そこではまさに建築の知見が必要なんです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―そこで求められる職能や能力とはどのようなものでしょうか？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;旧い建物を実際見て、いいところ悪いところをチェックし、既存の資料や、公的機関の保管する資料なども参照しながら、総合的に判断することが求められます。そして、単に構造が大丈夫かどうかというだけではなくて、アーティストが使うわけですから、さらに一歩踏み込んで空間自体の価値も考えないといけない。毎回大変です。一方で、この判断によっては改修費用がかかり過ぎ、それが家賃に反映されてアーティストの負担が増すという本末転倒に陥る可能性が少なくありません。その意味で、この初動の判定に対する職能や報酬について十分に議論する余地がありますし、また建築基準法等の関連法規の見直しも必要です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;一方、教育について言えば、建築の教育はやはり新築教育が基準になっています。どうやってつくるか、という話は比較的得意だけど、旧い建物の状況を的確につかんで、活かすようなトレーニングが余りなされていないのが問題です。国土交通省がストック活用と言いはじめて大分経ちますけど、文部科学省のカリキュラムには反映されない。なぜならカリキュラムが新築のコマで埋め尽くされているからです。建物を見て判断するというカリキュラム、あるいはそういうプラクティスが必要なのは間違いなくて、実際に人材がいなくて困っています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―あるものをどうするか、という考え方と、新築をどう建てるか、という考え方とでどのような違いや連続性を見ていらっしゃいますか？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;僕はリノベーションや改修と新築はつながっていると思います。でも今は切れています。新築をやる人は新築、改修やる人は改修。リノベーションをやっていると建築がよく分かります。いいところは伸ばし、悪いところは改善すればいいわけです。その知見を活かして新築すればいい。いま年間に建てられている80万戸のほとんどは20世紀のコピー＆ペーストです。なぜなら建築の価値を評価する基準は20世紀のままだからです。不動産価値として明確にされていない。だから、駅から近いとか、土地が安いとか、そういう環境のスペックだけで測られる。それかキッチンや家具のグレードとか。それを変えて、建築自体の価値が見えてくるような世の中にするためには、リノベーションに携わりながら、その知見を新築へと活かしていくような流れを早くつくらないと、いつまでも20世紀のコピペ的新築を未来永劫いじり続けなければいけないというルーティーンが待っています。これを何とかしたい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;これに関して、最近僕が言っているキーワードは「反完成」です。これは完成状態で渡すよりも難しい。全部コントロールしたほうが楽ですし、家具を借りてきて、勝手に写真とって雑誌に載せる方がイメージはつくりやすい。でも本来は建築は、そこから人が使いはじめて、いきいきと使ってもらって価値が増すようにならなければいけなくて、そのための余地を残しておくことが「反完成」という言葉が意味することです。これは言う程楽なことではなくて、偶然そうなったということではなく、どこで止めておくか、何を準備しておくのか、完成品とは異なるさまざまな判断が迫られることになります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/-iAp8ZX7lxYM/TqpQiTHbOfI/AAAAAAAAAW8/DNvraFQnNQU/s1600/%25E5%258F%258D%25E5%25AE%258C%25E6%2588%2590%25E4%25BD%258F%25E5%25AE%2585.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"&gt;&lt;img border="0" src="http://2.bp.blogspot.com/-iAp8ZX7lxYM/TqpQiTHbOfI/AAAAAAAAAW8/DNvraFQnNQU/s1600/%25E5%258F%258D%25E5%25AE%258C%25E6%2588%2590%25E4%25BD%258F%25E5%25AE%2585.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: center;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;ヨコハマトリエンナーレ2011特別連携プログラム「BankART LIFEⅢ　新・港村」の公募で選ばれ完成した反完成住宅モデル。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今は完成品至上の世の中です。例えば住宅で言えば、建築家の設計する一品生産の住宅も、年間80万戸つくられる商品化住宅や建売住宅も、戸建住宅も集合住宅も完成品至上という意味では同じです。まったく水準は違いますが、完成品に住まわされていることに変わりない。建築家の住宅がそうなってしまう要因の一つは建築を扱うメディアが完成品至上メディアしかないということです。ある種の作家性が求められていて、それを可能な限り早く発見して公表する、ということ延々と続けている。ただ、そのようなメディアの数も大分減りました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―そのお考えはどのような実践へとつながっていますか？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;最近「&lt;a href="http://www.hakai.jp/"&gt;ハ会&lt;/a&gt;」という報告書をまとめました。5回連続で行ったシンポジウムのドキュメンテーションです。不動産、住宅系シンクタンク、社会学者、経済学者、建築都市関連事業者、建築家などなど、さまざまなジャンルの方々を巻き込んで、これからの住宅の話をしました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;僕にとって刺激だったのは、これがマクロ政策的な視点に貫かれている、ということです。「年間80万戸なんて多すぎる」といった視点ですね。正直なところ、目の前の一つ一つの建物に向き合っていると年間どれだけ住宅がつくられているかなんて気にしたことなかったんです。しかし少し俯瞰して見るとマクロなレベルの住宅政策や都市政策といった政策がある。意地悪い言い方をすれば「住宅政策がなかった」ということも見えてきてしまうのですが、「日本はこれからどうなるのか？」という大きな話について、僕はそこが不勉強だったし興味もなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;だからマクロまで戻って、いま何が必要かを議論する必要がある。マクロ、ミクロ、その間にある都市または地域、この三つの層について考えています。建築の知見がある人がマクロレベルのことをやれたらいいと思います。建築の知見はものすごく活用の幅が広い。だからいろいろなレベルにコミットメントできる、と考えています。先程も言いましたけど、建築という学問は多岐にわたっていて、そういう意味で建築は総合学だと思いますし、今その総合性が求められていると思います。それはマクロのレベルでも然りだと思います。「マクロがこうだとミクロはこんなになっちゃうよ」ということは、個別のミクロに実際に携わってないと言えません。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;このことは被災地を支援している時にも強く感じました。僕らは被災直後の四月から「&lt;a href="https://www.karizumai.jp/"&gt;仮住まいの輪&lt;/a&gt;」という被災者支援のプロジェクトを続けています。具体的には無料で居住を提供したいという人と、提供して欲しい被災者とをマッチングさせるプロジェクトです。そして「仮設住宅リノベーションプロジェクト」として、仮設住宅をもっと上手く使えないか、もっと快適に過ごせないかというプロジェクトにも取り組んでいて、その関連で今まで何度か被災地を訪れています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そこにはマクロな視点が無いんです。東北地域だと、やはり東北新幹線と東北自動車道という二大インフラが重要で、本来ならそこにある程度の産業を集積させ雇用を創出することが素直です。そしてそれは未来の東京や関西などの被災の際にはバックアップ的役割も果たすことになる。突発的な大規模自然災害が多い国なのだから、いろんなエリアでお互い助け合わないといけない。日本全体をシェアしていくような視点が大切なんです。もちろん海岸線の復興も大事なのですが、それを着実に進めていくためにも内陸のインフラ軸に産業や雇用が安定すれば、そこでを基点に海側の復興もできる。そのように日本と東北、内陸と沿岸との関係をきちんと位置付けていくのがマクロレベルの視点という意味です。大切なのは僕の考え方の善し悪しではなくて、そのような水準のことが議論される場があるということで、今はそれがない。狭い範囲での農業や漁業の話はしているけど、日本をどうするか、という話を誰もしていない。大きなビジョンが欠落しています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;一方でミクロの話もないんです。どういう住宅をつくりますか？　どういう住まい方をしたいですか？　ということがあまり話されていない。高台移転、高所移転についてはみんな議論するけど、そこでどういう生活をするかは誰も議論しない。このままでは、また20世紀のコピー＆ペーストが立ち並ぶことになります。これもやはり善し悪しの話ではなく「東京のハウスメーカでつくられた完成品としての住宅が東北に建ち並ぶ」ということを意味していて、それが本当に生活や街の復興につながっていくのかということです。ただ僕はそうは思えない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;つまり、マクロなビジョンも、ミクロなビジョンもないままに、その間の「地域」を一生懸命埋めているように見えるんです。その地域にしても、住民とワークショップをして「住民がこう言ったからこうする」という安易な話が少なくない。僕はもちろん住民の意見もとても大切だと思うけど、やはりそれだけでは地域、建築はできない。少なくともこの地域でどれくらいの住宅が必要か、そこでどういう住まいがあるとよいか、こうしたことがきちんと組み立てられなければならない。例えば避難所から仮設住宅に移れないという人がいて、なぜなら仮設住宅だと食事が提供されないから離れられないのだという理由がある。その状態ではたとえ復興住宅ができても彼らは入れないわけで、ならば住宅ではなく福祉施設を整備したほうがいい。つまり、住宅の戸数と施設の床数を合わせた「居住者数」をその比率なども含めて地域ごとに設計していくことが大切になってくる。それが無いから、仮設住宅をつくっても空いてしまう。総合的な居住政策が、日頃も非常時もない。なぜかというと、要する日本には住宅政策がなくて不動産に全部丸投げしてきたからです。仮設住宅もプレファブ協議会に丸投げ。確かに建設や不動産が日本のGDPを支えている部分もあるので単純に善し悪しは言い切れないけど、400万戸も空き家があるのに仮設を10万戸新築するという話には違和感を感たのは事実です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;地域の話に少し戻ると、国交省が被災地に対して土木系、都市計画系のコンサルティング会社に検討を委託しています。僕は復旧ならそれでいいと思います。でも今回は単純な復旧ではなく復興なので、彼らだけでは厳しいと思う。逆に牡鹿半島でのアーキエイドの活動を見ていると、建築家たちはやはり地域の本質的な状況を取り出すのに長けていて、一方で、それを土木や都市に実行する能力という意味ではやや経験がない部分もある。だからこの両者が上手く連携するような仕組みができればいいと思います。釜石などでは別な意味でそのような取り組みをしているけど、いじるにしても異業種交流的な豊富な視点の中から打開策が見えてくることもあるわけですから、そういう意味で、横浜などの活動で僕はさまざまな方々と一緒にやってきて、常に互いにどうすれば活かされるのかを考えていて、逆に考えて続けていかないと一人の力では進まない、という実感があります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―そのとき建築家の職能として様々なあり方が提示できると思いますが、佐々木さんはどのようなモデルを提示しようとされていますか？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;現在「オルタナティヴ・リサーチ」を手掛けるNPOを立ち上げたいと思っています。先程話をした宇都宮もそうですが「現在こういうプロジェクトが進んでいて、これしかないと言われているんだけど、何か他のアイデアはないのか？」ということで困っている方々に相談を持ちかけられることが多く、多くがボランティアワークになってしまうのですが、このオルタナティヴの検討はやはり業務としてあるべきだと思っています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;東京の西側に50年ほど前に整備された魅力的な団地があります。テラスハウスと4階建の階段室型集合住宅で構成されているのですが、これを大規模開発する計画があってそのほとんどが6階建になってしまう。周辺は第一種低層住居専用地区で高さ10mに抑えられていたのに、その真ん中に高さ20メートルの建物が建ち並ぶ島ができます。それも地区計画というかたちで立地する区と都とが後押ししているという状態でした。それで、周辺住民から相談を受けてオルタナティヴ・リサーチを行いカウンター・プロジェクトをぶつけました。可能な限りテラスハウスを保存しながら4階建に抑えて、6階案と同じ容積を確保して事業性が低くならないという提案で、地区計画もかけなくていいし、道路引き直すなどのインフラコストもかからない。結局は都市計画は強行されてしまったのですが、このようなスタディをもっと早く見たかった、と団地の住民にも言われました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;周辺住民が「どうしたらいいんでしょうか」と困っているときに、言葉でアドバイスできる部分もあるし、絵で見せて見直しを迫ることもできる。必ずしもそれが実現にいたったわけではありませんが、彼らもそれで気持ちを強く持ったと思うんです。もちろんその代替案が事業性6割なんてことなら話は別だと思います。僕はロマンティックなだけの保存活動では立ち行かないと思っています。このことについては賛否両論あるのは十分わかっているのですが、この国の不動産の現状を抑えながら闘わないと物事は変わっていかない。東京の西側の件は、不動産事業者も設計者も施工者も一流で、それを区と都が支援している。つまり民間と行政が結託して、一種低層住居の良好な街にいきなり20メートルの街つくります、と言い出しているわけです。彼らの言い分としては、このへんに広い森つくりますよ、と。でも板状の建物の北側で陽も当たらなければ、風も通らない。そして終日日影かかってるような暗い場所に「区民広場」と表記されている。そして建物は外側片廊下の20世紀のコピー＆ペーストです。僕から見たらひとつとしていいとこない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ただ、何より恐ろしいのは、このようなことが一方的に進んでいるということです。最優先されるのは事業性で、相変わらず土地が高いということに起因しているのですが、それが圧倒的に日本の現実です。そしてこの調子でどんどん建てていく。分譲入れたら700万戸くらい空き家があるのにどんどん建てていく。これから人口が減っているのにどんどん建てていく。そのような現実の中で、「オルタナティヴ」を考えること、そしてそれを比較していく過程で、プロジェクトが少しでもいいものになっていくこと、そのような機会が必要だと考えています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―では最後に、佐々木さんにとって地域とはどのようなものとして見えてくるでしょうか？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;先ほどまでの話に即して言うと、マクロな俯瞰的な視点と、ひとつひとつの住まいといったミクロな視点があって、その両方を束ねていって実現化されているのが地域だと思うんです。地域とは概念というよりも実体としてある。だから僕にとっては、地域が先にあるのではなく、どの範囲を地域と呼ぶのか、そこから見直していけなければならない考えています。それはひとつひとつの暮らしを見てきながら、どれくらいの規模で束ねられているのがいいか、地形などの自然条件をも加味しながら考えていく。もちろん今までの商圏や学区などの規模に対しても配慮がいるのですが、一方でパーソナルメディアの高まりによって帰属意識が変わっていてることもおそらく関係してくる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その時に基本的に一番大事なのは個人の構えだと思っています。つまり、どう暮らしたいかということをこれから個々が一人ひとり考えていくべきだと思います。住まわされるのではなく、自分たちでこうしたい、自分たちでここを地域と名付けたい、そうやって個人からスタートしていくという地域ですね。一方で、これから俯瞰的なレベルで日本はどう舵をとりますか、という視点があるべきです。その両方が顕在化するのが地域だと思うのです。しかし一般的なレベルで言えば「地域」なるものの把握はできていません。東京出身が何人いるのか、仕事をしながら通っている人がどれくらいいるのか。それくらいの把握があれば、何をつくろうかという議論ができる。しかし一方で、例えば今復興の議論でなされているのは、1000人いるから1000人分用意しよう、という把握でしかありません。全員が全員戻ってくるなんてことはあり得ない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;地域を考える上で最も重要なことは、地域は多層でいろいろなスケールがある、ということです。だから経産省のタウン・マネジメント・オーガニゼーション（TMO）はそれで余り上手く機能していかなかったと思います。経済の話だけ持ち込もうとしたわけです。今の時代はハードじゃないんだ、ソフトなんだと。でもそうではないんです。ソフトがいきいきとするハードのあり方は必ずあるんです。地域それぞれに。その思考錯誤を経てじゃあ次はこういうハードをつくろう、という話になればいいわけです。その延長上に、建築自体がいきいきと使われていないんじゃないか、という疑問が出てくるはずなんです。ある意味で豊かと言われているこの国ですが、みな個人で生きているわけじゃない。そう考えたとき、地域はその個人が束ねられる単位として非常に重要な概念だと思います。だから安易に「コンパクトにせよ」なんて言えないと思います。例えば密集しているからスプロールした方がいい場合もあるわけです。だけど常にマクロ／ミクロ／中間サイズという意識を忘れずに、必要なことを勉強しながら知見を得ながら進めていくしかないなと思っています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;実際の行動指針として言うならば、地域ごとの力学があって、それをきちんと意識しながらまちづくりを進めていくことが重要です。個々の地域においてリーダーシップを持って動く個人が束ねられているまちづくりもあれば、地域を俯瞰的に政策的に考えていくまちづくりもあるでしょう。そのなかで、いくつかのスケールの視点が重なってひとつのかたちになっていくと思うんですが、それを横断して議論していくプラットフォームをつくり、そこを横断してスタディできる業務の形態や発生の仕方を目指す必要があると思います。僕は微力ですが個人でできる枠を拡張したいと思っていますね。もちろんとても難しいことではありますが、そのような物事への関わり方において、建築家の総合性は活かされる、と僕は信じています。（了）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/-mbBa_fQyB3g/TqpTvvL7klI/AAAAAAAAAXM/eOmCW2EgX-c/s1600/IMG_3887.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"&gt;&lt;img border="0" src="http://2.bp.blogspot.com/-mbBa_fQyB3g/TqpTvvL7klI/AAAAAAAAAXM/eOmCW2EgX-c/s1600/IMG_3887.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;--&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;プロフィール&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;佐々木龍郎（ささきたつろう）&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;建築家／1964年東京生まれ／東京都立大学（現首都大学東京）大学院工学研究科建築学専攻博士課程単位取得退学／株式会社佐々木設計事務所代表取締役／神奈川大学・京都造形芸術大学・東海大学・東京電機大学非常勤講師／千代田区景観アドバイザー／横濱まちづくり倶楽部理事／東京と横浜（宇徳ビルヨンカイ）に拠点／建築設計監理・まちづくり・調査研究・商品開発・建築教育。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;div&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4806493550830325696-7369611229262396691?l=qc-3.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4806493550830325696/posts/default/7369611229262396691'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4806493550830325696/posts/default/7369611229262396691'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://qc-3.blogspot.com/2011/10/qc306_21.html' title='QC3｜05 佐々木龍郎「地域に関わる回路を増やす―マクロ、ミクロ、そして都市」'/><author><name>RAD</name><uri>http://www.blogger.com/profile/00204040342751953837</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://2.bp.blogspot.com/-bJQ8Ri6YcB0/TqpPL_zgEaI/AAAAAAAAAW0/yCIIIKfocxU/s72-c/%25E8%258A%25B8%25E8%25A1%2593%25E4%25B8%258D%25E5%258B%2595%25E7%2594%25A3.jpg' height='72' width='72'/></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4806493550830325696.post-3887310326866442746</id><published>2011-08-12T09:24:00.002+09:00</published><updated>2011-08-12T09:34:09.217+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='加藤政洋'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='特1'/><title type='text'>QC3｜特1 再現：まちあるき with 加藤政洋「都市景観のヘテロトポグラフィ」</title><content type='html'>&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/-JqF6Rn_Dv8k/TkJLneRnFlI/AAAAAAAAAVk/uXzGfoqq-F4/s1600/QC3%25EF%25BD%259C%25E7%2589%25B91+%25E3%2582%25A6%25E3%2582%25A9%25E3%2583%25BC%25E3%2582%25AF%25E3%2582%25B7%25E3%2583%25A7%25E3%2583%2583%25E3%2583%2595%25E3%2582%259Awith%25E5%258A%25A0%25E8%2597%25A4%25E6%2594%25BF%25E6%25B4%258B%25E3%2582%25BF%25E3%2582%25A4%25E3%2583%2588%25E3%2583%25AB1_2.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"&gt;&lt;img border="0" src="http://1.bp.blogspot.com/-JqF6Rn_Dv8k/TkJLneRnFlI/AAAAAAAAAVk/uXzGfoqq-F4/s1600/QC3%25EF%25BD%259C%25E7%2589%25B91+%25E3%2582%25A6%25E3%2582%25A9%25E3%2583%25BC%25E3%2582%25AF%25E3%2582%25B7%25E3%2583%25A7%25E3%2583%2583%25E3%2583%2595%25E3%2582%259Awith%25E5%258A%25A0%25E8%2597%25A4%25E6%2594%25BF%25E6%25B4%258B%25E3%2582%25BF%25E3%2582%25A4%25E3%2583%2588%25E3%2583%25AB1_2.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;「都市景観のヘテロトポグラフィ&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;　—せんなか半径500メートル—西陣のへそを歩く—」&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;　&lt;/b&gt;from&amp;nbsp;&lt;a href="http://radlab.info/qc2.html"&gt;QueryCruise vol.2&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;div style="font-weight: normal; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;div style="font-weight: normal;"&gt;&lt;b&gt;&lt;br class="Apple-interchange-newline" /&gt;今回はQueryCruiseの第2回に行った、加藤政洋さん（人文地理学者）とのまちあるきを可能な限りここに再現してみます。京都、千本通りと仲立売り通りとの交差するところ、通称「せんなか」を中心に半径500メートルを辿るこのまちあるきにつけられたタイトルは「都市景観のヘテロトポグラフィ」というもの。隣り合いながら、にもかかわらず異なる景観を語ること。都市はのっぺりとしたものではなく、異なる時間、文化、そして空間が隣り合いながらレイヤーをなしています。＜京都らしさ＞からは抜け落ちて行く、しかしこの地についての記憶を確かに残す物理的な痕跡を「景観」という観点から見て行こうというのが、このときのねらいでした。&lt;/b&gt;&lt;b&gt;「地域はレイヤーとなっている」という今回のインタビュープログラムの根元にある考え方の出発点ともなっています。&lt;/b&gt;&lt;b&gt;（2010.02.21実施）&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="font-weight: normal;"&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="font-weight: normal;"&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;※以下お届けする&lt;span style="font-weight: normal;"&gt;加藤さんのコメントは&lt;/span&gt;&lt;span style="font-weight: normal;"&gt;歩きながら録音したものであるため、残念ながら&lt;/span&gt;完全ではありません。その一部分をお届けします。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="font-weight: normal;"&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="font-weight: normal; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="font-weight: normal; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;b&gt;※参照：&lt;a href="http://radlab.info/2010/03/qc-vol2278-1.html"&gt;QC vol.2｜2月21.22日加藤政洋レクチャーレポート&lt;/a&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;iframe frameborder="0" height="650" marginheight="0" marginwidth="0" scrolling="no" src="http://maps.google.co.jp/maps/ms?msa=0&amp;amp;msid=203253627198422993397.00048019238eda5a30aac&amp;amp;brcurrent=3,0x60010875f5756609:0xef53d8dad297d521,0&amp;amp;ie=UTF8&amp;amp;ll=35.027009,135.739131&amp;amp;spn=0.022843,0.027852&amp;amp;z=15&amp;amp;output=embed" width="650"&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;div style="text-align: center;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;それぞれのポイントをクリックすると、その場所かいわいの写真が出てきます。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="font-size: medium;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="font-size: medium;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;b&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="font-weight: normal; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;b&gt;&lt;b&gt;【スタート　平野神社鳥居下】&lt;/b&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="font-weight: normal; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;/div&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"&gt;&lt;tbody&gt;&lt;tr&gt;&lt;td style="text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/-x1F5jHwpcZY/TjAfPhME6YI/AAAAAAAAATY/tbIDdTmJbnw/s1600/001.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"&gt;&lt;img border="0" src="http://3.bp.blogspot.com/-x1F5jHwpcZY/TjAfPhME6YI/AAAAAAAAATY/tbIDdTmJbnw/s1600/001.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td class="tr-caption" style="text-align: center;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/tbody&gt;&lt;/table&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;今日は「せんなか」を歩きます。烏丸通りと丸太町通りとの交差点を「烏丸丸太町」という具合に、京都では所在地をストリートで確認しますが、「せんなか」は千本通りと中立売通りとが交差するあたりを指します。今日はここを中心に直径一キロメートル内外を少し歩いてみようと思っています。ちょうど中心点のあたりにはかつて走っていた市電の駅があります。&lt;/i&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;i&gt;&lt;br /&gt;&lt;/i&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;i&gt;&lt;br /&gt;&lt;/i&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;i&gt;千本通りはかつて朱雀の大通りでした。平安京の中心の通りになります。その後の脱＝平安京、豊臣秀吉による城下町化や江戸の街区形成、そして近代化の過程の中で千本通りはむしろ市街地の外縁に位置するようになりました。ところが、続く近代化の市街地化の波が千本通りを超えてどんどん西に行くに従って、市街地の中では主軸を形成する街路になるのです。これが縦の通りです。一方横の通り。なぜ中立売通りかというと、ここを中心としたエリアがいわゆる「西陣」になるからです。近世以来の地場産業の中心、工業地区に当たる場所です。その中でひとつ中心点をとるならば、ということで「せんなか」を西陣のへそとして考えています。&lt;/i&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;i&gt;&lt;br /&gt;&lt;/i&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;i&gt;&lt;br /&gt;&lt;/i&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;i&gt;現在では四角く区切られたところに平野神社がありますが、ここが出発点です。京都は比較的東西が分かりやすいんですが、平野神社の鳥居は東を向いていますよね。神道のことはあまり詳しくないのですが、おそらく皇居、御所に向かっています。今日西大路側から来られた方もいると思いますが、西大路通りは実は新しい通りです。近代に入ってからの土地区画整理事業に伴う都市計画道路であるが故に、神社の向こう側はあまり通り道が無かったところなんです。西大路を通すのに伴ってできた入り口がありますが、もともとはなかった。&lt;/i&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;i&gt;&lt;br /&gt;&lt;/i&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;i&gt;&lt;br /&gt;&lt;/i&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;i&gt;ところで、平野神社は桜で有名なところです。江戸時代中期　―後期といったほうがいいかな―　以降いくつかの文献で現れてくるようになるんですが、ここが一番の桜の名称として知られるようになったのは明治20年以降と言われています。大正時代にはいろいろな保存活動があって、22種類くらいの桜が植え付けられていた。そういった意味では比較的新しい花見名所です。&lt;/i&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;i&gt;&lt;br /&gt;&lt;/i&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;i&gt;&lt;br /&gt;&lt;/i&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;i&gt;それから、この辺りは市街地からかなり離れるんですが、結構「いわく」付きの場所なんです。向こうには観光客だらけの北野天満宮がありますね。それこそ受験生にはじまり梅見の客、色々なお客さんが集まっていると思うんですが、平野神社の鳥居から北野天満宮に至るこの通りは北野天満宮から見れば裏の通りにあたっています。でも平野神社から見たら表参道です。一方から見たら裏、一方から見たら表ということで、非常に両義性を持った通りだと言えます。じゃあその「いわく」とは何か？　私が書いた『&lt;a href="http://www.amazon.co.jp/%E4%BA%AC%E3%81%AE%E8%8A%B1%E8%A1%97%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%8C%E3%81%9F%E3%82%8A-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E9%81%B8%E6%9B%B8-%E5%8A%A0%E8%97%A4-%E6%94%BF%E6%B4%8B/dp/4047034487"&gt;京の花街ものがたり&lt;/a&gt;』の中でもひとつの節を与えていますが、いくつか面白いことが言われています。ひとつはこの平野神社の北側。地図で見ると平野宮北町という場所にはかつて口寄せ巫女がいた。霊を召還して自分に乗り移らせ、現世を生きる人とあの世にいる人との媒介になる人のことです。そして生きている間に聞けなかったことを聞くわけですね。そうした人たちが、言葉は悪いですが「春をひさぐ」ような商売をしていた。明治、大正くらいまでかな、結構この辺りまで来ていて、客を引いていた。こういう記録を1937年に田中緑紅という人が書いています。このように、この界隈は「聖なる空間」とセクシャリティという意味での「性なる空間」とが混じるような場所なんです。北野天満宮の向こう側には花街として京都ではよく知られた上七軒という場所があります。歴史を掘り起こしてみると、意外とそういう陰薇な雰囲気をたたえる場所だった、ということを頭の片隅に置いておいてください。&lt;/i&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;【2　紙屋川付近】&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;/div&gt;&lt;table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"&gt;&lt;tbody&gt;&lt;tr&gt;&lt;td style="text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/-tkwoueeycxM/TjAfaS1xphI/AAAAAAAAATc/BtMg4hJAxeE/s1600/002.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"&gt;&lt;img border="0" src="http://2.bp.blogspot.com/-tkwoueeycxM/TjAfaS1xphI/AAAAAAAAATc/BtMg4hJAxeE/s1600/002.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td class="tr-caption" style="text-align: center;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/tbody&gt;&lt;/table&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;ここは紙屋川と言って、かなり深い川です。ここはそれほど大したところではないと感じられるかもしれませんが、江戸時代の文人や京都に訪れた文人たちが、必ずここを歩いて平野神社や北野天満宮へ参詣しているんですね。&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;&lt;br /&gt;&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;&lt;br /&gt;&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;例えば本居宣長なんかは京都時代かなり遊び好きだったそうです。はめを外さない程度に、ですがね。いろんなところに行っています。彼がここに来たとき、にわか雨に降られて足止めを食っている。この橋のたもとの向こう側だと思うんですが、立派なお宅があります。そのお茶屋さん　―二軒茶屋だったと思うんですが―　でアユだかなんだかをつまみに酒を飲みながら、雨が過ぎるのを待った、と。彼の周りにはいわゆる芸妓さんたちがいて、三味線をじゃんじゃかさせて、気分よく飲んでるお客さんがいて、彼は「まあ艶かしいことよ」と言っています。今この殺風景からはなかなか想像がつかないのですが。&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;&lt;br /&gt;&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;&lt;br /&gt;&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;東海道中膝栗毛の「弥次喜多」も、北野さんから平野さんに向かう途中にここに立ち寄って、女中さんにいつものごとく冗談とも本音ともつかないことを言いながら一杯やっている。ちょっと掘り下げてみるとなかなか面白い場所なんですね。僕が今一番追っている謎なんですが、「席貸」という独特の旅館が京都にはありました。芸妓を呼んで遊ぶお茶屋さんってのは、「貸席」。これををひっくり返した名前の不思議な旅館が京都にはあるんです。夏目漱石も谷崎潤一郎も、有名どころの作家はみんな泊まっているし、芸妓さん呼んで遊んだりしてます。いろいろなところにあったんですが、いまではその存在はほとんどなくなってしまっている。この立派なお宅は、もしかしたらその名残かもしれません。こんな奇麗なところほとんどない。二階も広いですし、小部屋になっていますし、ちょっと怪しくて面白いところですね。&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;【3　御土居】&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"&gt;&lt;tbody&gt;&lt;tr&gt;&lt;td style="text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/-8Kcxwj1NOOw/TjAhLekD0NI/AAAAAAAAATg/0u8HT9WRTNo/s1600/003.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"&gt;&lt;img border="0" src="http://1.bp.blogspot.com/-8Kcxwj1NOOw/TjAhLekD0NI/AAAAAAAAATg/0u8HT9WRTNo/s1600/003.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td class="tr-caption" style="text-align: center;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/tbody&gt;&lt;/table&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;これは「御土居」といって、秀吉が京都の街を城下町化するときにものすごく高い土盛りをしてぐるりと市街地を囲んだんです。ただ、この目的がよく分からない。この技法は当時の築城や城下町建設にあったわけではなく、実際かなり珍しいんです。その残骸。&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;なかなかすごいでしょ？　秀吉はなかなかすごい。明治くらいの地図を見るとこのふくらみが北野の方までものの見事に続いているのが分かる。ぐるりと京都を囲んでいたと言われてるんですが、その地図を見ると下の方は怪しい。西の方だと鴨川のあたりでちょうど切り崩されてしまっているんですが。堀じゃなくて、土盛りをして取り囲む。紙屋川や鴨川の水害を避けるためと言われたりするんでしょうけど、分からない。&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;&lt;br /&gt;&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;&lt;br /&gt;&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;このあたりは町家を潰してできているから、建物が少しセットバックしているのが分かります。こっちは道路まで出ているのに、一番向こうは引いている。町家の枠組みを使いながらセットバックしてるのかなとも思います。いずれにしても切り崩して出来た土地がこうなっていて、僕がはじめて来たときなんかは機織りの音がまだしてましたね。西陣の外れというか、まだ産業が根付いていたことが分かる。まあこういう場所があった、ということでした。&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;【4　北野天満宮】&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"&gt;&lt;tbody&gt;&lt;tr&gt;&lt;td style="text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/-0CsUctHN0hU/TjAliQUD5wI/AAAAAAAAATk/j0FqGL8RlXQ/s1600/004.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"&gt;&lt;img border="0" src="http://4.bp.blogspot.com/-0CsUctHN0hU/TjAliQUD5wI/AAAAAAAAATk/j0FqGL8RlXQ/s1600/004.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td class="tr-caption" style="text-align: center;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/tbody&gt;&lt;/table&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;やっぱり観光客は多いのですが、我々は傍へ傍へと行きます。成就棒や宿房坊からの寄進がありますね。宿坊房がいくつかあったんだろう、と思うんですが、あまり研究がないんでよく分からないんです。僕は花街を研究していますが、東京なんかへいくと、京都と違って、ほとんどなくなってます。ただ、かつてのお茶屋さんがまったくなくなっているところでも、その近くの神社へ行くと灯籠にかつてのお茶屋さんや料亭の名前があったりする。当時の記憶がこういうところにかろうじて残っていることもままあります。僕は信心深い方じゃないので参拝にはあまり行ったことなかったんですが、これに気づいてから土着の神には敬意を払おうということで見に行くようになりました。まあでも何を見ているかというと、こういうところばっかりを見てるんですけどね。&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;【5　上七軒入口】&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"&gt;&lt;tbody&gt;&lt;tr&gt;&lt;td style="text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/-RVe-fZsPKfE/TjAmsKIB1TI/AAAAAAAAATo/GeT255CvUwA/s1600/005.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"&gt;&lt;img border="0" src="http://3.bp.blogspot.com/-RVe-fZsPKfE/TjAmsKIB1TI/AAAAAAAAATo/GeT255CvUwA/s1600/005.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td class="tr-caption" style="text-align: center;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/tbody&gt;&lt;/table&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;1946年の米軍がとった空中写真に、S31年のお茶屋の分布を色づけした資料があります。写真自体は1946年のものですが、赤く塗ってあるお茶屋さん自体はS31年のものです。これを見ると、ここがメインの道路になっていることがわかると思います。今出川通りからぐっと伸びているこの通りの両側にお茶屋さんができた。これが上七軒の空間特性です。かつては三十何件ありましたが、今では十軒程度しかありません。&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;&lt;br /&gt;&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;&lt;br /&gt;&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;かつてのお茶屋さんの建物をコンバージョンした様々なお店ができていますね。西陣にあった町家カフェの二店舗目もこのあたりに来ました。ちなみに、いつくらいから町家のコンバージョンが始まったかというと、20年くらい前から大きな物件が動き出して、2000年くらいから小さなお店が増えてきました。メディアが取り上げはじめたのが2003年あたりでしょうかね。もちろん飲食店だけじゃなくて小間物屋さんもある。今日歩く西陣は町家が集積しているということで有名で、京都の中でも景観としてそれなりに面白いところです。&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;【6　上七軒の真ん中】&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"&gt;&lt;tbody&gt;&lt;tr&gt;&lt;td style="text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/-tFap47Q6dMM/TjAnzejnjGI/AAAAAAAAATs/zVba2t6ZsnY/s1600/006.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"&gt;&lt;img border="0" src="http://3.bp.blogspot.com/-tFap47Q6dMM/TjAnzejnjGI/AAAAAAAAATs/zVba2t6ZsnY/s1600/006.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td class="tr-caption" style="text-align: center;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/tbody&gt;&lt;/table&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;「中里」っていうお茶屋さんがさっきありましたね。あれは川端康成の『&lt;a href="http://www.amazon.co.jp/%E5%8F%A4%E9%83%BD-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%B7%9D%E7%AB%AF-%E5%BA%B7%E6%88%90/dp/4101001219"&gt;古都&lt;/a&gt;』でもちょっと出てきたりする有名なお店です。それから、あそこに「糸仙」っていう中華料理屋さんがありますが、あれは昔お茶屋さんでした。いまはリーズナブルで美味しい料理屋さんです。もうひとつ、大体この辺りはずっとお茶屋だったんですが、石田民三（たみぞう）という戦前から活躍していた映画監督さんがいて、売れずにお茶屋の主人として暮らした、というお店もある。戦後、上七軒の「北野をどり」という春の踊りがあるんですが、それを復活させた張本人が石田さんです。&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;&lt;br /&gt;&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;&lt;br /&gt;&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;ちなみに、町家の特徴のひとつに、階段がゆるやかであることがあります。僕も町家に住んでいてとても古い建物ですが、階段急なので昔酔っぱらって落ちたことあります。それを考えると、酔客でも危なくないようにゆるやかになってるのかなと思ったりもします。&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;【7　上七軒の裏通り】&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"&gt;&lt;tbody&gt;&lt;tr&gt;&lt;td style="text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/-iFbTeTjSSpY/TjAoHgnR9II/AAAAAAAAATw/7SzoyL65Adg/s1600/007.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"&gt;&lt;img border="0" src="http://3.bp.blogspot.com/-iFbTeTjSSpY/TjAoHgnR9II/AAAAAAAAATw/7SzoyL65Adg/s1600/007.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td class="tr-caption" style="text-align: center;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/tbody&gt;&lt;/table&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;この通りになるとお茶屋さんはもう全然なくなってしまいますね。&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;景観法による認定済みのステッカーが貼ってありますね。&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;【9　今出川通り】&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;/div&gt;&lt;table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"&gt;&lt;tbody&gt;&lt;tr&gt;&lt;td style="text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/-Rrttre6b-ak/TjArWHweWMI/AAAAAAAAAT4/Mym_s-UwH28/s1600/009.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"&gt;&lt;img border="0" src="http://4.bp.blogspot.com/-Rrttre6b-ak/TjArWHweWMI/AAAAAAAAAT4/Mym_s-UwH28/s1600/009.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td class="tr-caption" style="text-align: center;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/tbody&gt;&lt;/table&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;ここの通り、向こうに「北野白梅町駅」っていう嵐電（京福電気鉄道　嵐山本線・北野線）の駅があるんですが、前にはこの辺りまできてました。この建物の向こうあたりにかつての「北野駅」があったんですね。北野に向かってひとつ嵐電が伸び、もうひとつ市電が伸びてきて、というふうに北野天満宮へのアクセシビリティはすごく良かったんです。だからこそ商業集積というか、様々な商業が集中していた。完全に「北野さん」目的ですね。今から行くのが&lt;a href="http://kyotohyakki.com/web_0317/top.html"&gt;大将軍商店街といって「妖怪ストリート」と呼ばれているところ&lt;/a&gt;です。妖怪でまちづくりをして全国的に有名になり注目されているところです。&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;【9'　妖怪ストリート】&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"&gt;&lt;tbody&gt;&lt;tr&gt;&lt;td style="text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/-HkmU4DlSMvE/TjArrm6u-pI/AAAAAAAAAT8/2BB-9EQAino/s1600/009_1.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"&gt;&lt;img border="0" src="http://1.bp.blogspot.com/-HkmU4DlSMvE/TjArrm6u-pI/AAAAAAAAAT8/2BB-9EQAino/s1600/009_1.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td class="tr-caption" style="text-align: center;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/tbody&gt;&lt;/table&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;妖怪がところどころに出てきます&lt;/i&gt;【註：上の写真に見える魚は妖怪ではありません】&lt;i&gt;。「百鬼夜行」にちなんでますね。&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;【10　平安道場前】&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"&gt;&lt;tbody&gt;&lt;tr&gt;&lt;td style="text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/-PIjvHtYB7qc/TjAsCzj3u0I/AAAAAAAAAUA/Yjo0M4I3oWo/s1600/010.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"&gt;&lt;img border="0" src="http://2.bp.blogspot.com/-PIjvHtYB7qc/TjAsCzj3u0I/AAAAAAAAAUA/Yjo0M4I3oWo/s1600/010.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td class="tr-caption" style="text-align: center;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/tbody&gt;&lt;/table&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;このあたりはさっきとはちょっと違った猥雑さがある。普段だと花屋さんや八百屋さんがあり、その向こうにはバラックのようなものがある。この南側の通りは、向こうの方までいわゆる遊廓があったところです。ここから五番町というところに行きます。水上勉の『&lt;a href="http://www.amazon.co.jp/%E4%BA%94%E7%95%AA%E7%94%BA%E5%A4%95%E9%9C%A7%E6%A5%BC-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%B0%B4%E4%B8%8A-%E5%8B%89/dp/4101141010"&gt;五番町夕霧楼&lt;/a&gt;』でも有名な場所です。水上勉という作家さんは戦前立命館文学部だったのですが、その後中退。「私にとっての大学は五番町だった」と語っています。それから花村萬月という芥川賞作家がいますが、彼が京都に帰ってきていて、その辺に住んでた、と言われていた。そういう濃い場所です。&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;【11　五番町入り口】&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"&gt;&lt;tbody&gt;&lt;tr&gt;&lt;td style="text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/-xqzNnk0xAA8/TjAsQgXwlxI/AAAAAAAAAUE/Zs0fym-R9qc/s1600/011.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"&gt;&lt;img border="0" src="http://3.bp.blogspot.com/-xqzNnk0xAA8/TjAsQgXwlxI/AAAAAAAAAUE/Zs0fym-R9qc/s1600/011.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td class="tr-caption" style="text-align: center;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/tbody&gt;&lt;/table&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;では五番町へ入っていきます。昭和33年あたりだったら、ここを曲がった瞬間に男性は胸躍ったでしょうね。丸みを帯びたデザインなんかもあって。&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;【12　報土寺前】&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"&gt;&lt;tbody&gt;&lt;tr&gt;&lt;td style="text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/-u1r2cvk1Rcg/TjAsb665cBI/AAAAAAAAAUI/OsY1vJF5EwA/s1600/012.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"&gt;&lt;img border="0" src="http://1.bp.blogspot.com/-u1r2cvk1Rcg/TjAsb665cBI/AAAAAAAAAUI/OsY1vJF5EwA/s1600/012.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td class="tr-caption" style="text-align: center;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/tbody&gt;&lt;/table&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;寺が三つ並んでいます。二番目の寺の裏に今では家が建っていますけど、かつては全部が娼家でした。娼家というのは遊女がいるところですね。この寺はいわゆる「投げ込み寺」と呼ばれていて、亡くなった方々が投げ込まれていたらしいです。&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;【13　四番町1】&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"&gt;&lt;tbody&gt;&lt;tr&gt;&lt;td style="text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/-RZb0UCU-DVw/TjAskjpJlmI/AAAAAAAAAUM/KxA9qJhMVrY/s1600/013.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"&gt;&lt;img border="0" src="http://1.bp.blogspot.com/-RZb0UCU-DVw/TjAskjpJlmI/AAAAAAAAAUM/KxA9qJhMVrY/s1600/013.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td class="tr-caption" style="text-align: center;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/tbody&gt;&lt;/table&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;ここから素敵な建物が並びますよ。&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;&lt;br /&gt;&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;【14　四番町2】&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"&gt;&lt;tbody&gt;&lt;tr&gt;&lt;td style="text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/-uY1oSWjPXSw/TjAssU2JuDI/AAAAAAAAAUQ/6mniVOVEMk8/s1600/014.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"&gt;&lt;img border="0" src="http://1.bp.blogspot.com/-uY1oSWjPXSw/TjAssU2JuDI/AAAAAAAAAUQ/6mniVOVEMk8/s1600/014.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td class="tr-caption" style="text-align: center;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/tbody&gt;&lt;/table&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;かつてここにカフェー調のタイルを張り巡らしたお店がありました。いろんな人がその建物を見、水上勉もそれについて書くことになるという、そういう象徴的な建物が10年前まではあった。いつかもうなくなってしまいました。&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;&lt;br /&gt;&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;最初はびっくりしてしまっていたんですが、ここ10年間のうちにこういうマンションが出来てすっかり変わってしまった。ここも昔は遊廓だったと思います。花村さんが住んでいたところもこのあたりだったんじゃないかな。&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;【15　千本日活前】&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"&gt;&lt;tbody&gt;&lt;tr&gt;&lt;td style="text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/-s1-0Bs0ccZU/TjAs0QFAwSI/AAAAAAAAAUU/ZvHgHwTWVaQ/s1600/015.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"&gt;&lt;img border="0" src="http://2.bp.blogspot.com/-s1-0Bs0ccZU/TjAs0QFAwSI/AAAAAAAAAUU/ZvHgHwTWVaQ/s1600/015.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td class="tr-caption" style="text-align: center;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/tbody&gt;&lt;/table&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;ここ昔から変わらず料金は500円なんですよ。&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;【16　六番町】&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"&gt;&lt;tbody&gt;&lt;tr&gt;&lt;td style="text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/-tl8srKNLtbY/TjAvMuz8T8I/AAAAAAAAAUY/TqbVT02ecDk/s1600/016.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"&gt;&lt;img border="0" src="http://2.bp.blogspot.com/-tl8srKNLtbY/TjAvMuz8T8I/AAAAAAAAAUY/TqbVT02ecDk/s1600/016.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td class="tr-caption" style="text-align: center;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/tbody&gt;&lt;/table&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;ここ、半年前まで1億6千万から2億くらいで売られてました。部屋数は11。もったいないな、とは思ってたんだけどさすがにそんなお金ないので、どうしようもなく……&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;&lt;br /&gt;&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;&lt;br /&gt;&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;ところでこれ、道が急に広くなってますよね。五番地町の入るところは大体、広い通りから入ってくるところはキュッと狭くなっています。そこからひゅっと開ける。千本日活に入るところもそうなってます。どういうわけか分からないんですが、これはすごく面白いですね。&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;【17　元千本座前】&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"&gt;&lt;tbody&gt;&lt;tr&gt;&lt;td style="text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/-gGbzBDWsCMs/TjAvZMJGzjI/AAAAAAAAAUc/Et0To_wKk_k/s1600/017.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"&gt;&lt;img border="0" src="http://3.bp.blogspot.com/-gGbzBDWsCMs/TjAvZMJGzjI/AAAAAAAAAUc/Et0To_wKk_k/s1600/017.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td class="tr-caption" style="text-align: center;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/tbody&gt;&lt;/table&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;ちょっとした違和感があると思います。通りにぐるりと囲まれているコンビニ。なぜこうなっているのか分かりますか？　実はこのコンビニ、元々は映画館だったんです。そもそも千本は映画の街だった。なかでもここは「千本座」という一番有名なところで、その四方を囲むように飲み屋が出来た。映画はかつてはやっぱり歓楽街と強く結びついていて、今のシネコンのようなクリーンな空間ではなくて、幾分猥雑さをたたえるような場所でした。&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;&lt;br /&gt;&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;その後映画が斜陽産業になり、この映画館も閉まり、コンビニが入った。それほど大きなスペースを取る必要はないから、「コの字型」というか、不思議な空間が生まれてしまったんですね。&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;【18　元映画館】&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"&gt;&lt;tbody&gt;&lt;tr&gt;&lt;td style="text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/-mRzCU9A32eM/TjAvhQDFuzI/AAAAAAAAAUg/ojHXXWAS9EY/s1600/018.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"&gt;&lt;img border="0" src="http://4.bp.blogspot.com/-mRzCU9A32eM/TjAvhQDFuzI/AAAAAAAAAUg/ojHXXWAS9EY/s1600/018.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td class="tr-caption" style="text-align: center;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/tbody&gt;&lt;/table&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;行政が意図しない都市計画がどんどん進行して、商業地としての性格がどんどん脱商業地化している。年々変わって行くんですが、看板が変わったりして、まちづくりの試みも進んでます。面白いところですね。&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;&lt;br /&gt;&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;見ての通り、ここが一番の中心地でした。かなり入り組んでます。実はこれ両側ひとつで映画館だったんですよ。映画館を潰して住宅が出来ているんですね。もともとは成人映画館だったのですがうまく行かずに潰れてしまった。営業者は続けてやりたかったんだけど、土地の所有者が追い出しをかけて、結局なくなり、今となっては新しい住宅が建っている。このようにして土地の記憶は、消えていくというと変ですが、外から見ただけでは分からなくなっていくわけです。ただ、ドラマの撮影をよくこの辺りでしてるんですけどね。&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;【19　元長屋】&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"&gt;&lt;tbody&gt;&lt;tr&gt;&lt;td style="text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/-0Vs01zLjFeY/TjAvs-KeZFI/AAAAAAAAAUk/Y1ls2aIIct0/s1600/019_1.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"&gt;&lt;img border="0" src="http://2.bp.blogspot.com/-0Vs01zLjFeY/TjAvs-KeZFI/AAAAAAAAAUk/Y1ls2aIIct0/s1600/019_1.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td class="tr-caption" style="text-align: center;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/tbody&gt;&lt;/table&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;この界隈は元々すごい低層の長屋地区だったんです。そこにちょっと名残があるような長屋がずらっと建っていたところを、おそらく10年以上の時間をかけて立ち退きさせて空いたところから全部潰した。最近では子供の声も響くようになりましたけど、まちの性格は随分と変わりましたね。それにともなって新しくできた道なんかもあります。これはいわゆる「路地」です。後ろに裏長屋というのが立ち並んでいますね。西陣ではよく見る風景です。ほとんどが借家です。&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;【19　ゴール間近】&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"&gt;&lt;tbody&gt;&lt;tr&gt;&lt;td style="text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/-Oe3hdXuGwM8/TjAv7aAFD7I/AAAAAAAAAUo/Wx57qDV8VWk/s1600/019_2.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"&gt;&lt;img border="0" src="http://2.bp.blogspot.com/-Oe3hdXuGwM8/TjAv7aAFD7I/AAAAAAAAAUo/Wx57qDV8VWk/s1600/019_2.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td class="tr-caption" style="text-align: center;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/tbody&gt;&lt;/table&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;だいたいこれくらいで時間になりましたね。「せんなか」からくるっと回るようにして歩いてきました。対角に位置している五番地や西陣京極といったところ。非常に個性ある街ですが、バスなんかに乗ってると意外と気づかずに過ごしてしまったり、外からは全然わからないと思うんですね。「西陣」と一口に言っていても、いろんな顔があって、織屋建ての町家がずらっと並んでいるところもあったんですが、歴史的に見ると顔の違う風景がひとところににギュッと入っているわけです。&lt;/i&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;----&lt;br /&gt;&lt;b&gt;◉加藤政洋さんに少しお話を聞きました&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;「&lt;a href="http://ryokiden.com/"&gt;町家ショップ＆カフェ陵綺殿&lt;/a&gt;」にて&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/-CnhQULkd5vw/TkE3WgauuxI/AAAAAAAAAUw/ZhdyEEAnTCc/s1600/020.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"&gt;&lt;img border="0" src="http://2.bp.blogspot.com/-CnhQULkd5vw/TkE3WgauuxI/AAAAAAAAAUw/ZhdyEEAnTCc/s1600/020.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;—なぜ「ヘテロトポグラフィ」というタイトルにされたのですか？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;このタイトルについてなんですが、ミシェル・フーコーという哲学者が「ヘテロトポロジー」ということを言っています。今回はそれをもじって「ヘテロトポグラフィ」と言ってみました。「隣接しながらも性格を異にする」（ヘテロ）、異質の場所（トポス）を「ライティングする」（グラフィ）ことから景観の違いを考えていこう。こういう意図からつけました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そのとき景観政策という制度的なところはひとつの対立軸として考えやすいんですよ。行政は＜京都らしさ＞ということを言ってはいるけど、そんなものじゃ切れないものが実際にあるわけです。「没場所化」させない景観の話をしようかなと思っていたんですが、いきなり「ヘテロトポグラフィ」は唐突でしたね（笑）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―例えば、『&lt;a href="http://www.amazon.co.jp/%E5%A0%B4%E6%89%80%E3%81%AE%E5%8A%9B%E2%80%95%E3%83%91%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%92%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E9%83%BD%E5%B8%82%E6%99%AF%E8%A6%B3-%E3%83%89%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%82%B9-%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%87%E3%83%B3/dp/4761531029"&gt;場所の力&lt;/a&gt;』（ドロレス・ハイデン）といった著作の中でもヘテロトポロジーを場所の持つ力としてとらえようという議論がありますよね。&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そうですね。こないだ釜ヶ崎でワークショップをやったときは、昭和30年代くらいの古い写真をものすごいたくさん持ってきたんですが、労働者のおっちゃんたちは全部それを当てていくんです。それをマッピングしていって、新しい歴史地誌史のようなものをしたいなと思いました。参加した人たちは満足していましたね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―ヘテロトポグラフィを語っていくことに対して、それをかたちに残していく、記憶に残すという点に難しさがあると思います。その点について人文地理学はどうやってアプローチするのでしょう？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;テクストが重要ですね。差異化するトポスというものがあって、語られた瞬間、常にすでに差異化される。1750年代から現在までさまざまに語り継がれていますが、そういうものを「ゲニウス・ロキ」と呼んでます。それを際立たせるひとつの手段がテキストです。よくやるやり方としては、「現在は何も無いよね」というところから入って、でも掘り返してみれば平板な記憶の中に、歴史的にドロッとしたものが出てくる。これはいろいろなところにあります。鍵はそれをうまく発見できるかどうかです。それを「場所の系譜学」と言います。接ぎ木されたり、脱臼されたり、そういうアーティキュレーションがある。その中で景観を見てみるというのは、面白い。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―今回の「ヘテロトポグラフィック」な視点が、&lt;/b&gt;&lt;b&gt;これまで親しんできた「歴史」とはあまりにも違っていてやや混乱しています。&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そうですね。平安的なものがあって、江戸的なところがあって、現代的なところもある。そういうまだら状になっている。ひとつの場所にひとつの時間ではなくて、いくつもの時間が流れているわけです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―そこに気持ち悪さを感じてしまったんです。&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;当たってしまったわけですね（笑）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―ただ、都市体験はもともとそのような「当たる」感覚とともにあったのかなと思うんですが。&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そう。だから有名な思想家はいつも最初の体験を描きたがるんです。フーコー、ベンヤミンなんかはそれに長けていたんでしょうね。ボードレールも。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―19世紀パリやあのあたりの時代、ヨーロッパの大規模開発は当時の人たちの目にどのように映ったのでしょうね。&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;視覚的には現在の方が圧倒的だと思いますね。資本投下量も違います。一方で今日見たような「御土居」なんかはマンパワーであれだけのものをつくってしまった、いわば大規模開発ですよ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―それぞれの時代がそれまでに生きた人たちや彼らがつくったもののの影響を受けざるを得ないわけですね。&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;規定を受けながら壊していく、創造的なビルトエンバイロメントに関して言えば、「クリエイティブ・ディストラクション」という、つまり創造的に壊していく、という議論がある。一度つくっちゃうと、当たり前だけれど、次の時代を規定する。次の時代はそこに影響を受ける。そのときはよかれと思って資本蓄積をしてつくるけど、次の時代にとっては不十分になってくるということもあるわけです。そういうとき、いかにクリエイティヴに破壊できるのか、というところがポイントになるでしょうね……&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（了）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;--&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;加藤政洋&lt;/span&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1972年信州生まれ。大阪市立大学大学院文学研究科後期博士課程修了。博士（文学）。専門は文化地理学。立命館大学文学部教員。著書に『大阪のスラムと盛り場』（創元社）、『花街』（朝日選書）、『敗戦と赤線』（光文社新書）、『京の花街ものがたり』（角川選書）、『神戸の花街・盛り場考』（神戸新聞総合出版センター）がある。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4806493550830325696-3887310326866442746?l=qc-3.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4806493550830325696/posts/default/3887310326866442746'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4806493550830325696/posts/default/3887310326866442746'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://qc-3.blogspot.com/2011/07/blog-post.html' title='QC3｜特1 再現：まちあるき with 加藤政洋「都市景観のヘテロトポグラフィ」'/><author><name>RAD</name><uri>http://www.blogger.com/profile/00204040342751953837</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://1.bp.blogspot.com/-JqF6Rn_Dv8k/TkJLneRnFlI/AAAAAAAAAVk/uXzGfoqq-F4/s72-c/QC3%25EF%25BD%259C%25E7%2589%25B91+%25E3%2582%25A6%25E3%2582%25A9%25E3%2583%25BC%25E3%2582%25AF%25E3%2582%25B7%25E3%2583%25A7%25E3%2583%2583%25E3%2583%2595%25E3%2582%259Awith%25E5%258A%25A0%25E8%2597%25A4%25E6%2594%25BF%25E6%25B4%258B%25E3%2582%25BF%25E3%2582%25A4%25E3%2583%2588%25E3%2583%25AB1_2.jpg' height='72' width='72'/></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4806493550830325696.post-2057770215183058130</id><published>2011-07-18T14:21:00.014+09:00</published><updated>2011-07-28T11:31:36.991+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='高浜利也'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='04'/><title type='text'>QC3｜04 高浜利也インタビュー「地域にとってどのような「余所者」であるか」</title><content type='html'>&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/-q8uDu3jh3A8/TiV-FPoLs5I/AAAAAAAAAS8/rvfn08gzwe8/s1600/QC3%25EF%25BD%259C04+%25E9%25AB%2598%25E6%25B5%259C%25E5%2588%25A9%25E4%25B9%259F%25E3%2582%25BF%25E3%2582%25A4%25E3%2583%2588%25E3%2583%25AB%25E7%2594%25BB%25E5%2583%258F.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"&gt;&lt;img border="0" src="http://2.bp.blogspot.com/-q8uDu3jh3A8/TiV-FPoLs5I/AAAAAAAAAS8/rvfn08gzwe8/s1600/QC3%25EF%25BD%259C04+%25E9%25AB%2598%25E6%25B5%259C%25E5%2588%25A9%25E4%25B9%259F%25E3%2582%25BF%25E3%2582%25A4%25E3%2583%2588%25E3%2583%25AB%25E7%2594%25BB%25E5%2583%258F.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;「地域にとってどのような「余所者」であるか」&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;高浜利也インタビュー&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;--&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;今回インタビューを行った高浜利也さんは版画家として様々な地域に関わりながら制作を行っている。滋賀県椋川にて行われた「Community on the move」には作業補助として私たち（RAD）も関与させていただいた。畳屋に生まれ、職人として育てられ、制作のかたわら大工としても活動を行い、教育者として学生を教え、率い、そして美術というフィールドで作品を残す、こうした様々な側面が分断されることなく自身の活動全体に息づいている。今回は、様々な地域へと関与しながら制作を行うことについてどのように考えられているのかを、制作されているもののあり方を交えながら、うかがった。（2011年5月5日、高浜さんのアトリエにて収録）&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;※&lt;a href="http://qc-3.blogspot.com/2011/07/qc304.html"&gt;後編はこちら&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;u&gt;&lt;b&gt;前編 「きっちりと「余所者」であり続ける」&lt;/b&gt;&lt;/u&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;―高浜さんは「&lt;a href="http://mukugawa.korekore.org/cotmm-ura-0804-2.pdf"&gt;Community on the move&lt;/a&gt;（※リンク先PDF）」と題された作品を制作されています。私たちにとって高浜さんとの出会いのきっかけとなったものでもあるのですが、これはどのようなプロジェクトなのでしょう？&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;一言で言うと、「Community on the move」は積み木がいろいろな地域を回って行くプロジェクト。僕の仕事は建築的な側面から入っているものが多いんだけど、それがいろんな方向に進んで行く中で生まれてきたものなのね。例えば越後妻有アートトリエンナーレに出展したとき、僕は「家」を作品として（「&lt;a href="http://park18.wakwak.com/~prospector2/works/AP01.htm"&gt;小出の家&lt;/a&gt;」）3ヶ月間そこに寝泊まりしながら制作していたんだけど、作業中に子どもがよってきて、慣れてくると「おっちゃんこれで積み木してもいい？」って端材で遊びはじめた。2ヶ月目くらいからはその友達もやってきて、まあ友達って言っても全校で11人くらいしかいないんだけど、だんだん彼らの遊び場になって、積み木で家をつくり始めたんですよね。1階は自分の作品の空間だったから、子どもがつくった「家」を2階の屋根裏に置いて、いつの間にかそれも作品の一部みたいになってきた。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;で、妻有での3ヶ月が終わり、いろいろあってその家の所有権が移って、東京電機大学と共立女子大学の建築系のゼミが授業の中で工事を継続させるということでその後を引き受けた。だから僕らの手から作品が離れて、その地域とのつながりもそこで断たれちゃった。2階に置いていた子どもたちがつくった「家」もそれに伴って撤去されることになったから、じゃあ引き取って次の街に持っていこう、と。その後愛知県立芸術大学で特別講師としてワークショップを頼まれていたので、じゃあその機会に、と思ってそこでもやった。行きがかり上、終わったらその「家々」をまた引き取って、トラックに積んで北海道の根室に行ったりまた別のところへ行ったり…。その結果、地域の人と関わる最初の入り口でそのワークショップをやって、自分の「持ち運べるコミュニティ」を持って行くっていうことを繰り返すようになった。そういうかたちで、大人も子どもも地域の人と一緒に作業して関わっていくプロジェクトができたんです。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;―高浜さんは版画家として活動されています（&lt;a href="http://homepage2.nifty.com/gallery-natsuka/natsuka/artist%20contents/takahama_toshiya/takahama_toshiya_top.html"&gt;参照&lt;/a&gt;）が、自身の肩書きと自身がなされていることとの関係をどう考えていますか？&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;版画家という肩書きは自分が美術の中にいるときの足がかりとしてあるかな。絵は描いてないから絵描きではないし、版画が一番多いから版画家。一方で昔から大工もやっているんだけど、それも作品のなかに入ってきている。大工的な木工、というか、インスタレーションみたいなことをやっているからね。それを最終的に版画や平面に落とし込んでいる。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;ただ、最終的に版画という形態を取ることが多いんだけど、制作自体は例えばどこかの地域に出かけて行って、風景なりなんなりを自分でつくるところからはじめる。風景画家はどこかに出かけて行ってそこにある風景を描くけど、僕の場合は描く対象としての風景をまずつくりたい。それもその地域の人と関わりながら風景をつくりたい。そこでのイメージなりエピソードなりを可視化しながらね。とはいえ、最終的には版画にしているから版画家でいいんじゃないかって思っているけど。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;―それは版画をはじめられた当初からそう考えられていたのですか？&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;僕は常に基礎を美術に置きたいと思ってる。ある程度の形式をもった美術をつくりたいと思っていて、もともとはホワイトキューブからスタートしているのね。大学では油絵専攻に入ったんだけど、描いてもリアリティを持てなかった。大学3年のときに版画と出会って、100％思い通りにならないことに面白みを感じたというところがある。素材に対して版画の持ついい加減さというか軽さというか。油絵だったら描いて美術館にかざってなんぼ、ギャラリーにかざってなんぼという美術の世界だけで成り立つものだけど、版画はどちらかというともともとメディアだった。例えば浮世絵なら役者絵が思い浮かぶけど、これはブロマイド。役者のファンが「キャー」ってなるようなね。木版画だったら青表紙、黄表紙といったもの。今でいう「女性自身」みたいないわゆるゴシップ雑誌かな。銅版画だったら中世ヨーロッパの図鑑の挿絵とかね。あと貴族の鎧甲冑の金属を加工する技術もある。こうやって版画はいろいろな形で世の中と密接に関わっていた。だから美術の中で版画の存在感は当時はさほどなかったと言っていいと思う。それが浮世絵としてヨーロッパに渡り、評価されて逆輸入されたから、いまとしては美術のいちジャンルとして成立しているけど。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;いろんなところへ行って、見たりつくったり可視化したりというとき、油絵で描くと美術館にしか置けない。少なくとも美術の範疇に入ってしまう。でも自分がやりたいのは、社会の中で風景をつくりながら地域に関わって、ジャーナリズムというほど大げさじゃないけど、社会の中で見たものを自分なりに記録するということ。もちろんアーティストとしては作品を美術としてフォーマルなものにしたいという思いもあるけど、社会と常につながっていたいという思いもある。自分が社会に見たものがまた社会にかえっていくというかね。複製が可能だったり、単価が安いというすごくプラクティカルな理由もあるけど、先に言った版画の持つ軽やかさや希薄さ、言ってみれば美術館におさまらずにそのへんにほっぽっておいてもいい、そういう版画の性質が自分がやろうとしてることと合致してる。だから版画家という肩書きは嫌じゃないかな。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;―「風景をつくる」とは具体的にどのようなことなのでしょうか？&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;風景をつくる、と言っても、なにか人工的に図面があってものをつくる、いわゆる建築や構築ではないんですよ。全てをコントロールしようとするんじゃなくて、出向いていった地域の中で出会う人によって変化するようなものかな。子どもが関わってくれる、ということもそうだけど、予期できない要素がすごく大事になる。それは実は版画のプロセスと似ているんですよ。自分の思い通りにならない、不自由さの快楽じゃないけど、すべてコントロールできないがゆえの面白さがある。風景を「つくる」にしても、全部自分でやるんじゃなくて、人にやってもらう。ワークショップはそのいい例だと思う。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;つまりそれはなりゆきだったり、そこにいる人との関わりによる偶然性が入ってくるということ。少し話した通り、版画自体が偶然性の強いものであって、焼き物のように半か丁か、という賭けみたいなところがある。刷ったときに左右逆転するしね。これが油絵ならかなりの程度コントロールできるし、平面のドローイングならある線はそのまま線として作品になるけど、版画は銅に描いて、腐食させて、刷ってというプロセスの中で絵が左右反転したり思った以上に線が濃くなったり薄くなったり思いがけない傷が入ったり、そういう他者性というか不自由さがある。何か委ねる部分が多くて、そのへんの面白さがあるかな。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;―「Community on the move」は自身の仕事においてどのような位置を担っているのでしょう？&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;どこであれ、制作する前には住人の前で説明会みたいなことをするんですよ。こういうことしますよ、と。プレゼンみたいなものです。区長さん、地元の人がいて、公民館でみんなで酒飲んで、って。そういうのもいいんですけど、一方的に喋るよりは身体を動かす、身体性が重要だなと最近思っています。一緒に作業するというのが一番いいかな。だから地域に入るときはワークショップがいい。考えてみると、地域は一緒に身体を動かした恊働の体験によってむすびつくと思うんです。田んぼ作業したりとかね。もう少し言うと、コミュニティ自体が何かに対して一緒に作業するという性格を持ってると思う。例えば自然災害に対して、あるいは今回の震災も然りだろうね。なにか自然のすごい力に対して自分たちの力をあわせるしかない、というところでコミュニティができる。そういうのもふまえて、ある程度の恊働体験としてワークショップは有効なものとしてある。何かやるときに机の上だけ、車座になって喋るだけじゃなくて、一緒に汗をかくという感覚でやっていくのがいいなと個人的には思っていますね。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;そういうわけで、「Community on the move」というワークショップのプロジェクトは、当初は妻有でやったような建築と関わりのある作品をつくるプロジェクトから派生したものなんだけど、個人的にも、僕の制作にとっても、それがだんだん重要になってきた。積み木でできたものがいろんなところへ行くたびに、いろんな人との関わりによって増えていくというところがあって。僕が地域へと関わるときに最初にやっていることであり、行く先々でやっているから、僕がいろんなところへ行っていることを示してくれているし。重要なのは、つくってもらって、ストックして、次のところへ持っていくというところ。それを繰り返す中で「Community on the move」はますます重要になっているし、僕の平面の仕事へも影響を与えていると思う。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;―いちプロジェクトでありながら、高浜さんの仕事総体にとっても象徴的なものであると。&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;そうそう。素材の面で言っても椋川では杉、越後妻有では古い家を取り壊したときの廃材、根室にも行っているんだけど、そのときは漁船の廃材、あるいは小学校で使われた机を切った材、愛知県立芸術大学では椅子を切った材、などなど、そういう記憶が積み木の中に入っている。美術館だったら展示用の材料とかね。そういう記憶の断片みたいなものになっている。最終的にはそれをつなげていきたい。積み木をつなげて本当の家にするとかね。場所とか人のひとつひとつの記憶や手技が入ったものを自分でつなげていって、家か壁かわからないけど、最終的には巨大な構築物をつくりたい。それぞれは関わりがないんだけど、自分が関与したという意味で関係がある、すごくアナログ的に集めたネットワークみたいなもの。そういう労力がかかってるネットワークをリアルでやった構築物を、彫刻としてあるいは別のものとしてつくってもいいかなと思ってる。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/-aJBBLWDw5wY/TiRFZHCxXEI/AAAAAAAAASo/FmLv7VkrPUg/s1600/IMG_6340.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"&gt;&lt;img border="0" src="http://3.bp.blogspot.com/-aJBBLWDw5wY/TiRFZHCxXEI/AAAAAAAAASo/FmLv7VkrPUg/s1600/IMG_6340.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;community on the move／椋川&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;―やや抽象的な質問になりますが、高浜さんにとって「地域」とはどのようなものとしてありますか？&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;地域、というかコミュニティというと自分の生まれたところかな。地縁血縁の人がいて、知人友人がいて、同じ時間と記憶を共有しているというイメージ。日本だと高校まで地元にいて、大学から変わるということが多いじゃないですか。だから、誰がどこに住んでいて、親が誰かっていうのが分かるというのが、僕にとっての地域。僕の場合は大学のときに東京に出てきて、最初板橋区に住んで、それから小平市に住んで、足立区に移って、いま葛飾区に住んでいる。でもそのなかで地域を意識したことはあまりない。活動の場所は別だから地域の人との関わりもあまり多くない。だから帰属意識があまりない。子どもができた後は幼稚園に行ったりするからそっちのつながりが多少あるけど、いまでも地域というかコミュニティにいるという意識は希薄ですね。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;一方で、例えば越後妻有アートトリエンナーレのように「地域に入っていく」芸術祭がある。僕が参加したときはそういう枠組みを既に知っていて、そのときあれこれ考えながらその場所に3ヶ月間住み込んで地域の人と恊働したりした。その3ヶ間で地域の人とも仲良くなってお祭り騒ぎしたし、今でも行き来はあるんだけど、自分がその地域に入るってことはできないことを思った。あくまでも余所者だからね。異邦人である限りは帰属はできないと思ってます。やっぱり住まないと、というか、居着かないといけない。地域で何かしようとしたら当事者にならないといけないと思う。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;だから、地域の中に入っていって活性化を担おうという使命感ではなくて、ある程度の距離感を持って「たまに来る人でいいんじゃないか？」ということを最近思ってるんですよ。スタンスの取り方として、住み込んで何かする、ということではなくて「短い期間、毎年行く」ということをいま北海道の根室でしてます。最初「3年で終わる」という話が延長して5年にとどんどん長くなっているんだけど、見せ物小屋的に「夏になったら来るヘンなおっちゃんら」として、子どもたちとワークショップして、期間中に差し支えない限りで自分たちの作品を残していくような形で関わっていこう、と。そういう意味では距離感がつかめてきました。そこに同化したりその地域の力になるということじゃなくてね。養蜂家がたまに回ってくるじゃないけど、そういうかんじ。僕が小さいころ、鯉取りのおじさんというのがいて、毎年夏になると1週間ほどどこからともなくやってきて、川に潜って鯉とかなまずをとって回るみたいなことをしていたんですけど、子どもながらにすごいなと思っていた。そういう子どもの記憶のなかに残る存在でいいんじゃないかな。そこから地域に入って行けばいいかなと。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;―毎年短くても行くということできっちりと余所者であり続けるということでしょうか？&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;そう。余所者として入って、余所者としてあり続けたほうが僕にとってリアリティがあるというかね。「あなたたちのこと、僕は分かりますよ」っていうのは嘘くさい。人口が減って、限界集落になって、それを僕らの作品でなんとかしよう、っていうのはやっぱり嘘くさいと思う。できるわけないと思うようになってきた。地域にとっての救世主になりたいとか、活性化の起爆剤になりたいとか、その端緒になる、っていうのよりも、自分がやりたいことを追求したい、アーティストとしてのエゴをつきつめたいという気持ちが強い。その中で僕は直接的には何もできないけど、夜店の見世物小屋と同じような存在として、地域の人に来てもらうほうがいい、と。最初の頃は、疲弊して行く地域の問題に対してアートに何かできるということを考えていたんですよ。そして確かに何かしらできるとは思うんです。でもそれは自分らの役割じゃないし、僕らの力では不十分やなと分かってきて。それでもあきらめるわけじゃなくて、自分たちがやっていることが結果的に地域へと影響を与えていったらいいなと思ってます。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;例えば、「&lt;a href="http://www.ochiishikeikaku.com/top/top.html"&gt;落石計画&lt;/a&gt;」というプロジェクトを行っている根室は霧がすごいんですよ。次の年に行くと鉄の部分が錆びてるくらい。版画というのは銅を腐食させて絵をつくるからね。物であれば大抵は腐って行く方向にあるけれど、銅版は化学的作用でその時間をぐっと濃縮させて絵をつくっていく。それを霧のすごい根室でつくるということをしてみたい。石膏のキューブでつくった物体を腐らせてどうなっていくか、10年20年先が作品ですよ、と言いたい。だから僕にとって大事なことは、「地域の記憶をすくいとる」ということよりも、もっと直接的にその霧に包まれたい、ということなのかもしれない。そこの霧は塩分を含んでいるから、物が錆びるのも腐るのも早い。その霧に作品を包ませたい。10年20年先朽ち果てていく姿を作品として見せたい。そういう自分たちのエゴがある。とはいえもちろん人と関わらず一人でコツコツというわけにはいかなくて、そこの周りに住んでいる人も自然に関わってきてくれるだろうけどね。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;―そういう意味では版画の制作サイクルと、短期間毎年行くというサイクルはリンクしていますね。&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;そう。そして個人的な「毎年夏が来ると制作する」という制作のリズムもできている。僕の場合、自分がやっているギャラリーのようなホワイトキューブで版画を見せるのと、こういうサイトで見せるということの違いをつくるために行っているようなところもある。その結果として、子どもたちと関わったり、地元の漁師さんと関わったりしてる。もちろん理想としてはお客さんがたくさん来て、その地域に何らかの経済的効果があればいい。そういう方向は一応目指してる。地域にとってという意味で言うと、そこで使っている建物がリンドバーグ号と関わりがあるような重要なもので有名なんだけど、いつの間にかうち捨てられていて…　そこに僕らが行って、新聞に載ったりすることで地域の人にとっても発見があるだろうとは思う。「そういえば小さい頃遊んだな」とか、「このあたりで生まれたな」とか、記憶がある人は遠くからでも来てくれる。そういうのは二次的にあるかもしれない。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;ただ具体的なところでいうと、若い人を連れて行く、ということはひとつ僕らにできることとしてある。根室へは僕とパートナーが関わっている大学の学生を毎年20人くらい連れて行くんですよ。誰かが卒業するとまた新しい人が行って、という具合にね。僕らは連れていくだけで「あとは自分たちで化学反応せいよ」と。そこで居着く子もいるだろうし。行って作品をつくることも大事だし、その完成度も大事だけど、行くことという出来事が大事で、若い子がその後を引き受けてくれるためのきっかけをつくるみたいなことがある。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;自分が関わる地域やコミュニティに関して、一言で言うとなると難しいけど、その距離感がだんだん分かって、自分のなかでは基準のようなものができてきた。でもまた違う距離感もできていると思う。越後妻有、根室、滋賀の椋川、愛知などなど、いろんなところでいろんな関わり方ができている。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/-L4Q4nvzDf8c/TiRMtc8ojeI/AAAAAAAAAS4/91EyZIN5ofc/s1600/QC3%25EF%25BD%259C04+%25E9%25AB%2598%25E6%25B5%259C%25E5%2588%25A9%25E4%25B9%259F%25E5%2589%258D%25E5%258D%258A%25E7%2594%25A8%25E7%2594%25BB%25E5%2583%258F1.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"&gt;&lt;img border="0" src="http://1.bp.blogspot.com/-L4Q4nvzDf8c/TiRMtc8ojeI/AAAAAAAAAS4/91EyZIN5ofc/s1600/QC3%25EF%25BD%259C04+%25E9%25AB%2598%25E6%25B5%259C%25E5%2588%25A9%25E4%25B9%259F%25E5%2589%258D%25E5%258D%258A%25E7%2594%25A8%25E7%2594%25BB%25E5%2583%258F1.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;community on the move／椋川&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;a href="http://qc-3.blogspot.com/2011/07/qc304.html"&gt;後編へ&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;--&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&lt;b&gt;高浜利也&lt;/b&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1966　兵庫県姫路市生まれ&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1990　武蔵野美術大学大学院修士課程修了&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1997　長沢アートパーク &amp;nbsp;アーティスト･イン･レジデンスプログラムにより淡路島に滞在&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1998　国際交流基金・ポーラ美術振興財団・日本財団APIアジアフェローシップの&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 グラントによりバンコクに滞在（～’00、 ‘05～’06）&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2004　文化庁国内研修員　&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2011　武蔵野美術大学教授　　　&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&amp;lt; 主な個展 &amp;gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1993　日本橋高島屋コンテンポラリーアートスペース / 東京&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1994　「新世代への視点’94- 10画廊からの発言」 ギャラリーなつか / 東京&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1995　ギャラリーなつか / 東京&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1997　ギャラリーなつか / 東京、 柳沢画廊 / 埼玉&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1998　ギャラリーAPA / 愛知　&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1999　「Bangkok Lotus Project 1998-1999」&amp;nbsp;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 タイ国立シラパコーン大学ギャラリー / タイ&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2000　「Bangkok Lotus Project 1999-2000」 ギャラリーなつか / 東京&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2002　「TOKYO HOUSE PROJECT」 ギャラリーなつか / 東京&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2005　「移動計画」 ギャラリーなつか、第一生命南ギャラリー / 東京&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2008　「補遺 / 小出の家」 ギャラリーなつか / 東京&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 「Private and Public」 アートフロントグラフィックス / 東京&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&amp;lt; 主なグループ展 &amp;gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1994　「現代の版画 1994」 松濤美術館 / 東京&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1996　「現代東京版画事情- 伝統と逸脱」 町田市立国際版画美術館 / 東京&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1997　「ぶどうの国国際版画ビエンナーレ」 山梨県立美術館 / 山梨&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 「現代日本美術の動静- 版 / 写すこと / の試み」 富山県立近代美術館 / 富山&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 「SMALL SIZE COLLECTION」 ギャラリーなつか / 東京&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1999　「Lines of Sight 生の視線 触覚･軌跡･領域」 武蔵野美術大学 / 東京、&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 アルバータ大学 / カナダ、 「北斎の末裔」 Grafikens Hus / スウェーデン&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 「日本の版画 1945- 1999 時代の表情- 反表情」 町田市立国際版画美術館 / 東京&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2000　「大きい版画と小さな版画」 練馬区立美術館 / 東京、「CONNECT &amp;nbsp;シラパコーン&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 大学版画研究室展」 シラパコーン大学アートギャラリー / タイ&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2001　「VOCA 2001ｰ あたらしい平面の作家たち -」 VOCA奨励賞受賞&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 上野の森美術館 / 東京&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2002　「eleven＆eleven Korea Japan Contemporary Art 2002」 省谷美術館 / 韓国&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2003　「井出創太郎『棲家 / その光と闇』 Piacer d’amor bush〈片瀬〉＋高浜利也&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 Enoshima Project」 旧井出創太郎宅 / 神奈川&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2004　「版画を読む- 画層と色層の冒険 -」 文房堂ギャラリー / 東京&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 「Sublime Present- 世界の版表現と教育の現場より -」 武蔵野美術大学 / 東京&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2005　「現代版画の潮流展」 町田市立国際版画美術館 / 東京、 松本市美術館 / 長野&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp;　「銅版画の地平Ⅲ 現代銅版画の交差路- 浜口陽三と森野真弓･海老塚耕一･&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 青木野枝・高浜利也・井出創太郎」 ミュゼ浜口陽三 ヤマサコレクション / 東京&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2006　「大地の芸術祭 &amp;nbsp;越後妻有アートトリエンナーレ2006」 十日町市小出集落 / 新潟&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 「AICHI-SILPAKORN- 愛知芸大・シラパコーン大学交換交流展 -」&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 シラパコーン大学アートセンター / タイ、「VOCAに映し出された現在- いま&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 いるところ / いまあるわたし -」 宇都宮美術館 / 栃木&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2007　「阿波紙・版画展- 6人のアーティストと版形式- 」 ギャラリーエス / 東京&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 「Show Me Thai - みてみ☆タイ- 」 東京都現代美術館 / 東京&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 「rooms」 名古屋市民ギャラリー矢田 / 愛知&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 「上野タウンアートミュージアム- 伝統と現代- &amp;nbsp;延承、演経、浸透 / 水、墨、モノ&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 クロームの世界」 台東区立旧坂本小学校 / 東京&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2008　「落石計画第１期」 根室市旧落石無線局 / 北海道&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 「姫路市立美術館開館25周年記念 現代郷土作家展」 姫路市立美術館 / 兵庫&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 「落石計画」 日本橋高島屋美術画廊Ⅹ / 東京&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 「東京国立博物館・日本大学芸術学部 柳瀬荘アート・教育プロジェクト&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp;東京国立博物館柳瀬荘 / 埼玉（’10）&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2009　「第77回日本版画協会展 招待部門出品」 東京都美術館 / 東京&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 「落石計画第2期 Scattered Seeds 残響」 根室市旧落石無線局 / 北海道&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 「APIリージョナルプロジェクト- 移動計画 / 椋川」 高島市椋川 / 滋賀&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 「リトグラフって何だ- 板津版画工房と作家たち」 調布市文化会館たづくり / 東京&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 「自宅から美術館へ 田中恒子コレクション」 和歌山県立近代美術館 / 和歌山&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2010　「あいちアートの森」 東栄町旧新城東高校本郷校舎 / 愛知&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 「落石計画第３期 版 / 対話空間」 根室市旧落石無線局 / 北海道&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 「版・印- 日本版画テーマ展」 国立台湾美術館 / 中華民国&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&amp;lt; パブリック・コレクション &amp;gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1988　町田市立国際版画美術館 / 東京（’93）&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1990　国立台湾美術館 / 中華民国&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1991　国立国際美術館 / 大阪&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1992　ニューサウスウェールズ州立美術館 / オーストラリア&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1998　福光町立福光美術館 / 富山　　　&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1999　タイ国立シラパコーン大学 / タイ&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2000　武蔵野美術大学資料図書館 / 東京&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2001　第一生命保険株式会社 / 東京&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2004　ロサンゼルスカウンティー美術館 / アメリカ&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2009　和歌山県立近代美術館 / 和歌山&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2010　姫路市立美術館 / 兵庫&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4806493550830325696-2057770215183058130?l=qc-3.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4806493550830325696/posts/default/2057770215183058130'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4806493550830325696/posts/default/2057770215183058130'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://qc-3.blogspot.com/2011/07/qc304_18.html' title='QC3｜04 高浜利也インタビュー「地域にとってどのような「余所者」であるか」'/><author><name>RAD</name><uri>http://www.blogger.com/profile/00204040342751953837</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://2.bp.blogspot.com/-q8uDu3jh3A8/TiV-FPoLs5I/AAAAAAAAAS8/rvfn08gzwe8/s72-c/QC3%25EF%25BD%259C04+%25E9%25AB%2598%25E6%25B5%259C%25E5%2588%25A9%25E4%25B9%259F%25E3%2582%25BF%25E3%2582%25A4%25E3%2583%2588%25E3%2583%25AB%25E7%2594%25BB%25E5%2583%258F.jpg' height='72' width='72'/></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4806493550830325696.post-4112941768244859701</id><published>2011-07-11T16:26:00.043+09:00</published><updated>2011-07-28T11:24:45.462+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='高浜利也'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='04'/><title type='text'>QC3｜04 高浜利也インタビュー「地域にとってどのような「余所者」であるか」</title><content type='html'>&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;「地域にとってどのような「余所者」であるか」後編&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;高浜利也インタビュー&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;※&lt;a href="http://qc-3.blogspot.com/2011/07/qc304_18.html"&gt;前編はこちら&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;u&gt;&lt;b&gt;後編 「版画家として、教育者として、「インフラとしての職人」として」&lt;/b&gt;&lt;/u&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―訪れる先の地域地域で反応や感覚は異なりますか？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;地域性はそれぞれにあるんだろうけど、僕にとってはあまり問題じゃない。むしろ地域への自分の関わり方の違いが大きいかな。越後妻有のような場所にアーティストとして招かれていくと、ある程度お膳立てができているし、自分でアーティストと名乗らなくても向こうがそうとらえてくれるところがある。でもそうじゃないときには、例えばタイの少数民族の研究者が住み込んでフィールドワークするじゃないけど、泥臭いこともするし、地域の人と何かを共有することもする。地域によってそれぞれ性格が違う、ということはあるんだろうけど、それよりはむしろ自分のあり方や帰属や状況の方に随分と違いがあると思ってる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その関わり方の違いに関して言うと、今まで僕はバンコクで足かけ5年住んで、日本に帰ってきて、というように動いていることが多かった。現在住んでいる地域に対する帰属意識がそれほどない、ということは、そういういきさつも影響を与えているかもしれない。根なし草じゃないけど、現在・過去・未来という時制関係なく、生まれた場所もいままで住んだり訪れた場所も並列にある。バンコク、姫路、椋川、根室、越後妻有、足立区、そういうものが時系列じゃなくて全部引き出しの中にあるような。いま住んでるから葛飾区が現在かというとそうじゃない。逆に言えばどこでもドアじゃないけど、いまここにいてもバンコクのことを思っていつでも行けるという気持ちがある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/-_BwvN3w5LB4/TjCyxIaD_jI/AAAAAAAAAUs/NEAM1_2IosY/s1600/QC3%25EF%25BD%259C04+%25E9%25AB%2598%25E6%25B5%259C%25E5%2588%25A9%25E4%25B9%259F%25E5%25BE%258C%25E5%258D%258A%25E7%2594%25A8%25E7%2594%25BB%25E5%2583%258F4.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"&gt;&lt;img border="0" src="http://4.bp.blogspot.com/-_BwvN3w5LB4/TjCyxIaD_jI/AAAAAAAAAUs/NEAM1_2IosY/s1600/QC3%25EF%25BD%259C04+%25E9%25AB%2598%25E6%25B5%259C%25E5%2588%25A9%25E4%25B9%259F%25E5%25BE%258C%25E5%258D%258A%25E7%2594%25A8%25E7%2594%25BB%25E5%2583%258F4.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: center;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: center;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;北海道は根室市落石に残るトーチカの残骸&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ただ、一方で最近、いますぐじゃないけど、僕が生まれた姫路という場所で何かやりたいという思いが出てきた。というのも、この春に実家に帰ったとき親父が家業の畳屋をやめるって言い出したのね。機械とか処分して「道具全部ほかすから欲しかったら持っててもええよ」って。自分がものをつくるということを覚えた場所がなくなるから、それをもう一度つくりたいなと思ってるのかもしれない。何かをするなら、古い建物やアトリエをつくるというところからはじめたい。ともあれそういうちょっとしたきっかけもあったりして、自分の生まれた地域に目が向いてきてはいる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;これまでいろんな場所に関わることができているし、それは面白いんだけど、「所詮自分はそこの人間じゃない」という思いが強い。住み着く意志もないし。そういう意味で本当に自分が地域に関わろうと思ったら、うちの田舎しかないなと最近思ってきた。ちなみに「うちの田舎」とは言ったけど、野山があっていわゆる「兎追いし」のような環境じゃないからね。下町のハードな工業地帯で、子どもの頃は公害問題があって、工場のスクラップがあって、鉄板があってというところ。自分が生まれたところで何かを行う、ということは、そこに関わってくれるだろう人は幼なじみだったり昔の連れだったり、地元の人とか自分を知っている人だったりする。だから「こうやりたい」と一から説明しなくてもいいようなところがある一方で、これまでのように「旅人」じゃなくなるということでもある。「しょせんそこの人間じゃないから」というスタンスがなくなって「ここでずっと続けて行く」ということになると思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―これからのプランはどのようなものになりますか？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;どうなるかは分からないな。自分が何をしたいのかに関しても、それを問われても全体的にはつかめない。感覚として断片的、生き方としてつじつまあわせで、パーツパーツでできているから全体を体系化できていないんですよ。大工として家を建てて、版画をつくって、先生もして、とある地域で学者さんらとつきあって……　僕自身の活動の振れ幅が尋常じゃないというか、インテリなのか労働者なのか分からない。いろんな人と付き合っているし、言ってみれば時間によって見えている社会が違う。夜は労働者として指示されて、朝は先生として学生に指示して（笑）。夕方から村に入って、学者さんと話して。そういう生活は無理があるといえば無理があるんだけど、時間によって社会階層の見え方が変わるというのは自分の活動に影響を与えていると思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そしてこれは自分の問題だけじゃなくて、職業とか、貧富の差とか、様々なレイヤーが地域にはあると思う。それを行き来しつつというのは口で言う程優しくはない。その地特有の歴史があったり、生なましい話やタブーがある。それは外からは分からなくて、地域の人と話しているうちに「そうだったのか」とか「これは話したらいかんかったな」と思ったりする。いわゆる表面的なところと、裏での「実は……」という部分とがある、そういうのも地域だろうね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―それは裏表というよりは、ある切れ目のようなものとして見えてきますね。&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そう。言ってみれば断絶のようなものがある気がする。今回の災害でも然りだけど、この種の断絶はいままでもなくはなかった。それまで焼き場だったところが住宅街になっていたり、沼地だったところに人が住んでいたり、そういう記憶の断絶みたいなものが地域にはある。だからずっと続いているようで実は続いていない。でも続いていないようで実は続いている。よそから来た人とそうじゃない人との間に断絶があったりね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―地域の人と話す中で「実はこういう問題があって…&lt;/b&gt;&lt;b&gt;…&lt;/b&gt;&lt;b&gt;」という発見も多いのではないですか？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;越後妻有でも2、30回くらい事前に地域の人と話したりリサーチしたりしたけど、あと一人しか住民がいない集落や、村として成立していない村がやっぱりある。限界集落どころか……　あと一人しかいない。現実的に考えてみたら、あと一人しか住民がいない集落は間違いなく成立しなくなる。少なくともこれまでとは同じようにはあり得ない。もう一度集約してコンパクトな社会をつくらないとどうにもならない。技術論から言うと、毎年夏になると盆踊りにたくさん人が訪れて云々といういわば復元的な地域活性化は無理だろうね。人口的な観点から言うと移民を受け入れるしかない。ただそれは政治家の仕事であってアーティストの仕事じゃない。一方で、越後妻有アート・トリエンナーレのようにアート・ツーリズムを整備して、お客さんがそこでお金を落とすというシステムがつくられている例もある。もちろん批判もあるだろうけど、地域にとっては実際に意味があると思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―ただそこで、高浜さんは「短い期間毎年行く」というまた別のシステムを自身で進められることになったわけですね。&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;越後妻有のような関わり方は、最初はアーティストにとってシステムとしてしっかりしていて、マニュアルがあって分かりやすい。ただ、僕らとしては「その地ならでは」のサイトスペシフィックな作品をつくろうとしてるんだけど、毎年そこに入る、毎回参加するというのは制度としてホワイトキューブみたいなんですよ。美術館というホワイトキューブではない、いわば「中立的」ではないところで作品を展示することを目指してサイトスペシフィックなところに来るはずなんだけど……　それがシステム化されて、その地域に入って住民説明をして、そうすると事務局がある程度準備をしておいてくれるから、サイトを探して、材料持ってきて、地元の記憶をすくいとって……　という具合に制作がマニュアル化されて決まってきちゃう。そう考えたときに自分の中で「これは違うな」と思いはじめた。だから次にやるときは一からやらないとな、と思った。例えば北海道の根室でやっているプロジェクトでは、予算確保から何からという裏方の仕事までしないといけないなと思ってます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―最後になりますが、高浜さんにとって建築的な経験、具体的には大工としての経験はどのようなものとしてありますか？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;大工というか、職人という観点から言うと、職人は自分が持つ技術を社会のなかで生かすインフラ的な存在だと思ってる。ちょっと不思議に聞こえるかもしれないけど、「職人というインフラ」があると思う。それを次の世代に教えていくために弟子に教える。自分のコピーをつくっていく。版画で自分の作品を複数刷るというイメージにも近いかな。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―「インフラとしての職人」という考え方は面白いですね。&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ある意味ソフトであると同時にハードというか。職人個々の働きを見るとソフトの力なんだけど、世の中に職人が存在している、という状態はハードというか、インフラとしてとらえることができるんじゃないかな。あまりうまく言えないけれど。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;僕が職人というあり方に惹かれるのは、父親が畳屋だったからで、中学くらいまでそのための勉強をしていたというシンプルな理由から。職人の仕事とは何か、ということを身体で覚えてるんです。それもあって、油絵じゃなく版画というある意味触媒になるほうが落ち着きがいいというか落としどころとしていい。若い人と一緒に行って、彼らにも自分がその場所で何を考えていったか、何をやったのかということを伝えて、彼らがさらにそれを引き継いでくれる、そういう面白さはあるかな。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―それがご自身の制作や地域への関わり方にも影響を与えている。&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そうそう。そこでめぐりあった子どもたちに、何十年後か先に「そういえば子どもの頃ヘンなおじさんがきていたな」と。そうやって仕込んでおくとか、学生を連れて行くことによってまた別の仕込み方をしたりね。大学でできる教育だけが教育じゃない。それを最近痛感しています。実際彼らを現場へと連れて行って、「インフラとしての職人」ということを実際の場所で見せることができる。そうするとそれに伴ってできることも多くなる。そして大学に戻ったとき、こういうところが違う、アカデミックと社会の出来事やそこで求められていることとではこれだけ違う、ということが言える。僕にとって大工も先生もある意味等価性がある。先生をやっているけど、大工をやめたわけじゃない。その逆も然り。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「地域活性化」という枠組みを自らの活動に掲げてしまうと、行きがかり上その目的を達成しないといけない。これまで話してきた通り、僕はそういう地域との関わり方は無理だと思ってる。版画家としてだったり、大学の先生としてだったり、見せ物小屋的なアトラクションとしてだったり、インフラとしての職人としてだったり、いろんな顔を持って、いろんな方法論でもって、パーマネントではなくテンポラリーに更新していくようなことができたらと思ってます。（了）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/-l4-5nuPmzIg/Ti9jiZhmstI/AAAAAAAAATI/2qA4PDoUvk8/s1600/QC3%25EF%25BD%259C04+%25E9%25AB%2598%25E6%25B5%259C%25E5%2588%25A9%25E4%25B9%259F%25E5%25BE%258C%25E5%258D%258A%25E7%2594%25A8%25E7%2594%25BB%25E5%2583%258F3.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"&gt;&lt;img border="0" src="http://2.bp.blogspot.com/-l4-5nuPmzIg/Ti9jiZhmstI/AAAAAAAAATI/2qA4PDoUvk8/s1600/QC3%25EF%25BD%259C04+%25E9%25AB%2598%25E6%25B5%259C%25E5%2588%25A9%25E4%25B9%259F%25E5%25BE%258C%25E5%258D%258A%25E7%2594%25A8%25E7%2594%25BB%25E5%2583%258F3.jpg" style="cursor: move;" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: center;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: center;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;高浜さんアトリエ周辺。中央の道路を境に、その向こう側には新興住宅地が広がる&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;--&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&lt;b&gt;高浜利也&lt;/b&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1966　兵庫県姫路市生まれ&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1990　武蔵野美術大学大学院修士課程修了&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1997　長沢アートパーク &amp;nbsp;アーティスト･イン･レジデンスプログラムにより淡路島に滞在&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1998　国際交流基金・ポーラ美術振興財団・日本財団APIアジアフェローシップの&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 グラントによりバンコクに滞在（～’00、 ‘05～’06）&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2004　文化庁国内研修員　&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2011　武蔵野美術大学教授　　　&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&amp;lt; 主な個展 &amp;gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1993　日本橋高島屋コンテンポラリーアートスペース / 東京&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1994　「新世代への視点’94- 10画廊からの発言」 ギャラリーなつか / 東京&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1995　ギャラリーなつか / 東京&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1997　ギャラリーなつか / 東京、 柳沢画廊 / 埼玉&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1998　ギャラリーAPA / 愛知　&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1999　「Bangkok Lotus Project 1998-1999」&amp;nbsp;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 タイ国立シラパコーン大学ギャラリー / タイ&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2000　「Bangkok Lotus Project 1999-2000」 ギャラリーなつか / 東京&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2002　「TOKYO HOUSE PROJECT」 ギャラリーなつか / 東京&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2005　「移動計画」 ギャラリーなつか、第一生命南ギャラリー / 東京&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2008　「補遺 / 小出の家」 ギャラリーなつか / 東京&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 「Private and Public」 アートフロントグラフィックス / 東京&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&amp;lt; 主なグループ展 &amp;gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1994　「現代の版画 1994」 松濤美術館 / 東京&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1996　「現代東京版画事情- 伝統と逸脱」 町田市立国際版画美術館 / 東京&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1997　「ぶどうの国国際版画ビエンナーレ」 山梨県立美術館 / 山梨&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 「現代日本美術の動静- 版 / 写すこと / の試み」 富山県立近代美術館 / 富山&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 「SMALL SIZE COLLECTION」 ギャラリーなつか / 東京&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1999　「Lines of Sight 生の視線 触覚･軌跡･領域」 武蔵野美術大学 / 東京、&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 アルバータ大学 / カナダ、 「北斎の末裔」 Grafikens Hus / スウェーデン&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 「日本の版画 1945- 1999 時代の表情- 反表情」 町田市立国際版画美術館 / 東京&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2000　「大きい版画と小さな版画」 練馬区立美術館 / 東京、「CONNECT &amp;nbsp;シラパコーン&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 大学版画研究室展」 シラパコーン大学アートギャラリー / タイ&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2001　「VOCA 2001ｰ あたらしい平面の作家たち -」 VOCA奨励賞受賞&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 上野の森美術館 / 東京&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2002　「eleven＆eleven Korea Japan Contemporary Art 2002」 省谷美術館 / 韓国&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2003　「井出創太郎『棲家 / その光と闇』 Piacer d’amor bush〈片瀬〉＋高浜利也&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 Enoshima Project」 旧井出創太郎宅 / 神奈川&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2004　「版画を読む- 画層と色層の冒険 -」 文房堂ギャラリー / 東京&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 「Sublime Present- 世界の版表現と教育の現場より -」 武蔵野美術大学 / 東京&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2005　「現代版画の潮流展」 町田市立国際版画美術館 / 東京、 松本市美術館 / 長野&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp;　「銅版画の地平Ⅲ 現代銅版画の交差路- 浜口陽三と森野真弓･海老塚耕一･&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 青木野枝・高浜利也・井出創太郎」 ミュゼ浜口陽三 ヤマサコレクション / 東京&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2006　「大地の芸術祭 &amp;nbsp;越後妻有アートトリエンナーレ2006」 十日町市小出集落 / 新潟&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 「AICHI-SILPAKORN- 愛知芸大・シラパコーン大学交換交流展 -」&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 シラパコーン大学アートセンター / タイ、「VOCAに映し出された現在- いま&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 いるところ / いまあるわたし -」 宇都宮美術館 / 栃木&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2007　「阿波紙・版画展- 6人のアーティストと版形式- 」 ギャラリーエス / 東京&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 「Show Me Thai - みてみ☆タイ- 」 東京都現代美術館 / 東京&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 「rooms」 名古屋市民ギャラリー矢田 / 愛知&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 「上野タウンアートミュージアム- 伝統と現代- &amp;nbsp;延承、演経、浸透 / 水、墨、モノ&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 クロームの世界」 台東区立旧坂本小学校 / 東京&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2008　「落石計画第１期」 根室市旧落石無線局 / 北海道&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 「姫路市立美術館開館25周年記念 現代郷土作家展」 姫路市立美術館 / 兵庫&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 「落石計画」 日本橋高島屋美術画廊Ⅹ / 東京&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 「東京国立博物館・日本大学芸術学部 柳瀬荘アート・教育プロジェクト&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp;東京国立博物館柳瀬荘 / 埼玉（’10）&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2009　「第77回日本版画協会展 招待部門出品」 東京都美術館 / 東京&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 「落石計画第2期 Scattered Seeds 残響」 根室市旧落石無線局 / 北海道&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 「APIリージョナルプロジェクト- 移動計画 / 椋川」 高島市椋川 / 滋賀&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 「リトグラフって何だ- 板津版画工房と作家たち」 調布市文化会館たづくり / 東京&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 「自宅から美術館へ 田中恒子コレクション」 和歌山県立近代美術館 / 和歌山&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2010　「あいちアートの森」 東栄町旧新城東高校本郷校舎 / 愛知&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 「落石計画第３期 版 / 対話空間」 根室市旧落石無線局 / 北海道&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;　　　 「版・印- 日本版画テーマ展」 国立台湾美術館 / 中華民国&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&amp;lt; パブリック・コレクション &amp;gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1988　町田市立国際版画美術館 / 東京（’93）&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1990　国立台湾美術館 / 中華民国&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1991　国立国際美術館 / 大阪&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1992　ニューサウスウェールズ州立美術館 / オーストラリア&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1998　福光町立福光美術館 / 富山　　　&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1999　タイ国立シラパコーン大学 / タイ&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2000　武蔵野美術大学資料図書館 / 東京&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2001　第一生命保険株式会社 / 東京&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2004　ロサンゼルスカウンティー美術館 / アメリカ&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2009　和歌山県立近代美術館 / 和歌山&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;2010　姫路市立美術館 / 兵庫&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4806493550830325696-4112941768244859701?l=qc-3.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4806493550830325696/posts/default/4112941768244859701'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4806493550830325696/posts/default/4112941768244859701'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://qc-3.blogspot.com/2011/07/qc304.html' title='QC3｜04 高浜利也インタビュー「地域にとってどのような「余所者」であるか」'/><author><name>RAD</name><uri>http://www.blogger.com/profile/00204040342751953837</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://4.bp.blogspot.com/-_BwvN3w5LB4/TjCyxIaD_jI/AAAAAAAAAUs/NEAM1_2IosY/s72-c/QC3%25EF%25BD%259C04+%25E9%25AB%2598%25E6%25B5%259C%25E5%2588%25A9%25E4%25B9%259F%25E5%25BE%258C%25E5%258D%258A%25E7%2594%25A8%25E7%2594%25BB%25E5%2583%258F4.jpg' height='72' width='72'/></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4806493550830325696.post-6797761269501993313</id><published>2011-06-16T14:35:00.005+09:00</published><updated>2011-07-27T10:11:45.927+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='まち飯'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='03'/><title type='text'>QC3｜03 まち飯インタビュー「「処方箋」から「寄り添い」へ—まちづくりアドバイザーという役割」</title><content type='html'>&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/-R9IC3V6VjtU/TfmUCIP92CI/AAAAAAAAARc/OyGmC_F1__8/s1600/QC3%25EF%25BD%259C03+%25E3%2581%25BE%25E3%2581%25A1%25E9%25A3%25AF%25E3%2582%25BF%25E3%2582%25A4%25E3%2583%2588%25E3%2583%25AB%25E7%2594%25BB%25E5%2583%258F.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"&gt;&lt;img border="0" src="http://4.bp.blogspot.com/-R9IC3V6VjtU/TfmUCIP92CI/AAAAAAAAARc/OyGmC_F1__8/s1600/QC3%25EF%25BD%259C03+%25E3%2581%25BE%25E3%2581%25A1%25E9%25A3%25AF%25E3%2582%25BF%25E3%2582%25A4%25E3%2583%2588%25E3%2583%25AB%25E7%2594%25BB%25E5%2583%258F.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;「「処方箋」から「寄り添い」へ—まちづくりアドバイザーという役割」前編&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;まち飯インタビュー&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;--&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;今回お話をうかがった「次代のまちを考える会議」（通称「まち飯」＝「まちづくりで飯を食いたい」の意）は、京都・滋賀でまちづくりに関わる若手の研究者、行政職員、コンサルタント等で構成されている、その名の通りまちづくりを生業にすることを目的としたネットワークだ。その意図の裏には「まちづくりを社会が必要な職業としていかに認めていけるのか？」という問いが流れている。定期的な勉強会や講演会など通じ、京都のみならず全国のまちづくり事例の情報共有やリサーチを行ないながら、それぞれの主体的活動へとフィードバックさせている。インタビューでは、京都市が現在設けている「京都市まちづくりアドバイザー」の役割から、地域の持つスケール特性や住民参加の問題まで、当事者の視点も交え複数の活動主体の視点から語っていただいた。（2011年4月17日radlab.にて収録）&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;※&lt;a href="http://qc-3.blogspot.com/2011/06/qc303_27.html"&gt;後編はこちら&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;u&gt;前編 「まちづくりアドバイザーという役割について」&lt;/u&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;u&gt;&lt;br /&gt;&lt;/u&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;u&gt;&lt;br /&gt;&lt;/u&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;― 基本的な話からおうかがいしますが、行政の中でもまちづくり系の部局は複数ありますよね？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;山崎（以下：Y　都市計画コンサルタント事務所勤務）&lt;br /&gt;思いつく範囲でも4つ、5つありますね。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;深川（以下：F　京都市まちづくりアドバイザー）&lt;br /&gt;ちなみに、私ら「京都市まちづくりアドバイザー（以下：まちアド）」は「地域づくり推進課」という部署に所属していまして、各区にある「まちづくり推進課」や「総務課」の実施する事業等に、助言や支援をするために出向いている、という形態になります。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;― 「まちアド」としてどのようなことを行われているのですか？ &lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;西原（以下：N　京都市まちアド） &lt;br /&gt;まちアドは今年度4月から14人体制になりました。それぞれ仕事の仕方や内容は異なりますが，基本的には行政が住民と恊働で行う事業を円滑に進める、ということに関わっています。状況によって行政のサポート、また住民のサポートというように，両方の立場を取ります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;谷（以下：T　京都市まちアド）&lt;br /&gt;補足すると、「専門特化しているところに情報のパイプをつなぐ」のが役割のひとつだと思っています。山崎さんがおっしゃったように、行政のなかでも複数のまちづくりに関する専門特化した部局がありますが、それらをつなぐ、ベストマッチをつくる仕事ではないかと。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;というのも、「そうしないと地域がしんどいよ」ということがあります。例えば役所内の各課が同じような時期に似たようなことをやっている、という批判はままある。各事業には地域住民が協力するわけですが、住民からしたら似たような事業に複数回動員されることもあります。「またかいな」と。このような行政の縦割りのなかで地域が疲弊してしまう課題を踏まえて、それじゃいけないと行政の地域窓口を一本化する地域も出てきています。そこでは行政側の課ごとの情報を束ねて住民との間をつなぐ「ろうと」状の機関をつくっています。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私個人はまちアドは基本的にはそういうものではないかという仮説を持っています。まちアドは嘱託職員という立ち位置で正規の行政マンではなく、また単なる民間人でも研究者でもないという微妙な立場ですけど、逆に言うと場面に応じてどの立場にも入って話を聞くことができる。そこで調整をして、それぞれの主体が専門特化している状況ではできないような価値を生むのがまちアドの仕事だと思っています。そのような調整は地域でも必要とされますが、いわば行政のなかでそれを行うことがまちアドの役割のひとつではないかと。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;時にはコンサル的な仕事もファシリテーターのような仕事もするかもしれませんが、そのいくつもの仮面を使い分けて最終的に何をするかというと、バラバラの主体を相互調整する。お互いの立場を理解しながら、専門特化してできることできなくなっていることを「一括してつなぐ」橋というか。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;― そこで「一括する」メリットとはどのようなことでしょう？　さきの動員の話は分かりやすいのですが… &lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;T&lt;br /&gt;単純に言えば「効率がよくなる」ということだと思います。例えば、私の関わっていた地域の女性会でも、右肩上がりの時代で地域の人口が増え続けている時代には、一地域で数十人の人員を動員できたと聞いています。でも高齢化が進み、一地域で実働できるのが10人くらいとなると、かつてのように各部局縦割りで別々に事業を実施できる状況ではなくなってきたのかなと。ただやっぱり事業は必要で、それをなくすわけにはいかないというときに、それぞれが専門特化したところをつないで、事業を効率化する必要がでてくるのだと思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;Y&lt;br /&gt;縦割りをなくすことは難しいだろうと思いますしね。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;T&lt;br /&gt;縦割り自体は必要だと思うんです。そうじゃないと物事が動いていかない。しかし、それを相互調整する仕組みは十分とは言えない。例えば小さい自治体が面白いことをしやすいのは、縦割りがある／ないではなく、相互調整がうまくいきやすいからではないか。私が調査させてもらったことがある島根県の海士町という離島の自治体は、人口2500人くらいの小さな自治体ですが、いまバリバリ名前を上げています。どんどん外のコンサルや研究者をいれて攻め手を打っています。その町役場にも当然縦割りはあります。じゃあ海士町でどうしてその課題が超えられたかというと、2500人という小さな単位性と、町長の強力なリーダーシップ、それにガッシリとスクラムを組んでいける課長職、そういうヨコの相互調整をとりやすい仕組みがあったからではないかと思うのです。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;F&lt;br /&gt;経験として言えることは、京都市のような政令指定都市と、例えば金沢市のような40万人くらいの中核都市と呼ばれる都市の相互連携のかたちは分けて考えたほうがいいということ。組織の規模によって顔の見える範囲は異なるので、共有度合いには差があります。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;Y&lt;br /&gt;直観的ですが、人口100万を超えてしまうとなかなか難しいのではないかと思っています。10万から30万くらいの都市のほうがいろいろつながって面白いことができるのではないかなと思います。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;F&lt;br /&gt;行政の縦割りのデメリットを補うためにも、まちアドは、地域のキーマンに、行政のしようとしていることの情報を提供して少し調整するとか、地域に正面衝突しちゃうところをかすめさせたりしています。中山間地域だとまたちょっと違ってくるのかな？ &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;N&lt;br /&gt;中山間地域の場合は「行政とどう地域をつなげるか」というよりも「地域にどう行政をつなげるのか」という印象がありますね。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;― その違いは？ &lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;T&lt;br /&gt;主役が行政ではなく、地域ということですかね？ &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;N&lt;br /&gt;そうですね。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;F&lt;br /&gt;確かに「地域がもっと行政をうまく使ったり連携したりしたらいいのに」とは思いますね。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;Y&lt;br /&gt;例えば「行政が&lt;u&gt;市街化調整区域※&lt;/u&gt;に指定しているから、私らのしたいことが何もできない」という具合に、住民の中には行政に対する対抗意識がある。「やることなすこと規制やんか！」と。そのときに、「いや、やれることありますし、市街化調整区域でも計画をつくることは可能ですよ」と、既存の仕組みの中でももっと自分たちがやりたいことをやれる、ということを地域の人に分かってもらうことで、ようやくつないでいくことができると思います。都市計画は、ある面では法に基づいて淡々とする部分もあるけれども、現場レベルではもう少しやりようがある。だから現場レベルで住民さんの中に入って、こういうやり方もあるよ、考えていきましょうよと柔らかくしていくような関係を生み出そうとしている。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;※：都市計画法により、都市計画で定められる都市計画区域における区域区分の１つ。市街化を抑制すべき区域&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;― 「地域の人たちと行政とをつなぐ」という話は理解できるのですが、地域と行政との間にチャンネルは確保できるのでしょうか？ &lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;N&lt;br /&gt;住民と行政の間に，共通の経験や喜びを生む仕組みが必要ですね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;― 具体的な目処は何かありますか？ &lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;N&lt;br /&gt;課題等に対して「自分たちに何ができるのか」という想いを住民間で共有するための場をつくることが重要だと感じています。そこから活動が生まれたときには行政が応援する。そうやって一緒に取組むことができれば共通の経験が生まれ信頼関係ができるんだと思います。&lt;br /&gt;例えば中山間地域では、課題解決に対して区への要望や議員さんに頼ることで対処する場合が多いです。でもそれだけでは対応しきれないこともある。住民自身で「なんかせなあかん」とは思っていても、どうしたらいいのかわからない。みんなで話すという機会がないんですよね。そういうときに、まちアドみたいな立場の人が入って「お茶でも飲みながらみんなで話しましょう」と場をつくる。するとみんなで話している間に活動が始まったり特産品が生まれたりする。それを行政が支援する。自分たちの想いが動きだしみんなの力でカタチになるんです。こうした経験は住民にとっても行政にとっても僕にとっても嬉しいことだと実感しています。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;― 外部の視点が入ってくることで、「実はこういうところに他の人は魅力を感じるんだ」という発見があるというお話を以前聞いたことがあります。「あえて」というとおかしいですが、「外部の人となる」ことが必要かもしれませんね。 &lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;F &lt;br /&gt;まちアドは第三者的な外部の人としても意見できるし、内部からやっていきましょう、ということもできます。その意味では立ち位置のあいまいさ、微妙さを活かしながら動いているのではないでしょうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―今回まちアドのお三方に対して唯一山崎さんのみ現職コンサルタントですが、まちアドとコンサルタントの位置づけはどのように異なるのでしょう？　もちろん行政と民間という立場上の違いがまずあると思いますが… &lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;F&lt;br /&gt;扱う内容に違いがあります。まちアドは基本的に区の事業、中でも住民との協働といった部分が多い。コンサルタントは局レベルで事業を受託するという形が多いです。コンサルタントは例えばコミュニティバスの運行計画もしますし、地域の活性化計画、地区計画も立てる。産業ビジョンもそうですね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―現在どのような仕事をされていますか？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;Y&lt;br /&gt;私自身が関わっているかどうかは別として、都市計画マスタープランのお手伝いや景観計画のお手伝い、その他にも福祉の計画や商業、産業の計画のお手伝いなどもしています。今、勤めているところは、建築部隊とプランニング部隊との両輪でやっているので、建物の設計等もしています。また、まちアドの方と一緒になって地域の方と話し合いながらビジョンをつくっていくということもあります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;u&gt;「地域」をどのようにとらえるか？&lt;/u&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;N&lt;br /&gt;「地域」ということを考えたときに、中山間地域はその「枠」を想定しやすいんですよ。流動的に人が動かないから。一方京都でも市街地になると「地域」というくくりで話がしづらいでしょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;Y&lt;br /&gt;京都で「地域ってなんだろうね？」という話をしたときに、その場に住む人に「地域」と言ってもあまりピンと来ないだろうなと思うんですね。「学区」とか「&lt;u&gt;元学区※&lt;/u&gt;」と言わないとダメだろう、と。例えば地域別の計画をつくろう、というときには大体それくらいが単位になると思っています。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;※：日本で最初に創設された64校の番組小学校を起源とし、明治期から戦中まで小学校運営・行政機能の一部を担う地域単位であった学区のことをいう。戦後、小学校の新設や統廃合が進み学区域も変わってきているため、元学区と呼ばれている。現在、元学区は直接の行政機能を有していないが、自治連合会、体育振興会や社会福祉協議会、自主防災組織など地域行政・住民自治の単位として用いられている。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;F &lt;br /&gt;住民の意思決定可能な地域のサイズの問題と、顔が見える範囲や愛着が持てるかという帰属意識の有無ですね。計画を策定するには「適切な規模」というものがあって、それを見極めるのも大切になります。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;― その「適切」の判断はどのようになすのでしょう？ &lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;Y&lt;br /&gt;基本的に行政情報を参考にします。こちらから直接地域住民にアプローチするのは困難です。勉強はしますが、かなり入り込まないと分かりません。それからアンケートの「&lt;u&gt;割※&lt;/u&gt;」を見るとか。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;※：お住まいの地域を尋ねる問いの部分や居住地域の選択肢&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;F &lt;br /&gt;それから住民側のキーマンも重要です。その地域のキーマンは誰か？　自治連の会長さんや、こういう支援者がいるから、これはこの地域でうまく回るだろう、とか。「あそこのコミュニティは福祉活動に力を入れているからこういう試みは相性がいいよね」とか。そういうのは学区レベルでの話が多いんでしょうけど。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;Y&lt;br /&gt;キーマンでいうと、京都の場合は複雑ですよね。地域によって相談を持ちかける窓口が異なっています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;T&lt;br /&gt;エリアの適切な規模については、いろいろ考え方があると思います。例えば私は、小学校区の顔の見える範囲や環境を共有して利害関係が一致しやすいなど、いわば政治的な判断をする上で適切な合理性のある範囲として、小学校区に注目してきました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかしその範囲でも現実には住民さんの地域イメージが必ずしも一致しているわけではありません。とある自治体では、そこは元々農村だったところで、戦後宅地開発が進んで一気に人が増えたときに、行政の決めた小学校区と、住民の考える「地域の範囲」が違ってきた。そのため、行政の規定している小学校区と、住民が考えるそれとが微妙にズレている。小学校区の枠からはずれる町内会があったり、反対に小学校区の範囲に入っているけど、住んでいる人たちが自分たちの範囲とは思っていないエリアが出てきたりとか。しかも住民の中でも昔から住んでる人たちの意識と新しく越してきた人たちのエリア意識は違うんです。そこは学校区のレイヤー、自治会のカバーするレイヤー、世代ごとに意識するエリアのレイヤー、というように、複数のレイヤーが重なっているなと。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;F&lt;br /&gt;京都の中心市街地も似た状況があります。小学校の統廃合が進んだため、元学区というエリアと、統合された小学校の校区のエリアが重なっている。だから今の若い親御さんたちは自分たちの元学区がどの範囲なのかよく知らないこともある。住んでいる人にとっての自分の地域は世代によっても違いますね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;若い世代が主に関わる活動の範囲は校区PTAだったりする。元学区4つ、5つ分くらいを自分の地域と考えているために、元学区の範囲と現在の小学校区の範囲とが一致しなくなって、これまで一般的には学区PTA会長経験者がそのまま学区自治連の役職を務めるという地域内の人材輩出のメカニズム、キャリアパスがあったんですけど、それがままならなくなってきたという問題も生じています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;Y&lt;br /&gt;私も同様の地域で基本計画の策定のお手伝いをしたときに、それを実感しました。古くからお住まいの地域のキーマンに話を聞くと、新しく越してきた人にとっては、最初から統合学区が基本のエリアになる。深川さんのおっしゃった課題を解決するために、ひとつ施策として挙げたのが、元学区での活動を基本にしつつ、統合学区での活動にも積極的に関わっていくような支援もします、ということでした。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;F&lt;br /&gt;整理すると、「自治」のレイヤー※1、「教育」のレイヤー※2、「福祉」のレイヤー※3があると思います。どのレイヤーを使うかは、対象とする世代や、取り組むテーマで変わってきます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;※1：例えば町内会、自治連合会&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;※2：例えば校区&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;※3：例えば福祉サービスの受益範囲&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt; ― 行政が行うまちづくりの試みで、「適切なスケールを探すこと」はどのように行われているのでしょうか？ &lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;N&lt;br /&gt;さっきの言葉で言うと「レイヤー」ということになるんだろうけど、もう少し小さい範囲で見ていく必要はあるんじゃないかと思います。行政の中でも、どのへんまで小さく下げていくのかを探っている動きがあるように感じています。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;F&lt;br /&gt;自治連までは行けるだろうというのは経験的には言えると思うんですが、自治連自体も高齢化や加入率の低下などがあり、「代表性が担保できるか」という問題が出てきています。加入率が4割を切っているところもありますし、町内会レベルまでスケールダウンして、そこで取り組みができるものかどうか、行政も迷ってる印象はあります。中にはほとんど機能していない町内会もあるので、住民さんの中から「町内会同士を統廃合したらどうだ」という話もたまに聞きますが、私ら自身も迷います。固有の町名を残して欲しいという人もいる中でどうするのか。そもそも統廃合して機能するのか、といった考えを整理することと地域の事情を踏まえて対応することが大切です。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;T&lt;br /&gt;たぶん普遍解はなくて、個別解しかないですよね。私が以前関わっていた地域でも消滅した町内会がありました。役の担い手がいないので、もうやめます、と。そこは地域の中でも空白地帯となっていて回覧板も回らない。それはまずいということで、各種団体の動ける人がその機能を代替している。しかしそれらの団体はそのための団体ではないのでやはり限界がある。どうしようか、という話は出ています。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;N&lt;br /&gt;「地域」には、暮らす人にとっての単位として学区や行政区という範囲がありますが、同じように暮らしてる人の中でも、町内会に入っている人と入っていない人がいる。また地域への関わり方も多様で、学生として4年間だけいる人、別荘をつくってたまに暮らす人、仕事で来る人などさまざまです。そういう人たちを含めた「地域」をどの範囲で括るべきか、ということは気になっています。また、「地域」はある程度区切れるかもしれないけど、では「地域住民」というのはどういう範囲になるのかな？　と考えています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;F&lt;br /&gt;西原さんの言うとおり、地域課題に取り組む際にどこまでの人を巻き込むべきか、というのはいつも迷いますよね。行政とある程度関係のできている自治連を頼りたくもなるというか…。ただ、自治連以外にもNPOや個人で活動している人もいる。でも自治連に、NPOにつながるパイプがなくて、包摂できていないところが多い。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;― 京都市内だけでもNPOの数が千を超えると聞いたことがあります。ボランティアやNPOさんの活動をどのように見られていますか？ &lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;Y&lt;br /&gt;職能として対価をいただいてやっていくことと、やはりボランティアやNPOとしてやっていくことでは違うと思います。どのような状況でも、与えられた期間内に成果をきっちり出すというところの意識は違うのではないでしょうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;N&lt;br /&gt;これはボランティアやNPOの話だけじゃなく行政にも関係すると思うのですが、市民活動団体の人たちがどういう動きをしていて何が得意なのか、ということを僕が理解して地域につなげるというよりは、むしろ地域側がどんなことを求めているのかということを外側にしっかり見せる。そこに関係する団体が参加・協力する。そういう仕組みでつながるほうが良好な関係が築かれることが多い気がします。しかし現状地域はその見せ方があまりうまくないし、だから外側に見えてこないですよね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://qc-3.blogspot.com/2011/06/qc303_27.html"&gt;後編へ&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;--&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&lt;b&gt;「次代のまちを考える会議」（通称「まち飯」）&lt;/b&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;谷 亮治（T：上写真左手前）&lt;/span&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;京都市まちづくりアドバイザー。立命館大学大学院社会学研究科博士後期課程で乾亨に師事、住民参加のまちづくりの可能性と成立要件を研究する。博士（社会学）。その傍ら、NPO法人ふれあい吉祥院ネットワーク事務局に勤務、まちづくりの現場で実践に携わる。2011年より現職。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&lt;b&gt;西原 秀倫（N&lt;/b&gt;&lt;b&gt;：上写真右奥&lt;/b&gt;&lt;b&gt;）&lt;/b&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;京都市まちづくりアドバイザー。現代美術センターCCA北九州修了。遊びへの興味からものづくりや祭りに関わりまちづくりに関わる。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&lt;b&gt;深川 光曜（F&lt;/b&gt;&lt;b&gt;：上写真右手前&lt;/b&gt;&lt;b&gt;）&lt;/b&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;京都市まちづくりアドバイザー。立命館大学大学院社会学研究科修了、神戸市長田区真野地区のまちづくりに学ぶ。金沢市のまちづくりシンクタンク ㈱計画情報研究所を経て現職。住民参加型まちづくりの活動支援が専門。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&lt;b&gt;山﨑 裕行（Y&lt;/b&gt;&lt;b&gt;：上写真左奥&lt;/b&gt;&lt;b&gt;）&lt;/b&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;都市計画コンサルタント事務所勤務。立命館大学大学院政策科学研究科修了。ふとしたキッカケから、景観まちづくりやまちづくりマネジメントの分野に興味を持ち、現在に至る。&lt;/span&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4806493550830325696-6797761269501993313?l=qc-3.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4806493550830325696/posts/default/6797761269501993313'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4806493550830325696/posts/default/6797761269501993313'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://qc-3.blogspot.com/2011/06/qc303.html' title='QC3｜03 まち飯インタビュー「「処方箋」から「寄り添い」へ—まちづくりアドバイザーという役割」'/><author><name>RAD</name><uri>http://www.blogger.com/profile/00204040342751953837</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://4.bp.blogspot.com/-R9IC3V6VjtU/TfmUCIP92CI/AAAAAAAAARc/OyGmC_F1__8/s72-c/QC3%25EF%25BD%259C03+%25E3%2581%25BE%25E3%2581%25A1%25E9%25A3%25AF%25E3%2582%25BF%25E3%2582%25A4%25E3%2583%2588%25E3%2583%25AB%25E7%2594%25BB%25E5%2583%258F.jpg' height='72' width='72'/></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4806493550830325696.post-1270080385044260243</id><published>2011-06-10T14:06:00.005+09:00</published><updated>2011-07-27T10:11:26.686+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='まち飯'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='03'/><title type='text'>QC3｜03 まち飯インタビュー「「処方箋」から「寄り添い」へ—まちづくりアドバイザーという仕事」</title><content type='html'>&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;「「処方箋」から「寄り添い」へ—まちづくりアドバイザーという仕事」後編&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;div&gt;&lt;/div&gt;&lt;b&gt;まち飯インタビュー&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;※&lt;a href="http://qc-3.blogspot.com/2011/06/qc303.html"&gt;前編はこちら&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;u&gt;後編 「『&lt;span class="Apple-style-span" style="-webkit-text-decorations-in-effect: none; font-weight: normal;"&gt;&lt;b&gt;プロフェッショナル』な地域支援者に向けて」&lt;/b&gt;&lt;/span&gt;&lt;/u&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;T &lt;br /&gt;「自分たちがどんなことを求めているのか」ということを見せようとしている地域は、その時点で相当「ウェルカム」な態度ですよね。私が前職で務めていたNPOでも、やはり地域団体と市民団体とのつなぎをどうするかは問題でした。例えば市民団体で教室をやりますということを告知するためのチラシを配るときも、一人のリーダーが一軒一軒ポスティングしているんですね。大変です。でも地域団体のネットワークがあれば回覧板などでガーッと回せるわけです。となれば、市民団体を地域団体とつなげば、市民団体の活動についても回覧板で情報を回せるね、という考えに当然なるのですが、そういうことを地域団体の人たちはすごく警戒するんです。なぜか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;地域の団体は協力していろいろやるんです。例えばA団体の事業をB団体が支援したり、その逆があったり。持ち合いをする。「お互い様」という感覚がある。あっちを助けるといずれうちが助かる、という感じなんですけど、市民団体のように外から来る団体にはその互恵の関係がないんですよね。そうなると地域団体側の根っこに「なんでそれをやったらなあかんねん」という思いが生じてしまう。しかも自治連や地域団体が住民さんからの町内会費で運営しているのに、その町内会費を払っていない団体の事業を支援することに対して、「その支援する費用どっから出てるの？」という話になる。「町内会費から出ていますよ」となると「なんで払っていない人たちの支援をそのお金でしないといけないの？」となる。 &lt;br /&gt;だから、「来てくれたら受け入れるよ！」ということを言ってくれる地域は、その時点で相当オープン、「ウェルカム」なんですよね。いま求められていることは、地域に対して「外の力を借りたほうが得ですよ」ということをいかに伝えられるか、ということです。外と中、いかに双方にメリットが生じるようにリードするか、と。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;F &lt;br /&gt;確かに「あの人は町内会に入ってない」とか「町内会費を払っていない」というところへの批判はよく聞くからね。「なんで町内会に入ってない人が自治連にもの申すの？」と。そういうのがあって。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;T&lt;br /&gt;悪い言い方をすれば、ある種の縄張り意識みたいなものもあると思うんですけど、やっぱり互恵関係の問題があると思うんです。「助けてもらえる」という暗黙の了解のない人を助ける、ということにアレルギーがあるというか。「長い目で見れば得やで」ということにしないといけないのだろうけれど。  でも言葉だけでは伝わらないですね。その意味で、地域の単発のイベントにNPOさんに来てもらって、一緒に活動してもらう経験を踏むことが必要かと。「あいつら実は面白いことをしているんだな」ということを地域の人たちに実感してもらうことが大事かなと思います。そういう双方の信頼関係を築くためのステップがいるんじゃないか。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;F&lt;br /&gt;今、私の担当している地域でも、学区レベルで夏祭りをしてるんですけど、いかんせんそれが参加者の減少や内容のマンネリ化で、自治連会長が少しお手上げ状態になってしまっているんですね。そこで、他の市民活動団体に企画やアイデア出しを一緒にやってくれないかとこちらから何回か投げかけをして、今回は一緒にやろうという格好になったんです。そういう試みは少し出てきてるんです。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;― その例で地域団体と市民団体が協力できるようになった要因はどのようなことがあるのでしょう？ &lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;F&lt;br /&gt;地域団体に「もうどうしたらいいのか分からない」という危機感があると思うんです。若い人も来てくれないし、自分たちが面白いと思ってやったことがウケなかった、ということが続いてくると、どうしよう、と。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;Y&lt;br /&gt;一回やってみて経験してもらうしかないのではないでしょうか。世代も変わりつつあって、既存の組織ではどうにもこうにも回らないということが起こっているのだと思うんです。責任やお金の話はあるでしょうが、現状をどうにかして変えたいという思いが起こっているのだと思います。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;― 状況を打開したいというときに、処方箋のような解決策を持ってきて欲しいという望みなのか、あるいはトライ＆エラーを許容するような、共にやっていこう、という意識があるのか、という二つくらいの形があると思いますが、いかがでしょう？ &lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;Y&lt;br /&gt;「処方箋型」はだんだん受け入れられなくなっているような気がします。一緒にやって考えて、失敗したら仕方ない、また考えなおそう、という「寄り添い型」がどうも受け入れられつつあるんじゃないかなと。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;T&lt;br /&gt;単純に上から「これが正解だ」と与えられたものには抵抗があるでしょうね。そういう意味で「プロセスのデザイン」が必要なんでしょう。「いっしょに考えようよ」と。いっしょにやってみて満足感があれば、仮に事業がうまくいかなくても次にもつながると思います。でも誰かが上から「これが正解だ」と持ってきて、それで失敗したら、もうそれっきりになってしまう。そのために「みんなで決めた」というプロセスへの納得感が大事だと思っています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;翻って、まちアドにとってもその納得感はとても大事だろうと。まちアドが行政職員としての面も持つ、ということの意義はそこにあると思っていて、短期的な事業単位で成功か失敗かよりはむしろそのプロセスにきちんと納得感を保ちながら寄り添うことが大事だし、求められていると思うんですね。それがまちアドの強みでもあると思っています。実はまちアドがコンサルさんと違うというか、コンサルさんと食い合わないでいられるのも、そこでしょう。そもそも仕事の質が違うと思うんです。似てる部分も多いけど、本質的には違う。コンサルタントはプロフェッショナルとして「正解を示さないといけない」役割だと思うんです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;京都は地域に対する期待が行政の中でもまだ大きいと思うんですよ。中に入って納得感を演出して、みんなで一体にやったら一定の成果が上がるという期待というか。だからまちアドのような制度ができているんじゃないかと思うんです。もしかしたらそれが、京都市が続けてきた「住民参加」の蓄積の成果なのかも知れません。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;u&gt;「住民参加」という問題 &lt;/u&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;― ただ「住民参加だから、それでなんでもいい」ということにはなりませんよね。それは一面で「どこで決定しているのか」という責任を曖昧にする隠れ蓑になることもあると思います。これをどのように考えていますか？ &lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;T&lt;br /&gt;確かにアリバイづくりのために使われたりするなど、住民参加の形骸化はよくいわれる問題です。例えば「ワークショップをやったからいいでしょ」という具合に。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;N&lt;br /&gt;住民参加が当然のものとなっている現状において、何回かワークショプしてパブリックコメントを取ったらそれで完了ということになっているということは… &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;F&lt;br /&gt;不幸なことだと思いますね。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;T&lt;br /&gt;住民参加が一般化した代償に、「何のために住民参加を行うのか」が問われなくなっている面はあるかもしれませんね。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;F&lt;br /&gt;そうですね。例えば住民参加といえばワークショップがイメージされがちですが、住民さんにも「みんなのいる場で語れること」と、「語れないこと」があると思うんです。ワークショップで語るのは、みんなの前で語れることですね。一方で、利害関係の中で語れないこともある。そこは調整役の人が立ち回って語りを吸い上げることで、合意形成をするという形がもうひとつあると思うんですが、前者のワークショップという方法論ばかりが強調されて、後者がおざなりになっているような気はします。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;もうひとつ、ワークショップを行うときに、何に対してどの程度まで決定権があるか、またはこのワークショップの結果がどの程度反映されるのか、ということを明確にしないまま行ってしまうという問題があると思います。住民参加が一般化したとはいえ、意見の吸い上げ方のデザインや、吸い上げた意見の位置づけ方にもまだ改良の余地があるということです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;T&lt;br /&gt;本来、住民参加は、より多く住民の利益になる確率を高める、ひとつの方法論だったはずなんです。そのことが忘れ去られて「やればいい」とか「やらなきゃいけない」ということになっている。そもそもは一人で決めるよりみんなで決めたほうがまだマシ、という話だったと思うのです。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;F&lt;br /&gt;行政や専門家と住民との関係も、ワークショップのような場で、住民の生活知や経験知が吸い上げられ、そこに行政や専門家の専門知が組み合わされることでより良い答えが出るはずなのに、生活知や経験知ばかり偏重して、「あなたたちが決めたこと、言ったことでしょ」と住民に責任を負わせるという専門家の責任逃れのようなこともあり得ます。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;― そうなると専門分化している意味がないわけですね。専門分化している主体を適材適所でそれぞれに当てはめていくべきはずが、分化の線引き自体が混乱してしまっていると。 &lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;T &lt;br /&gt;どこまで決めるべきか、というのは難しい問題です。その素人の手に余るような難しい問題を整理するのが、専門家の「芸」だと思うんです。そこまでは非専門家にはできない。論点を明確にし、これまでどうだったのかという経緯を整理して、専門家ではない人々に説明し、理解してもらう作業が専門家の仕事だと思うんです。ところが、その作業に非専門家を入れたり、逆に非専門家が決めるべきところにも専門家が入ったりしているから話がややこしくなってくる。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;Y&lt;br /&gt;最初の課題設定とそれに対する適切な規模。最初はスケールの話ですが、翻って課題に対する適材適所があるべきです。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;T&lt;br /&gt;「どこまで線引きするか」という人によって異なる価値観があったとしても、決めないと先に進めない場面もあるかもしれない。これは龍谷大の&lt;u&gt;富野先生※&lt;/u&gt;の受け売りになりますが、そういう場面で、それができるのが行政という「権力」だと思うんです。しかし「権力」の役割が不徹底になると、本来それがやるべきだった決定というプロセスを住民に投げてしまうことになる。それではいけない。ただ価値観が多様化して利害関係も複雑化している現状で、行政が決めづらくなっているということは確かだと思います。とはいえ、その中でも決定するという「芸」は必要だと思うんです。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;※：富野暉一郎。龍谷大学政策学部教授。地方自治論および地域経営論専門。元逗子市長&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;― もちろん決定すれば必ずそこから漏れてくるものがあると思います。それを意識するとしないとでは大きく異なりますね。 &lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;T&lt;br /&gt;そうですね。その意味で言葉は悪いですが行政側にも「ずるさ」の自覚が必要だと思います。真っ正直なだけの人が権力側に立つのは怖いわけです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;先にも述べたようにまちアドが地域に関わるとき、「納得感」を重視することになると思います。しかしそれはまちアドが行政の一部である限り、行政の役割を円滑に進めるために住民の「納得感」を「演出」する、という使い方もできてしまう。その「ずるさ」は自覚しないといけない。その上で地域のために何ができるのかを真摯に考えて律することがまちアドの職能倫理かと思います。反対に「納得感の演出」をただの動員装置としてしか使わないのは、まったくだめです。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;― 一方で「権力」による決定があり、一方で住民が自分たちで決定できる、というレイヤー状態ができていることが、今言われた「納得」につながってくるのかなと思うのですが。 &lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;T&lt;br /&gt;住民が「納得」を得るためには場が必要だと思います。&lt;u&gt;パットナム※&lt;/u&gt;の議論に、サッカークラブや趣味のサークルが社会参加の場になっているという話がありますが、役所がしないといけないのは、そういう場をたくさんつくる手助けだと思うんです。小さな「納得感を生む場」をつくること。その意味で地域というレイヤーだけじゃなく、趣味のサークルや会社のサークルのレイヤーにも注目する必要があると思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;※：ロバート・パットナム。アメリカの政治学者。ソーシャルキャピタルの概念の提唱者&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;u&gt;「プロフェッショナル地域支援者」のあり方について&lt;/u&gt; &lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;Y&lt;br /&gt;一般の地域でも400世帯あるとして、一年間に一世帯1万円出してくれたら、支援者も生活していくことができると思うんです。でもそのとき、そのような人材に住民が納得してお金を出してくれるのかが問題です。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;T&lt;br /&gt;そのような、地域に雇用される専従者という方向性は今後あり得ると思います。それについては、「まちづくりには専従職員がいたほうが得で、そういう人たちにこれだけのお金を払う価値がある」ということを、「&lt;a href="http://www.studio-l.org/studio-l.html"&gt;Studio-L&lt;/a&gt;※1」さんや「&lt;u&gt;河和田アートキャンプ※2&lt;/u&gt;」さんのような、先行している人たちが今後示されるのではないかと思っています。  &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;また、地域の中で各種団体に行政縦割りで各種補助金が出ていたんですが、それをやめて、いままでバラバラだった補助金を一括してまとめてあげますから、地域で自治組織をつくってくださいと、それで地域の中でどう使うかを決めてください、というシステムを取ろうとする自治体がちらほら出てきています。これの何が新しいかというと、いままで少額でバラバラに落とされていたお金が束ねられて、地域で百万円単位というまとまったお金になるとき、プロフェッショナルまちづくり支援者を雇おう、という選択肢が出てくるかもしれない、ということです。ただ、まだ支援者にその価値が認められていない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;※1：ランドスケープデザイナー、コミュニティデザイナーである山崎亮氏らによる「人と人とを結ぶ」会社。社会の課題解決をデザインの力で支援する。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;※2：&lt;a href="http://qc-3.blogspot.com/2011/04/qc301.html"&gt;QC3 vol.1 片木孝治さんへのインタビュー参照&lt;/a&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;F&lt;br /&gt;そこで職能者が地域の決定権を奪ってしまわないようにしないといけない。それを職能倫理としてどう整理するかは課題になります。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;T &lt;br /&gt;福岡市の調査に行ったときの話なのですが、福岡市は&lt;u&gt;自治協議会制度※&lt;/u&gt;をつくったときにそれと平行して地域の中に公民館の館長を教育委員会からではなく市民から推薦できるようにしたんです。地域で推薦してください、と。地域によって選出の仕方はいろいろで、単なる事務屋さんとして位置付けるところもあるんですが、とある校区では地域で信頼のおける副自治会長さんがその席に座られた。その人は実は転居者でもあるんです。だから外から来た人の意見も分かるし、住民とのネットワークもあるしということで、かなりナイスなポジショニングです。これはいま話題に上がっていた地域専従支援者に近い存在だと思いますね。もちろん自治協議会が直接雇ったわけじゃないんですが。別の校区では、公民館に務める館長さんが、自治協議会から自治に関する仕事分を別途引き受けて、その分お金を自治協議会からもらっています。これも先のイメージに近いなと思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;とはいえこれらの地域では、もともと自治がしっかりしており、また優良な住宅地で、住民の潜在力も相応に高い地域ではありますね。そういう社会関係資本とつながっていないとまちづくりはできないのか、という話にはなりますが。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;※：福岡市がおおむね小学校区を単位として形成される自治協議会を中心にコミュニティ支援を行なう制度。自治協議会は自治会・町内会のほか、各種団体をはじめとした校区で活動するさまざまな団体や住民で構成される。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;― それはこれからご自身の立場で検証していかないといけないことですよね。 &lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;N&lt;br /&gt;まちアドも徐々に変わりつつあると思っています。まちアド制度はできてまだ6年、各行政区に張り付きはじめて今年でまだ3年目なんですよ。これまでは区がたてた事業をフォローする役割だったんですけど、事業をたてるときにもアドバイスするような形に少しずつなってきています。また事業をある程度任されている人もいます。まちアドが関わることで、区が行う事業が今まで以上に地域に寄り添った形になり，より面白くなる可能性があると期待しています。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;T&lt;br /&gt;そういう人材を役所の中に位置付ける動きが少しずつ出てきているようです。ある自治体でされている試みなのですが、商店街の一角に、1階がカフェで2階が事務所になっているようなところがあって、そこに職員がついている。その職員が市の嘱託の職員なんです。4年で契約が切れると言っていたかな。その人がどこから来たのかと言うと、元々東京でスタジオ経営をされていた人なんですよ。それこそミュージシャンを集めて、キュレーターみたいなことをしている。そこで4年間で成果をあげて、4年たったらここで食べていって良いですよ、と。そこで若い人を集めてイベントを企画したり、カフェで居場所づくりをしたり、正規の行政職員ではなく、年間契約で、そういうことができるスキルやネットワークを持つ人にお願いする、という動きは少しずつ出はじめていますね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;まちづくりというとき、地域の中で専門性をもって、地域の活性化のために動ける人を正規の職員ではなく、必殺仕事人のようにプロジェクト単位で雇うという動きは、先にも触れましたが、少しずつ出てきている。地域住民さんから直接お金をもらうというのは難しいんですが、役所レベルではそういう話が出てきている。少なくともその水準ではまちづくりプロフェッショナルは求められつつあると思うんです。当面はそんな中で必殺仕事人のように関わり、成果を出して行くような仕事が、これからの「『食える』プロフェッショナル地域支援者」像なのかなと。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;Y&lt;br /&gt;そういった動きも、先進的な自治体で出はじめてはいるんですね。しかし、やはりまだ一般的には職能としては確立していない、と。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;T&lt;br /&gt;職能自体は必要とされているとは思うんです。ただ、値段がついていないということじゃないでしょうか。要するに、「タダならやってほしい」。でも「年間100万円払うか」、というと、「うーん...それはちょっと...」、というのが地域にとっての実情じゃないかと思うんです。いまはその「アンダーライン」が低いというか、基準がない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;以前聞いたお話なんですが、コンサルタントは昔からソフト的なまちづくりに関わっていたんです。しかも無料で。なぜかというと、住民参加のようなソフトのまちづくりにかかわっていくと、じゃあその地域で「建物つくりましょう」「地区計画つくりましょう」となったとき、そこでお金が発生する。言ってみれば「ソフトのまちづくり」は「ハードのまちづくり」につなげるための先行投資のようなものとしての面があったわけです。最終的に建物や計画を作ることで投資を回収できればそれでよかった。でもいまは建物や計画といった後半部分がストンと少なくなって、ソフトなまちづくりがスタートでゴール、となってしまう。そうすると、もともと値段がついていないところだけが残る。結果として、コンサルタントしてははしごを外されるような形になって、それでは食えんだろう、と。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;このことから、まちづくりで飯を食うための一つの必要条件として、「ソフト」の方にもお金を払うだけの値打ちがある、ということを示していかないといけないんだろうな、と思っています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―ではまち飯としての今後の展望を聞かせてください。&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;T&lt;br /&gt;個人的な意見としては、「まち飯として何か方向を示す」というよりは「まち飯というネットワークを使って各個人が必要なものを得ていけたらいい」というくらいに思っています。もちろん「まちづくりで飯を食って行きたい」という大前提は共有しています。が、個別的な専門性を持った様々な分野の人たちが持っているものを互いに交換して、つながっていくための器としてあればいいのかなと。そうして必要とされることで、まち飯が続いていけばいいんじゃないか、と思っています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;―では、今日のメンバーのみなさんの個人的な展望を聞かせてもらえますか？&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;Y&lt;br /&gt;個人的には地元に帰って組織を立ち上げ、まちづくりに関与していきたいなと思っています。それでご飯を食べていくためには、地域住民が地域を維持するためにその資金を拠出するということがないと難しいと思っています。そのシステムを研究したいという思いもあります。行政だけに頼らない、地域による地域のためのまちづくり組織ができないかなと思いますね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;T&lt;br /&gt;私は実践の現場と、研究の二足わらじでいきたいなと考えています。実践の中で得た体験を、体系化・理論化することで、まちづくりとは何で、どうすればうまくいくのか、という問いを研究したい。そうして研究で得た知識を現場にフィードバックする、そういうサイクルでやっていきたいと思っています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;F&lt;br /&gt;「一人ひとりが地域に居場所があると感じられ，地域の人たちと寄り添い合いながら暮らしを楽しむことができる。」　抽象的ですが、そんな地域づくりに関わっていきたいと思います。それをどういった立場でやっていくか。それを今は考えています。これまでの経験を京都で，そして将来は地元の佐賀でいかしていきたいですね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;N&lt;br /&gt;地域でまちづくりに関わっている人、住まう人たちはお金をもらっているわけではなくて、お祭りにつられてとか、一緒にご飯が食べれて楽しいとか、やりがいであったり遊びであったりと、それぞれの喜びにつながることで関わり、互いにつながっていると思うんです。僕は，そうした人たちに寄り添い一緒に遊び続けてたらなぜかご飯を食べれてる。そんな感じで生きていけたらいいですね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;T&lt;br /&gt;ついつい忘れがちになりますが、本来それが原点ですね。そういう、幸福な出会いができる地域と専門家の関係というのも、稀かもしれませんけれど。（了）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/-VJ43jozoW_4/TgW2MWD-bzI/AAAAAAAAAR4/I0LizdR10UU/s1600/QC3%25EF%25BD%259C03+%25E3%2581%25BE%25E3%2581%25A1%25E9%25A3%25AF%25E5%25BE%258C%25E5%258D%258A%25E7%2594%25BB%25E5%2583%258F.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"&gt;&lt;img border="0" height="480" src="http://3.bp.blogspot.com/-VJ43jozoW_4/TgW2MWD-bzI/AAAAAAAAAR4/I0LizdR10UU/s640/QC3%25EF%25BD%259C03+%25E3%2581%25BE%25E3%2581%25A1%25E9%25A3%25AF%25E5%25BE%258C%25E5%258D%258A%25E7%2594%25BB%25E5%2583%258F.jpg" width="640" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;「次代のまちを考える会議」（通称「まち飯」）&lt;/span&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;谷 亮治（T：右から二人目）&lt;/span&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;京都市まちづくりアドバイザー。立命館大学大学院社会学研究科博士後期課程で乾亨に師事、住民参加のまちづくりの可能性と成立要件を研究する。博士（社会学）。その傍ら、NPO法人ふれあい吉祥院ネットワーク事務局に勤務、まちづくりの現場で実践に携わる。2011年より現職。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;西原 秀倫（N：一番左）&lt;/span&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;京都市まちづくりアドバイザー。現代美術センターCCA北九州修了。遊びへの興味からものづくりや祭りに関わりまちづくりに関わる。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;深川 光曜（F：左から二番目）&lt;/span&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;京都市まちづくりアドバイザー。立命館大学大学院社会学研究科修了、神戸市長田区真野地区のまちづくりに学ぶ。金沢市のまちづくりシンクタンク ㈱計画情報研究所を経て現職。住民参加型まちづくりの活動支援が専門。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;山﨑 裕行（Y：一番右）&lt;/span&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;都市計画コンサルタント事務所勤務。立命館大学大学院政策科学研究科修了。ふとしたキッカケから、景観まちづくりやまちづくりマネジメントの分野に興味を持ち、現在に至る。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4806493550830325696-1270080385044260243?l=qc-3.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4806493550830325696/posts/default/1270080385044260243'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4806493550830325696/posts/default/1270080385044260243'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://qc-3.blogspot.com/2011/06/qc303_27.html' title='QC3｜03 まち飯インタビュー「「処方箋」から「寄り添い」へ—まちづくりアドバイザーという仕事」'/><author><name>RAD</name><uri>http://www.blogger.com/profile/00204040342751953837</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://3.bp.blogspot.com/-VJ43jozoW_4/TgW2MWD-bzI/AAAAAAAAAR4/I0LizdR10UU/s72-c/QC3%25EF%25BD%259C03+%25E3%2581%25BE%25E3%2581%25A1%25E9%25A3%25AF%25E5%25BE%258C%25E5%258D%258A%25E7%2594%25BB%25E5%2583%258F.jpg' height='72' width='72'/></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4806493550830325696.post-5766233488019132370</id><published>2011-05-10T11:59:00.006+09:00</published><updated>2011-05-23T15:49:49.230+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='岡田知弘'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='02'/><title type='text'>QC3｜02 岡田知弘インタビュー「経済学的観点から地域という複層を見る」</title><content type='html'>&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/-HzJVC22eCT0/Tcigghcw3iI/AAAAAAAAARE/xsudvsXFO54/s1600/QC3%25EF%25BD%259C02%2B%25E5%25B2%25A1%25E7%2594%25B0%25E7%259F%25A5%25E5%25BC%2598%25E3%2582%25BF%25E3%2582%25A4%25E3%2583%2588%25E3%2583%25AB%25E7%2594%25BB%25E5%2583%258F.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"&gt;&lt;img border="0" src="http://1.bp.blogspot.com/-HzJVC22eCT0/Tcigghcw3iI/AAAAAAAAARE/xsudvsXFO54/s1600/QC3%25EF%25BD%259C02%2B%25E5%25B2%25A1%25E7%2594%25B0%25E7%259F%25A5%25E5%25BC%2598%25E3%2582%25BF%25E3%2582%25A4%25E3%2583%2588%25E3%2583%25AB%25E7%2594%25BB%25E5%2583%258F.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;「経済学的観点から地域という複層を見る」前編&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;b&gt;岡田知弘インタビュー&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;--&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;b&gt;第二回目となる今回のインタビューでは、京都大学経済学研究科にて教授職に就かれ、地域経済学を研究される岡田知弘氏にお話をうかがった。「地域経済学とはどのような学問なのか」ならびに「その観点からどのような風景が見えてくるのか」という基礎的な質問からはじまり、個別具体的な地域の取り組みを紹介してもらいながら「地域内再投資」というキーワード&lt;/b&gt;&lt;b&gt;（詳細は後編にて）&lt;/b&gt;&lt;b&gt;を挙げていただいた。地域とはある固定的な実体ではなく、いくつものレイヤーの重なりからなっている、という氏の言葉、ならびに、具体的なフィールドワークとより俯瞰的な研究とを組み合わせながらその複層を見ていく氏の姿勢から、今後「地域」が取るべき方向性について考えていきたい。（2011年2月26日収録）&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;※&lt;a href="http://qc-3.blogspot.com/2011/05/qc302_08.html"&gt;後編はこちら&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;u&gt;&lt;b&gt;前編 「&lt;span class="Apple-style-span" style="-webkit-text-decorations-in-effect: none;"&gt;経済学という観点から地域を考える&lt;/span&gt;」&lt;/b&gt;&lt;/u&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;文字起こし：&lt;a href="http://www5c.biglobe.ne.jp/~fullchin/p2/p-2.htm"&gt;佐藤敏宏&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;—「地域経済学」という分野はいわゆる経済学とはどのように異なるのでしょうか？&amp;nbsp;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;「地域経済学」はその名の通り、「地域」と「経済」学とが複合化された言葉です。経済とは、本来は「経世済民」という中国の言葉が語源であるように、世の中の人々を助けて国をたてていくことです。経済学というのは、そのための学問です。地域経済学は、この経済学の一分野です。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;経済活動には2つあるんですね。産業活動と生活。現代では産業活動の部分だけが広域化していて、生活領域の方はそんなに広がっていない。例えば半径500ｍという所で動いている後期高齢者の数が増えてきているんです。半径500ｍというと、都市で言えば小学校区でしょう。農村でいうと集落、そういうスケールで生活し続ける人が絶対数として増えてきている。他方で生産年齢人口の一部はグローバルに活動していく。ただ、そういう人たちも家に戻って家族の再生産をやってますから、そこは狭い範囲で生きている。こういうスケールの違いが現代では積み重なってるんです。私たちはこれを「地域の階層性」と言っています。そして、世界経済から小学校区にいたる地域レベルごとに、別々の動きをしています。世界経済レベルの動きと日本全体の動き。それから京都府レベルの地域、そして京都府の内部の動き。これが複層化したかたちで同時並行的に動いています。そのなかで一国経済のいくつかのレベルを取り上げて、そこでの経済活動を分析していくというのが地域経済学の研究です。したがって、はじめから例えば「小学校区が地域経済の単位だ」というふうに言い切ることはしません。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;これまでの経済学は、産業ばかり着目していたんですけども、私は生活が大事ではないかと考えています。そこに住んでいる住民がどういう状況にあるかということを併せて考えなければ、地域というものは見えないんです。消費、生産、そして流通。実はこれまでの経済学的なとらえ方では、生活に根ざしたこれら活動の流れが見えないんですよ。その流れを生活や地域に置き直して、財政を含め、説明されなければならない。例えば、税金をどういうかたちで支出するのか？　土木事業で支出するのか、子供手当で支出するのか。そのお金がどう流れていくのか。地域をベースにすれば、これまでの縦割りの工業経済、農業経済、金融経済、あるいは財政学と言われていたものの研究対象が、一体となって動いているのが見える。その経済活動は人間が生きるために行ってきた営為なのです。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;日本で産業革命が興った時期は高校のテキストなどでは1900年前後と言われていますが、これを地域空間に落とし込んで考えてみたとき、北海道から九州、沖縄まで「いちにのさん」でどの地域にも近代工場が勃興したかと言ったら、違うんです。東京でいったらカネボウ。あるいは大阪ならば大阪紡績、あるいは諏訪湖の畔で片倉製糸。このあたりが巨大な紡績工場や製糸工場を作り、そこが成長の極になっている。逆に東北は寄生地主制が発達して工業よりも農業です。お米や労働力の供給地に特化していくんですよ。そして首都圏の方に鉄道を通して安くおいしいお米を供給していく。実はこのかたちは、今の中国と同じなんです。一国経済の発展には、メダルの表裏があり、表にも中心と周辺があるんです。階層性があった上で、そこに地域独自の運動がある。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;現代では、日本列島規模で言えば東京一極集中です。でも県別で見たら、今度は県庁所在地に人口は集中している。その理由を「経済のグローバル化」と言っています。海外に直接投資がどんどんなされ、国内の工場が閉鎖・縮小されていく。自動車と家電関係が象徴的でしょう。その工場があったのは東北や九州なんですよ。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;それから今もTPP問題が議論になっていますが、農産物も貿易自由化すべきという圧力が80年代からかかって来て、積極的に輸入促進政策を採っていくんですね。それが対象にしているのがお米も含めて農産物であり、繊維を中心とした中小企業製品です。この間、京都で激減していくのが織物関係の事業所でした。「前川レポート」というものが通商交渉の中で約束されて、積極的に貿易黒字を減らすために輸入を促進します、と約束してしまいます。それで、農産物も、中小企業製品と言われる織物、繊維関係もどんどん輸入していく。そういう中で、大手の会社は海外に工場を建てて行った。この富がどこに行くかというと、当たり前ですが、東京にいきます。本社が集中しているから、海外売上高の7割が東京都心部に集中してしまうんですよ。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;ここで産業別の就業人口の動向を見ていくと、90年代の10年間で人口が減る前に就業人口、つまり働く人の数が減っているんです。これは高齢化が進んでリタイヤする人が増えたということ、もう一つは失業率が5％ぐらいに上がったということからきています。人々がその地域で生活し続けるということは、人口の減少が起こらないということです。世代交代があっても人口は持続可能なかたちで維持されるか増える。ところが、少子高齢化の前の時期に、多くの市町村で人口が減りだしているんです。これは産業活動が衰退して生活を支えられなくなった地域が増えた、と理解することができるわけです。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;90年代の産業別就業人口のなかで、もっとも目立つのは製造業の大幅減少です。京都でも産業空洞化がずいぶん広がりました。ちなみに90年から2000年にかけての製造業就業人口を見てみると、200万人を超える働く人が、つまり京都府の人口240万とほぼ同じ数が減っています。90年のバブル絶頂期には一番働く人数が多かった産業だったのですが、わずか10年で第三位産業になってしまいました。これは海外進出の帰結であり、もう一つは地場産業が輸入促進政策のために崩壊した結果です。&amp;nbsp;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;これに対してサービス業が増えました。医療保健福祉サービス業と情報サービス業、この2つだけが大きく増えています。京都市内の事業所統計を見ていきますと、80年代の初頭まで働いている人の数が最も多かった産業は織物業だったんですが、90年代に入ると一位は病院業に変わるんです。これを「サービスの経済化」と言います。一方農林漁業の減り方はとんでもなくて、10年間で3割か4割ですから、単純計算するとあと20年経ったら壊滅です。明らかにこれは輸入促進政策の結果です。農林漁業と製造業を基盤にした地域経済を作っている地域はどこかと言うと、郡部であるわけです。京都でいうと北部が一番典型的です。産業が衰退し、休業してしまうと所得がありませんし、金が無くなったら生活できません。そこで人口を支えられなくなって、人口が減って行くわけです。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;—地域経済学において、今お話していただいた都道府県あるいは市町村という既存の境界を基にした階層性の他にどのような階層性があるのでしょうか？&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;今の話は行政区画としての市町村という基礎自治体の範囲を想定しています。その上に都道府県があり、国がある。これがなぜ重要かと言うと、行財政権限を持っているからです。法律を定めるのは国の行為。国は財政を持ってますし、税金を集める権利も持っています。都道府県や市町村は同じように法的な権限で条例を定めることができます。だから都市計画、あるいは建築基準法に沿ったかたちで、例えば京都市の景観条例やまちづくり条例のように独自の施策ができます。基本的にはこれは住民自治で決めるべきものですが、大規模な自治体、例えば京都市は150万人弱の基礎自治体で、一つの市議会を作る。これはスケールの問題に関わることです。日本の場合、今回、市町村合併をし過ぎてしまったせいで、とても生活領域とは言えないような広がりができてしまった。これが一つの行政領域、あるいは、そこに立つ地方自治体とか国というものの役割の大きさについての話です。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;その他の地域階層として、通勤圏や労働市場を考えることができます。三大都市圏で言えば、京都の人が大阪に通うというような「労働市場圏」という圏域があるわけです。あるいはもっと広げていきますと、経済活動している主体が全国各地に支店網を持ってます。これを「資本の活動領域」と言っています。今東京系資本が一番広いエリアに展開しています。金融ビックバンで元々は在阪系だった企業グループが全部東京資本になっちゃったんです。つまり東京に本社機能が移ってしまった。したがって大阪も経済圏域がグッと収縮して弱くなってきています。それは何に象徴されるかといいますと、通勤人口の激減なんです。阪急や京阪が経営方針を変えてきた理由も、そこにあると思っています。もう通勤通学人口を期待できないわけです。だから特急の止まり方も変えてきたし、集客を第一にしてJRとスピード競争しない。もう一つは本業以外に展開していく。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;このことに関して、第一次産業、第二次産業、第三次産業の全国に占める比率がどれだけあるのかを都道府県別に並べた図があるんですが、東京が非常に分かりやすく、山が高くなっている。これは法人所得の集中率で、東京に40％近くが集まっている。支店網から吸い上げられた利益が東京本社へ集中しているということなんです。実はこれが日本全体で起っている動きです。だから京都でも同じ動きがある。つまり京都府の中でも京都市に60％ぐらい人口集中しており、都心部のところに投資の集中点があります。このように、経済的圏域も複層性を帯びて存在し得ます。ただ「存在し得る」と言っただけでは、学問的には面白いかもしれないけど、現に起こっている問題を解決することにはなっていかないでしょう。私は、国や地方自治体が果たすべき役割は、その圏域のそれぞれの地域の持続的発展をなすことができるか、ということだと考えています。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;—こうした経済的な動きは地域に対してどのような具体的影響を与えるのでしょうか？&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;経済活動そのものが、グローバルな動きと連動して町の外観、姿を変えていく、ということがひとつあります。それを見ていかなければ、例えば「保存だ」と言ったとしても意味がないと思っています。博物館的施設だけが残ったとしても、それを維持できるのかという問題があります。つまり、何で西陣や、室町も含めて、ドンドン織り屋さんや問屋さんが消えてペンシルビルができたり、空き店舗ができたり、ガレージが増えていくのか。あるいは室町一帯に展開していた問屋さんがビルを転貸して、そこに創作和風料理屋が入ったり、エステが入ったりするのか。これは、さっき言った大きな産業変動が国際規模で起こって、京都のところで繊維産業が立ち行かなくなってしまったからですよ。そしたら土地を持っている人たちはどうするか？　たまたま地価がバブル崩壊後下落したわけです。そのなかで土地利用転換をしようと思ったら、地代が払えるような新しい業種しかない。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;しかももう一つ2000年代初頭の金融ビックバンが起こった。先に大阪の話をしましたが、京都でも四条烏丸の辺りは金融街でした。だからいろんな金融機関の支店があったんです。ところが合併したら店舗が余ってしまうわけです。そこへ何が入ったか。オフィスの女性を対象にした、あるいは通行客を対象にした小売店経営だとか、本屋さんだとか、喫茶店、あるいはエステ。そういうところにいわゆる市場を求めて企業群が入ってくる。けれどもこれは京都系企業ではなく東京や大阪系企業です。そういうかたちで街の姿が変わっていく。端的に言えば、そこに「住む」人や経済活動の主体がなくなってしまえば景観は維持され得ないわけです。これに対して、河原町通りは、かつてほど繁栄していません。東京系・大阪系企業のギラギラした若者向けのお店が不規則に入って来てしまったことで、お金を落とす中高年の買い物客が行かなくなったからだと考えられます。実は、この河原町通りの変化に学んでいるのが都心部の烏丸通りです。烏丸通りをどうするか、ということを検討するために、沿線の企業や地主や市が協議会を作って、あるルールを作っています。例えば風俗系を入れないとか、ギラギラしたものを入れない。そのようなかたちで、街を一つのルールの下に作っていこうという仕掛けをもっています。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;—ただ、そのとき例えば西陣や祇園といった歴史的な変移がある程度見えやすい地域と、そうではない地域とがあると思うんですが、その違いをどのようにお考えですか？&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;京都市の伏見区に久我・羽束師（こが・はづかし）という地域があります。古い京都の歴史の中でも一番最初に開発されたところです。つまり平安京ができる前からある。有名な秦一族がやってきて開いた所です。向日（むこう）市と隣接しており、元々は桂川の西側で、乙訓（おとこみ）郡なんです。ところが60年前に「京都市と合併したい」と言って京都市に編入合併したんです。その後、高速道路の近くなので都市計画決定をして「工業地域」にしようとした。けれども京都市のような地価の高い所で工場がたくさん立地するような時代や環境ではなかったわけです。その結果、逆説的ですけど農地がまとまって残った。いま工業専用地域なのに九条ネギ等の産地になっています。他方で、都市計画規制がとてもゆるいので三階建て住宅が密集しています。この15年で京都市内で一番人口増加率が高い地域のひとつです。そういう中でまちづくりビジョンを作ろうじゃないかということになったんです。まずは住民のみなさんがまちづくり協議会を作った。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;そこで二つの分科会をつくりました。ひとつは、自分たちが今住んでいる所は一体どういうところなんだろうか、ということを写真を媒介にしながら学び直そうという、歴史景観部会です。いわば、地域史を学ぶ取り組みです。もう一つが、農家の方々と新住民の方々が交流できる直売場を運営する農業部会です。野菜がたくさん採れておいしいんですよね。今150人ぐらいお客さんが固定的にできていて、毎月市を開き、一時間ぐらいで全部売り切れる。人気ですよ。そういうことをやりながらまちづくりビジョンをワークショップ型でつくりつつあります。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;その地域が発展しなかったひとつの理由に、水害があると思います。土地が低いのですぐ桂川の洪水に遭ってしまう。だから水害というか「水に対する対応が重要」という認識も出てきます。そうしたことを学ぶことを、私は「地域学」と言っています。歴史的なところや自然条件も含めて、きちっと住人が見直し、それを共有化していくことが地域づくりに絶対必要なことだと思っています。どこか巧くいったモデルを真似したら良いとかいうようなことをやっていてもまちづくりは持続できない。しっかりと学ぶ主体がどれだけいるかにその地域の将来がかかっているんじゃないかと思います。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;地域も、これまでは、そういう動きをせずに、既存の自治会は単に積み上げ方式で、最終的には市あるいは国に対して陳情要求をまとめていく、という団体だったんです。地域で自律的に「何かやろう」ということはあまり無かった新興住宅地です。西陣や室町などのように歴史的景観の変化がはっきりと見えなくとも、どの地域にも必ず地域が形成されてきた歴史があります。それを住民が主体的に学ぶことによって、地域の歴史的変化を知り、共有化することができると思うのです。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;—確かにまちづくりが前例主義的になっているという話は耳にします。では、市や国に対する地域からの陳情要求しかないことはどのような点で問題なのでしょうか？&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;ひとつ例をお話しましょう。高山の旧市街地から一番離れたところ、車で1時間半ぐらい行ったところに高根村という村があるんです。野麦峠のあるところ、御嶽と乗鞍岳のちょうど間ぐらいにあるところです。かなり標高が高いところで、合併後4年間で人口が3割減っちゃったんですよ。かつては複数の市町村が合併前にあり、合併によってそれが1つの市になった。それで地域はどうなるか？　ということなんです。税収は合併したからといってすぐ変わるもんじゃないんですが、実は人口が大きくなればなるほど地方交付税の一人当たり単価が下がっていくんです。そのとき人口の小さい地域が多く並んでいると、ものすごく「無駄」に見える。要するに財務省は財政不況のなかで地方交付税を圧縮したかったんです。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;けれども、翌年から合併して、すぐに交付金を大幅削減したらとんでもないことが起こるでしょう。そこで「合併特例」が出てきます。「合併特例債」という特別の借金を「平成の大合併」では認めていて、その内7割を国が後から面倒みますよと言っている。つまり地方交付税の中に初めから借金返しの部分を含み込むわけです。その内の返済の7割は自分たちで返さなくてもいい。けれどもこれは自由にならないお金なんです。合併に必要な経費、あるいは、例えば役所の名前を変えるとか、封筒を刷りかえるといった必要経費なんです。だから使えない。合併前には複数の市町村があり、過疎地域では町の1年間の経済的な富の生産に占める町村役場の財政支出の比率が4割を超えるところも多かった。この数字が大きいほど、その地域経済は役場経済に依存しているということを意味します。役場は公共事業を発注しますよね。多くの場合地元建設業や、冬場になると除雪の仕事です。また、支払われた給与で職員たちは地域の小売店でものを買う。こういう循環がそれぞれの町や村にあった。でも合併したら中心部にすべての財政が集中しちゃうんです。そして市役所に集中したお金が、交付金の特例が切れて、将来的には合併前の総額よりも激減してしまう。つまり周辺部で役場経済に依存したところほど、心臓から送り出される血、すなわち財政資金が少なくなってしまって、細胞が壊死するように地域経済がぐっと衰退してしまうわけです。人口を支えられなくなる。実際に合併後の追跡調査やった丹後出身の学生がいましたが、周辺部では合併前と比べるとほぼ2倍のスピードで人口減少を引き起こしています。先ほどの高山市の高根村では、それがさらに激しかったことを意味します。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;こういうことを無くすためにどうしたらいいか。ひとつ面白い例があります。上越市という新潟県の直江津のあるところの取り組みです。ここは今回の平成の大合併で一番数が多かった14市町村合併なんです。雪がとんでもなく降る、「雪だるま財団」という有名な財団がある安塚区のような地域がある一方で、大潟区という日本海側で全然雪が積もらないところもある。除雪費を計上しても片方は足りなくて、もう片方は必要ないんです。つまり市一本でまとめる必要が無い。むしろまとめないほうがいい。だから各地域で地域自治区というものを設けて、そこに総合事務所を置き、各所2千万円まで自由に裁量できるようにした。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;もう一つ、今年度から人口規模によって違うんですけど、500万円から1400万円の幅で地域活動資金というものをつくった。これはソフト事業でもハード事業でもいいから、地域協議会で使い方を決めてください、というお金です。提案するのは地域のNPOやまちづくり団体です。それぞれがプレゼンをして、各地域自治区ごとにおかれた地域協議会の面々がそれを見ながら決める。例えばスクールバスが維持できなくなった、という市が諦めかけてしまったことがあったんですけども、そこは連合体を組んで、スクールバス運営資金をつくろう、というかたちで自己決定できる。しかも、この地域協議会は、なんと公募公選で、住民が選挙で協議員を選ぶ仕組みです。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;この地域自治区は最初周辺部の13の旧町村部が最初だったんですけども、一昨年10月から市街地の方に拡張して、15区をさらにつくった。人口20万人で28地域自治区ができたんです。「どういう単位で旧市街地に15地域をつくったんですか」と聞いてみました。「小学校区ぐらいかな？」と思ったら、違っていました。昭和の合併の前の単位でした。それが一番自治会、あるいは活動団体の最もまとまったかたちとして今も残っているんです。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;一方で京都は東京都の区と違って区議会が無いわけです。区長も公選で選ばれていない。今、京都市の区で自由に裁量できる予算というのは50万円から100万円ほどしかない。しかも住民には一切提案権はないんです。上越市の28区に対して京都市の区は11しかなく、人口は7倍あるのにね。ともあれ、今や、地方自治体は2004年に地方自治法が改正されたことで、住民の生活により近いところで動こうと思えばできるんです。例えば、合併して新しく政令市になった新潟市と浜松市では区単位に地域自治区や協議会を設けているんです。浜松の方は、スズキ自動車の会長の横ヤリがはいって、この3月末で北部にある旧町村単位の協議会は無くなっちゃうんですけどね。ちなみに浜松は合併して1500平方キロメートル。上に水窪（みさくぼ）や佐久間が入った、とんでもなく広い天竜区という行政区ができたんです。天竜区には三つか四つの町があって、そこに地域協議会がある。旧町村単位で上越市のようなことができる仕組みだったんです。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;2年前、本当に酷い話を聞きました。救急車がその天竜の消防署から山の中の熊（くま）という集落に行こうとして迷子になっちゃったんです。元々浜松の市街地で救急隊員だった人が、合併で広域移動になり、慣れない山道を走ったからです。これが災害の問題になるともっと大きいですね。この間、地震災害が続いていますが、中越沖地震（2006年）、能登半島そして宮城・岩手南部地震（2008年）というように、中山間地域が多い。被害が大きかったのは、ほとんど大規模合併地域の周辺なんですよ。するとどこで被害が起きてるのかがまずキャッチできないんです。だから復興にも手間がかかってしまう。役場が無くなるっていうことに伴う地域の持続可能性の危機がこの間広がったわけです。さきほどの階層性で言えば、それぞれの階層ごとの機能に合わせたかたちで、その権限や財源を認めていく。そういう仕組みづくりに切り換えていかなければいけないのではないかと思います。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;そうすることで、住民が行政に対して、単なる陳情や要望を出すというレベルにとどまらず、それぞれの地域で行財政を活用しながら、地域の個性に合わせた地域づくりが持続的に展開できるようになると思うのです。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;&lt;a href="http://qc-3.blogspot.com/2011/05/qc302_08.html"&gt;後編へ&lt;/a&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4806493550830325696-5766233488019132370?l=qc-3.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4806493550830325696/posts/default/5766233488019132370'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4806493550830325696/posts/default/5766233488019132370'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://qc-3.blogspot.com/2011/05/qc302.html' title='QC3｜02 岡田知弘インタビュー「経済学的観点から地域という複層を見る」'/><author><name>RAD</name><uri>http://www.blogger.com/profile/00204040342751953837</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://1.bp.blogspot.com/-HzJVC22eCT0/Tcigghcw3iI/AAAAAAAAARE/xsudvsXFO54/s72-c/QC3%25EF%25BD%259C02%2B%25E5%25B2%25A1%25E7%2594%25B0%25E7%259F%25A5%25E5%25BC%2598%25E3%2582%25BF%25E3%2582%25A4%25E3%2583%2588%25E3%2583%25AB%25E7%2594%25BB%25E5%2583%258F.jpg' height='72' width='72'/></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4806493550830325696.post-6686197629467370378</id><published>2011-05-08T11:39:00.077+09:00</published><updated>2011-05-26T17:41:43.958+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='岡田知弘'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='02'/><title type='text'>QC3｜02 岡田知弘インタビュー「経済学的観点から地域という複層を見る」</title><content type='html'>&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;「経済学的観点から地域という複層を見る」後編&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;b&gt;岡田知弘インタビュー&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;※&lt;a href="http://qc-3.blogspot.com/2011/05/qc302.html"&gt;前編はこちら&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;u&gt;&lt;b&gt;後編 「&lt;span class="Apple-style-span" style="-webkit-text-decorations-in-effect: none;"&gt;「地域内再投資」という考え方&lt;/span&gt;」&lt;/b&gt;&lt;/u&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;文字起こし：&lt;a href="http://www5c.biglobe.ne.jp/~fullchin/p2/p-2.htm"&gt;佐藤敏宏&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;—なぜ京都で上越市のような例が見られないのでしょう？&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;政令市である京都市の場合、地方自治法によって、市の執行機関として、つまりサービスの出先機関として区をおかなければならないという構造になっており、歴史的に区役所というのは市の行政機関の一部となっており、自治区的な仕組みになっていないということがあります。たとえば観光で賑わう東山区の人口は、京都府北部の綾部市とほぼ同ぐらいです。綾部市の予算規模は160億円ぐらいです。もし、東山区が東京都の区のように基礎自治体だったら、区内のことについてはなんでもできるのに、それができない。上越市のように公募公背で住民代表が選ばれ、区民協議会的なものをつくり、お金の使途を決めて行くことができれば、地域の中の交通問題、観光問題、福祉の問題、治安の問題などを横断的につなげて対応していくことができる。そんなまちのつくり方を制度的にもやっていくべきではないかと僕は提案しています。それをしないがために、京都市役所本庁に年間1兆円近く財源が集まるのに、結局高速道路建設などの大規模投資に行ってしまう。上越市のように地域の個性に合わせて、住民の産業、生活支援のための予算配分がなされないわけです。僕は「地域内再投資が必要」と言っているんですけど、税金を納めている所に住民も意思決定に参加しながら再投資をしていく、という行政の仕組みに換えていくべきです。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;—いまの京都市の例は、税収は入ってくるんだけども制度的なレベルでそれを還元できていない、という話だと思うんです。他方で、地方はそもそも収入の面でより制限された状況になっているのではないでしょうか？&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;財政危機は確かに深刻ですが、それはいまの地方財政制度や税率を前提にしている限りのことです。また、財源を増やすための基本は、地域経済に税金を納める力をつけていくこと、つまり担税力をつけることにあります。地域経済を持続的発展を行うための基本は、先ほどの地域内再投資力を、地域の資源を活用しながら、京都の企業をはじめ経済主体が高めていくところにあります。そういう視点から見ると、僕はそんなに悲観的に見る必要はないと思っています。とくに、京都にはたくさん地域資源があります。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;長野県の栄村という新潟県沿いのところをひとつお例に出してお話してみますね。千曲川が信濃川に切り替わる所で、野沢温泉スキー場の隣です。雪が通常年でも3ｍぐらい積り、3ヶ月間根雪になるところで、人口も2500人を割ってしまっています。高齢化率も40％。何にも無い村だと言われてきたところです。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;この村で1988年から、村の職員だった高橋彦芳さんが村長になりました。これまで国や長野県の言うことばっかり聞いて企業誘致や減反政策をしてきたけれども、村の経済は良くならなかった。人口もどんどん減って高齢化が進むだけ。だからもう上を見るのをやめよう、足元を見ようじゃないか、と言う政策を掲げたわけです。空き家になった農家を村が「ふるさとの家」として活用し、そこに都会から来たグループや家族に一週間ぐらい泊まってもらうんです。最初は栄村を体験して、村の良いとこ悪いとこ探しをしたそうです。そこで村の人たちが作った料理を食べて「美味しい」っていうふうに都会の方が言ってくれるわけです。それで村の高齢者がものすごく元気になるんですよ。「都会の人に自分たちが作った料理、合うかな」「こんな物でいいんだろうか」って思ってたところで、出してみたら「とてもおいしい」と。水がおいしいし食材が良いからなんですね。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;それで自信を持っていくんですけれども、そのうちそのお客さんの一人が家の天井裏に転がっていた「猫つぐら」という藁で作った猫の家を発見するんですよ。見つけた人がペット大好きな人でね、「これ欲しい」と言うわけです。でも村の人たちは昔、趣味的に作っていただけの物だから「こんなの商品になるのか？」と不思議がったわけです。じゃあこれを売ってみようかということで生産組合を作った。そしたら大体8千円から1万2千円で売れていくそうです。向こう5年間予約完売済みというヒット商品にもなりました。こうして特産品がひとつできた。あとは雑穀。アトピー性皮膚炎に悩む東京のお母さんたちのからの声で産地直送を行うための生産組合をつくりました。そうやって、高齢者がこれまで作ってきた、田舎の産物が高い評価を得て、都市の人々が買っていく。そういうことが広がっていきました。その結果、県平均を下回っていた農家1戸当たり農業粗生産額が、県平均と逆転をしてグッと上がって行くんです。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;このような農産物や加工品を、物販や宿泊施設で都会の人たちに買ってもらうために、栄村では第3セクターの振興公社をつくり、ここが核となって、村の人たちが作った商品やサービスをできるだけ購入し、村をあげて都会に販売しています。振興公社の2001年度のデータでは、2億8千万を売り上げ、そのうちの70％を村内調達していました、つまり村内でできるだけお金が回る仕組みをつくっています。高橋さんは、これを「内部循環型経済」と呼んでいます。実は、この村内調達率という数字が出ること自体がすごいことです。京都市で京都市役所やその出資法人ががとれだけ市内調達してますか？　と言っても数字が出てきません。栄村では、公的な調達先が村内か村外かをちゃんとチェックしているんですよ。これによって、自治体や第三セクターの地域貢献度が分かるんです。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;これもまた、すごい話なんですけど、2000年度から介護保険制度が出て来るということで、ここの村では「下駄履きヘルパー制度」というものをつくっていきます。栄村では、雪に3ヶ月間閉じこめられてしまう集落が幾つかあるんです。そこで村民と議論したら、村民自身から「自分たちでヘルパー資格を取ろうじゃないか」という提案があったそうです。2500人弱の村で150人が当初手を挙げて、ヘルパー資格をとりました。それが今、200人を超えている。彼らは社会福祉協議会のパート職員として働くんです。そうすると、豪雪防災対策、福祉対策、現金収入機会、この三つの目標を同時に達成できるんです。これも住民提案です。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;それだけではありません。長野県は一人当たり老人医療費が全国で一番低ことで有名です。戦後、長野県は乳児死亡率と成人病死亡率が一番高い県だった。そこで佐久総合病院などの厚生連の病院が中心になって、自治体と連携して訪問医療を始めたんです。予防医学の医療知識を普及していくわけです。いわゆるPPK運動、「ピンピンコロリ」運動です。人間は、最後まで生涯現役でピンピン働き、コロッとあの世い旅立つことが、一番幸せなことであり、大往生の条件と考えた運動です。その結果、長野県は全国の医療費の中で老人医療費が一番低くなった。栄村は、高齢化が県平均をはるかに上回っているのですが、一人当たり老人医療費は、県平均を下回っているのです。しかも、介護保険料と国民健康保険料基準額は県平均を下回り、県内最低水準です。みんな元気なんです。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;このようなことは、京都市のような大きな自治体ではできないことです。栄村では、高齢者の力も活用し、また高齢者福祉事業も経済活動の一環としてとらえ地域の物的、人的資源をしっかり活かして、住民が主体的に協力しながら地域づくりができているわけです。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;「何もない」といわれた栄村でも、このように地域の資源を発見し、それを活用し、産業化したり所得の源泉にすることで、ここまでできるのです。大都市には、小さな栄村よりもはるかにたくさんの住民や地域資源が存在しています。問題は、それを活用するような仕組みが、前にも言いましたように、地方自治体の規模が大きすぎて、できていないことにあります。こういうことが大都市でも可能になればもっと地域経済の振興は効果的に展開できますし、地域の担税力が高まると思います。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;—今お話してくださったような例がある一方で、地域の人たちが何か産業を起こしていくという試みの全てが成功しているとは残念ながら言えないような状況だと思うんですが、何が問題だと考えられるのでしょうか？&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;日本では、明治時代から、各地で地域づくりの取組をしてきており、それがすべて成功するとは限らないことは歴史的にも明らかなことです。一人のリーダーが引っ張って一時的に成功しても、次が続かない。あるいは、気持ちだけがんばってみても、長続きしない。そのような問題を分析するなかで、地域づくりには経済的な法則性があるのではないかと考えるようになりました。その結論として「地域内再投資力」を考える必要があるということを僕はこの間言ってきています。地域づくりに際して、すごいリーダーに引っ張ってもらって頑張ればできるんだ、ということが最初言われる。でもそれは長続きしない。リーダーが元気が無くなったり、亡くなってしまったらそれまでなんです。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;一番分かりやすい例が大分県の「一村一品運動」です。1980年頃から当時の平松知事が展開しはじめて、今では中国やタイにまで広がりをもっている運動です。その一村一品運動がどうなったのか？　一番売り上げ大きかったのは400億円超える焼酎でした。ところが、その焼酎メーカーがある市の人口も産業も全体としては衰退傾向になる。焼酎の原料は、どこのものをつかっているかというと、ほとんど海外産でした。。「一村一品」というのは要するに「一つの自治体で一つの特産物を有名にして売り込めば良い」という考え方です。とてもわかりやすい運動目標です。だから販売相手にしていたのは、大阪市場や東京市場、さらに海外だったんです。けれども、これでは地域のごく一部の企業の成長はあっても、地域経済全体の振興にはつながらないのです。これでは、「地域が活性化した」とはいえません。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;実は、「一村一品運動」の一番の本家っていうのは大山町（現・日田市）と、もう一つは湯布院（現・由布市）です。大山町の農協がやったのが1960年代の「梅栗植えてハワイに行こう」という運動です。八幡さんという農協組合長が、農業基本法が制定されるなかで、「もうお米の時代は終わった」と認識するんです。大山は、中山間地域で、水田面積も狭い。そこでもっと付加価値の付くものにしようということで考えたのが、梅と栗だった。梅の方は梅干しや梅酒、色んな商品ができますからね。結果的に、「平成の大合併」が始まる前に、大山町は、人口当たりのパスポート保持率が日本の自治体のなかでトップになったんです。つまり、成功したわけですね。もちろん海外へ行ってただ遊ぶんじゃなくて、キブツ（イスラエル）などの協同組合のモデルを訪ねて勉強して帰って来るんです。大山の場合、実は、つくっているものは梅だけではありませんでした。町では「一村多品」という言い方していたんです。いろんな農産物を開発するために農協が研究所を持っている。そのうち中国産の梅が入って梅の価格は暴落するんですが、そのときに考えたのが木の花ガルテンだった。作っている人たちの顔が見える直売場を、町の中と、福岡市内、大分市内、別府市内に作るんです。それだけじゃなくて工芸品も含めて多品種お商品を色々と並べています。これはすごく面白い。販売額が1千万円以上の農家が100戸を超えるようになっていくわけです&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;一方、湯布院の方は、できるだけ別府のような観光地になるのを避けようとした。どういうことかというと、別府は大規模なホテルや旅館が観光客を囲い込もうとする。街にお客さんが出ていかない。だからすごく寂れた街、犯罪の多い街ができた。すると女性客がリピーターにならない。だから湯布院は別府型ではない、まったく別の方向の地域づくりをやろうということで、1970年代に震災が起きたあとの復興運動の中で、由布院の最大の資源が自然景観と農村景観であるという認識に達して、それらを大事にしていこうとしたんですね。農村景観を守るためには、農家が作るお米とか野菜をたとえ高くても旅館やホテル飲食店が買おうじゃないかと考えます。これによって、農家の経営も農地も保全されて、農村景観も維持できます。もう一つは「泊食分離」です。連泊する際には1日目はそのホテルで食べてもらう。でも2日目に、例えば蕎麦が食べたかったら「こういう蕎麦屋さんがありますよ」と紹介するんです。これを、観光業界全体の取組として展開していきます。こうすることで、まちに人が出て、まち全体が潤うことになります。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;さらに1990年に「潤いのあるまちづくり条例」が制定されます。日本で初めて「成長の管理」という概念が入った条例です。建築基準法を上回るきわめて厳しい条例を作って、NHKのプロジェクトXでも紹介されたように、当時の建設省と大喧嘩したうえで制定するわけです。例えば「建ぺい率」という概念は法律用語なので、条例で法律を超える規定はできないんだけども、「空地率」のような概念を作ってやれば、実質的には建ぺい率規制を高めることができるわけです。そういうかたちで、高さや色合い、そして形なんかを規制していくわけです。こうして、最大の地域資源である由布岳の麓に広がる自然景観と農村景観を、住民と自治体が協同して保全する体制を整えていきました。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;そのうえで地域でお客さんが町に出て、買い物をしてくれる、そしてそのお金が地域内に循環する仕組み作りをやっていくんですね。湯布院で買ってもらう土産物は、できるだけ湯布院産の農産物を使い、それを加工するようなかたちで湯布院の菓子屋さんが作る。作った菓子は湯布院の箱屋さんが作った箱に入れて、デザインも湯布院にいるデザイナーがつくった包装紙に包んで売る。そういう仕組みをつくると、観光客がお土産に使ったお金が小売店に落ち、箱屋さんに落ち、デザイナーに落ち、そして農家に落ちるんです。地域にお金が循環していくんです。先ほどの栄村の「内部循環型経済」が、意識的に組織されているわけです。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;合併前のデータですけれども、バブルが崩壊した1990年から95年にかけて京都市は観光客数も消費客も製造費販売額も全部大激減でした。でも湯布院は右肩上がりなんです。バブル崩壊後も自然景観が守られて、農村景観が守られて、地域資源の魅力が高まり、女性客を中心にリピーターが増える。しかも観光客と観光消費額と消費販売額、製造費出荷額、全部連動して好循環を実現している。これが2004年にどうなっているかということを、私も関わって調べました。観光協会と一緒に地域内産業連関表を作ってみたんです。町内にある旅館やホテルからサンプリングをして、どこから物を調達しているか、どこから雇用を調達しているか、金額も含めて細かく聞いてシュミレーションしてみました。当時の湯布院町全体の総生産が500億円として280億円近くが実は観光誘発なんですよ。雇用で言うと7割。地域の外に出る者が極めて少ないことが分かります。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;—これまでの地域開発や地域活性化、まちおこしの問題点を乗り越えるために、地域内での循環が必要とされるわけですね。&amp;nbsp;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;そうです。しかし翻って京都は、お土産物一つとっても、例えば中国製の商品が多くなっています。お金の流れを考えると、おそらく大手商社が多くの利益を持っていってしまう。だから京都内に循環しないんですね。ホテルはどうかと言うと、大きなホテルはほとんど外資系企業が買い取ってきています。地元系のホテル、旅館は大激減です。観光客5000万人来たら豊かになるっていうことを言われるんだけど、これはまったくのデタラメです。観光客の落とすお金は京都市内に循環せずに東京や外国の本社に集中していく。だからそういうところまでとらえた上での地域づくりや都市計画づくり、観光政策づくり、仕掛けづくりが必要なんです。残念ながら市役所も議会もそこまでは見えてない。ここに最大の問題があります。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;そしてこれは京都に限りません。「道路や港などに公共投資をして企業誘致をしたら活性化するだろう。」これが、これまでの日本の地域開発の基本モデルです。大規模公共投資をして道路を作る、あるいは港湾を整備する。空港を整備して補助金を積んで企業誘致をやったら地域は活性化するんだ、と新産業都市からリゾート開発までやってきた。にもかかわらず、ほとんどすべての地域でうまくいかなかった。「なぜ活性化しなかったのか」こそ、私達が学ぶべきポイントなんです。大規模公共投資をやったとしても、東京や大阪に本社を置くゼネコンが受注してしまう。しかも、素材の鉄鋼とかセメントはどこが供給するかというと、新日鐵等結局東京に本社があるところです。現に京都市の遷都1200年記念事業の京都駅ビルを1500億円でつくりましたが、ほとんどが鉄骨なんですね。そして2500億円を使った地下鉄。これもまた、受注してるのはほとんど市外企業です。巨大な金額が地方自治体によってなされましたが、地域内には循環していかない。「するっと関西」じゃないけど、するっと東京などに流出してしまう。あとに残るのは、借金だけでになり、その返済のために地方財政危機になる。結局、それを乗り越えるために、税金や保険料、あるいは地下鉄運賃などが上がる構造です。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;加えて、企業を誘致したとしても、本社がある限り、収益の大半は本社のある東京に集中してしまう。東京には、生産額比率をはるかに超える法人所得が集中しています。その所得を生み出したのは地方にある工場や支店、支社であり、そこで働いている住民たちなのに。だから地域経済の波及効果も企業誘致ではなかなかできないわけです。誘致できたとしても、工場が縮小、あるいは撤退してしまう。これは大型店についてもいえます。よく「焼き畑商業」という言い方がされますが、消費購買力を失った地域から簡単に撤退しちゃうんです。大きなお店では、3年でほぼ初期投資は回収できるといわれています。そこから先、その場で再投資を繰り返すかどうかはよく分からない。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;そこでどういうことを全国ではじめているかと言うと、福島県とか、熊本県では一店舗単位でどれだけ地域貢献をしているかを測っている。雇用だけじゃなくって、そのお店にどれだけ地元の物を置いているか。農産物や加工品も含めて、地元からいかに調達しているかを評価して、公表しましょう、と。市民はそれを見ながら店を選ぶことができるし、それによって大型店の地域貢献を誘導する意味をもっています。これはアメリカでもやっていることです。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;そういう大型店の誘導的な規制によって、地域における再投資力として貢献できるような外部企業にしていく。外部企業は全部ダメだ、ということではなくて、むしろ地域貢献度が高い外部企業にしていくことによって地域全体の投資力が増していくこともあるわけです。そのためにも賢い消費者になる必要がある。元々京都の事業所のうち99％が中小企業事業所であり、それらが毎年毎年投資を繰り返して地域経済が成り立っています。「地域内再投資」と私が言うのは、その地域内に本社機能があって投資を繰り返すということです。販売先は京都市内であっても京都市外であっても、海外でもかまいません。投資をしたリターンは必ず本社に戻って来る。その経済的な力を量的にも質的にもいかに作っていくか。そのため一番効果的なのは湯布院のような、あるいは栄村のような、地域の資源を活かしながら、経済主体のネットワーク張っていくことではないかと思います。そこで、地域内で産業連関をつくり、資金の回転数を上げていくんです、そうしたら所得も雇用も創出されていきます。そのような方向で地域づくりを行うことが大事ではないかと思っています。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;—ありがとうございます。最後に、地域経済学の観点から建築との交差点についてどのように見ていらっしゃいますでしょうか？&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;なかなか難しい質問ですが、身近な例をだしてみます。私の知り合いに建設・不動産業の社長さんがおられます。彼は「京都こだわり住宅」を謳って、京都の部材や指指物を使ったりして、私の言う「地域内再投資論」を応用した事業を、仲間と共同しながら実践しています。そういうやり方をすれば、大手のハウスメーカーが外材を持ってきて、プレハブ住宅を作っていくのとは全く違う地域経済効果が生まれてきます。私は、自治体が、このような取り組みに対してもっと協力すべきではないかと考えています。行政が意識的に支援をして、経済主体が自分たちでそういうことができるんだ、良い物ができるんだ、となれば住民はそれを受け入れてくれる。こういうことになっていけば、たいぶ違う京都が生まれて来るんじゃないかと思うんです。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;もう少し理論的な話になるのですが、経済地理学者であるデイヴィッド・ハーべイが、資本が都市を形成する際に、もっとも重要なのは、土地に固定した構造物（道路や建物）からなる「建造環境」であると指摘しています。土にくっついた道路、あるいはビル。ビルの中には学校や工場、商店も全部入ってきます。それらが府工合化して、都市景観をつくる。しかもそれは資本の固まりです。つまり、公的な資本であれ、民間資本であれ、建造環境はすべて資本投資をしてつくったものです。その組み合わせが都市景観であるととらえるとき、都市の形成というのは、すごく面白い内容をもちます。時代ごとに生産力や技術水準が違う。これは不可逆的であり、素材生産や建築技術の発展に規定されています。つまりそれぞれの経済段階に対応したものしか、時代ごとに作れないわけです。鉄筋コンクリートの構築物は、大正期以降の産物であり、それ以前は木造の建築物からなる都市景観ですね。つまり経済の動きと、建築、都市景観の形成というのは、密接な関係にあると、私は考えています。&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;京都も、基盤産業であった西陣・室町の織物業が崩れ、新たに期待された金属機械系企業も海外に拠点工場を移し、さらに観光業についても、先ほどから言ってきているように、観光客が増えても、地域内への経済循環が期待できない状況になっています。そのなかで、都市景観を整備するために景観条例が強化されましたが、これが果たして、地域内再投資力を高めるのか否かについては、はなはだ疑問です。地域経済政策と都市景観、建築に関わる政策とは、地域では一体となっていますので、相互に結びついた形で立案、執行されなければなりません。その上で、地域経済学と建築分野の皆さんとの関係は、これまで以上に強まらざるを得ないのではないかと考えています。（了）&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/-LAKJ2eb2aWo/TdoC4YI5BfI/AAAAAAAAARM/I5YiOqby4hg/s1600/QC3%25EF%25BD%259C02+%25E5%25B2%25A1%25E7%2594%25B0%25E7%259F%25A5%25E5%25BC%2598%25E5%25BE%258C%25E5%258D%258A%25E7%2594%25BB%25E5%2583%258F.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"&gt;&lt;img border="0" height="480" src="http://3.bp.blogspot.com/-LAKJ2eb2aWo/TdoC4YI5BfI/AAAAAAAAARM/I5YiOqby4hg/s640/QC3%25EF%25BD%259C02+%25E5%25B2%25A1%25E7%2594%25B0%25E7%259F%25A5%25E5%25BC%2598%25E5%25BE%258C%25E5%258D%258A%25E7%2594%25BB%25E5%2583%258F.jpg" width="640" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;岡田　知弘（おかだ　ともひろ）&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;1954年、富山県生。京都大学大学院経済学研究科博士後期課程修了後、岐阜経済大学講師、助教授を経て、京都大学経済学研究科教授。現在、京都大学公共政策大学院教授を兼任。専門分野は、地域経済学、地域開発論、地方自治体論&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;○主要著作&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;『日本資本主義と農村開発』法律文化社、1989年&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;『地域づくりの経済学入門』自治体研究社、2005年&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;『道州制で日本の未来はひらけるか』自治体研究社、2008年&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;『一人ひとりが輝く地域再生』新日本出版社、2009年&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;『中小企業振興条例で地域をつくる』（共編著）自治体研究社、2010年&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"&gt;『TPPで暮らしと地域経済はどうなる』（共編著）自治体研究社、2010年&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4806493550830325696-6686197629467370378?l=qc-3.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4806493550830325696/posts/default/6686197629467370378'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4806493550830325696/posts/default/6686197629467370378'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://qc-3.blogspot.com/2011/05/qc302_08.html' title='QC3｜02 岡田知弘インタビュー「経済学的観点から地域という複層を見る」'/><author><name>RAD</name><uri>http://www.blogger.com/profile/00204040342751953837</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://3.bp.blogspot.com/-LAKJ2eb2aWo/TdoC4YI5BfI/AAAAAAAAARM/I5YiOqby4hg/s72-c/QC3%25EF%25BD%259C02+%25E5%25B2%25A1%25E7%2594%25B0%25E7%259F%25A5%25E5%25BC%2598%25E5%25BE%258C%25E5%258D%258A%25E7%2594%25BB%25E5%2583%258F.jpg' height='72' width='72'/></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4806493550830325696.post-1801199841702312519</id><published>2011-04-27T10:40:00.009+09:00</published><updated>2011-05-22T22:25:00.761+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='片木孝治'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='01'/><title type='text'>QC3｜01 片木孝治インタビュー「時間と空間のスケールから地域との関係性を構築する」</title><content type='html'>&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/-2_8GgfsYz5w/Taws5nwvtoI/AAAAAAAAAQI/XrEKrF5abjA/s1600/QC3%25EF%25BD%259C01+%25E7%2589%2587%25E6%259C%25A8%25E5%25AD%259D%25E6%25B2%25BB%25E5%2589%258D%25E5%258D%258A%25E7%2594%25BB%25E5%2583%258F.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"&gt;&lt;img border="0" src="http://3.bp.blogspot.com/-2_8GgfsYz5w/Taws5nwvtoI/AAAAAAAAAQI/XrEKrF5abjA/s1600/QC3%25EF%25BD%259C01+%25E7%2589%2587%25E6%259C%25A8%25E5%25AD%259D%25E6%25B2%25BB%25E5%2589%258D%25E5%258D%258A%25E7%2594%25BB%25E5%2583%258F.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/-2_8GgfsYz5w/Taws5nwvtoI/AAAAAAAAAQI/XrEKrF5abjA/s1600/QC3%25EF%25BD%259C01+%25E7%2589%2587%25E6%259C%25A8%25E5%25AD%259D%25E6%25B2%25BB%25E5%2589%258D%25E5%258D%258A%25E7%2594%25BB%25E5%2583%258F.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;「時間と空間のスケールから地域との関わり方を構築する」前編&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;片木孝治インタビュー&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;--&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;第一回目となる今回のインタビューでは、現在京都精華大学で教鞭をとりつつ、建築家として活躍されている片木孝治氏にお話をうかがった。氏は2004年より福井県の鯖江市河和田地区を拠点に、学生たちとともに地域の様々な問題にアートを介して取り組むプロジェクト「河和田アートキャンプ」を運営されている。「芸術が社会に貢献できることとは何か」を命題に、始動より7年。関与した学生ものべ800人を数える長期プロジェクトだ。今回は河和田という具体的な地域へと身を置き実践される中で見えてくる風景をお聞きしながら、そのような状況において建築／家が地域とどのような関わりを築いていけるのかを考えていきたい。&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;※&lt;a href="http://qc-3.blogspot.com/2011/04/qc301_25.html"&gt;後編はこちら&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;&lt;u&gt;前編 「河和田アートキャンプでの試み」&lt;/u&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;―まず現在行われている「河和田アートキャンプ（以下AC）」の拠点、河和田という地域についてお話いただけますか？&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;福井県鯖江市河和田地区という関係性で、河和田地区（以下河和田）は13の町から構成されている、人口5000人位の集落です。地理的には福井県の内陸部。鯖江市の中心街には、国道8号線が通り、これは京都～金沢～新潟まで続いている北陸街道筋なのですが、河和田はその中心街から東側に、岐阜や北アルプスの山あい方面へ15kmほど入ったところにあります。河和田の大半は山林で、鯖江市の山林地の7割弱を占めています。そんなところなので自然がすごく豊かで美しい場所なのですが、いわゆる「街道沿いの宿場町」とか「観光地」ではないので、日常的に外部から人が入ってくるような場所じゃない。だから河和田を歩いている人は「みんな先祖代々から顔見知り」といった感じの、のどかなところです。&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;―いわゆる中山間地の集落といったところでしょうか？&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;そうですね。河和田に限りませんが、過疎化や高齢化といった一般的に言われる問題なんかも抱えている中山間地です。ただ、農林業主体の山村とはちょっと異なっていて、河和田には「越前漆器」という伝統産業があるのです。僕も河和田と関ってから知りましたが、業務用漆器では全国シェア8割といった一大地場産業をもった地域なのです。また鯖江市は、全国シェア9割の眼鏡フレームで有名なのは知っていましたが、それ以外にも繊維産業があります。市外の近隣を見渡してみると、他にもたくさん産業があるのです。鯖江を中心に10キロ圏内には、越前漆器、越前焼、越前打刃物、越前和紙と伝統産業が4つも集中していて、新旧の色々なモノづくりをする人たちが集まっている、とても興味深い地域です。&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;そういった職人的な気質も関係するのかな？　福井県は「自立心」がすごく強い地域なのだと聞いています。そんな福井県の中でも、この辺りはとりわけ自立意識が強い地域らしいんです。その一例としてこんな話を聞きました。昭和の市町村合併があったとき、鯖江市は、隣の福井市の一部になるかどうか？　という話もあったようですが、合併を拒んで踏ん張った。ここ河和田（旧河和田村）は、結果的には、そんな時代の流れの中で、鯖江市に編入合併されたのですが、最後まで反対が強く、市役所機能のもったコミュニティセンターを河和田に置くことで落ち着いたと聞いています。河和田には「越前漆器」という強い産業があるから、自立意識だけじゃなくて地域の実力もすごかったんでしょうね。今は景気低迷に悩まされていますが、バブルのピーク頃には、漆器産業全体で年間に200億円くらいの売り上げがあったと聞いています。&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;―地場産業の強さも後押しして、河和田では地域のコミュニティが強いわけですね。&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;そんな河和田に2004年の水害が起こったのです。今で言う「ゲリラ豪雨」の先駆けですね。この年は、河和田の後に「丹後地方」「中越地方」と立て続けに豪雨が起こりました。地球規模の気候変動だということで、環境問題に着手していた僕たちも色々な意味で考えさせられました。&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;河和田は1000棟以上が浸水し目茶目茶になる惨事に遭って、自衛隊や全国から1万人のボランティアが駆けつけたことに「初めて地域外の人に助けてもらった」「本当にありがたかった」という話を聞きました。最初は「初めて助けてもらう？」と思っていましたが、ある意味で、何でも自分たちの力でやっていこうとする河和田の人たちの姿を見ているうちに、なんとなく「これまでの河和田の人だったら、自分たちの力で、何でもしてきたのかもしれないなぁ」と思うようになりました。もちろん、それは地域内での助け合いでという意味ですけどね。&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;そういったコミュニティの強さみたいなものは、実は客観的に言われないと分かりませんでした。ACが始まってから2年くらい経った後に、隣の市の取り組みでワークショップをしたことがあるのですが、「あんた京都から来たのか。福井は地域意識が強いから色々大変だよ」と言われ「実は河和田で活動している関係でこちらに来ているのです」と言ったら「よく受入れられたね。福井の人も一目置くくらい村意識と個性が強い、すごいところで活動しているんだよ」と聞かされて、びっくりした記憶があります。&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;―被災したことで河和田にどのような変化が起こったのでしょうか？&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;バブル以降、社会全体が徐々に右肩下がりで、中国なんかの海外に生産部門が移行する経済状況の中で、地場産業は将来どうなるのか？　といった中での水害。漆器産業の工場や機械、ストックなどが流され、売り上げがどうこうという問題じゃなくなりました。そんなことより「工場なんかに再投資をするか否か？」という根本的な問題をつきつけられた。再びはじめたところでこの先も産業景気が上がるとは限らない。この状況で再資本投入をして、息子たちに商売を継がせるのかどうかという問題もあった。水害は、そんな河和田を「ドン」と落してしまいマイナスの結果を与えたのだけど、地域の人たちは「災い転じて福と成す」って言って、「このままじゃいけない！」と声を上げた。ぬるぬると下降を続ける産業だけの問題じゃなくて、地域や伝統そのものの存続について、深く考えるきっかけになったと聞きました。&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;―そもそもの話になりますが、河和田との出会いはどのようなものだったのでしょうか？&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;少し長くなるのですが。2003年に「科学×芸術」をテーマにした「New Letters from Kyoto（NLK）」というグループを、京大の環境保全センターを中心に、京大、日文研、京芸／精華／同志社／立命大の学生や教員がチームを組んで、科学者と芸術家とでコラボレーションをしようというプロジェクトを立ち上げていました。&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;また、これは偶然ですが、同じ頃、鯖江市が「エコネット鯖江」という環境支援センターの開館準備をしていて、2003年に京都の「都エコロジーセンター」に視察をしたり、保全センターにいた学生（NLKメンバー）にもヒアリングに来られていました。その時点では、NLKとは関係の無い話だったのですが、そんな最中に水害が起こり、たくさんの災害ゴミが出たということで、保全センターにそれにまつわる分別調査の依頼がありました。そこでNLKも災害支援＋地球環境問題を兼ねて同伴したわけです。そういう意味では、河和田とは間接的には水害の少し前から関係があったともいえますね。&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;そんな「ご縁」の中。河和田では、水害の影響で夏の地域祭りどころではなかったので、一時的な復旧が済んだ10月に地域のお祭りをしようということになりました。そこで「何かイベントをしてくれないか」と、僕たちにお願いがありました。被災状況が落ち着いて、ボランティアやメディアも引いていき、地域の人たちだけになったところ、僕らに声がかかったわけです。でも、声を掛けてくれた方々から、地域の人たちへ紹介され、皆さんの前に並び、一通りの挨拶が済んだ矢先に「お前ら何しに来たんや」って迫られたんです（汗）。ちょっとビックリしました。先にも話をしましたが、余所者がコミュニティに入るという意味では、今から思えば洗礼でしたね。&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;それから、お祭りでワークショップをやって、その関係で何回も河和田に呼ばれたりして。当時はお金も無かったし、いろいろと大変なこともあったけど、今に継続していったわけです。&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;―それがACへとつながっていくわけですね。ではACについて紹介していただけますか？&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;これは概要だけですが、ACは大学生が主体となって、約1ヶ月（約40日）の期間を使って、河和田にある「空き古民家」に滞在／共同生活します。また、作品の構想・企画・制作については、地域の人たちと必ず協働でおこなうことを原則としています。&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;それは、ドカドカと持ち込まれてくる展示やイベント型のアートエキシビションではなくて、学生たち自身が地域住民の生活に寄り添う中で普段なら気づけない、微妙なニュアンスをチューニングした作品制作を行ないます。ちなみに、「チューニング」というのは、同じ言葉を使っていても、その背景にあるものが異なると全くの別の意味に変ることがありますが、それは都市部で議論されている用語も同じであって、その背景を経験として共有することです。そこでできあがる「モノ」の重要性というよりは、その制作プロセスにおいて、芸術が介入することで変化する「地域生活」のようなものをつくっていくこと。少し遠いけど、イメージで言うと「お祭り」が近いかな。&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;ACを始めた当初は、ノウハウもスキルもないからやり方も分からなかった。でも、前提として大事なのは、こういった企画や運営に腹をくくってやる「人」がいること。そして、それを受け入れてくれる地域住民の「理解」があること。それから、それらを支援する行政の「場所」があることなど、この三輪四輪がないと、こういうプロジェクトは生まれても継続しないと思います。ある意味で、ACは色々な偶然からはじまった活動ですし、すごく良い人たちに恵まれたなかで成立している、稀なプロジェクトだと思います。&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;―先にもお話があった通り、当初からすんなりと地域へとけ込んでいくことができたわけではないと思うのですが...&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;そうですね。受け入れ初日に「何しに来た？」と言われてから、取り組みを重ねる度に、地元の人に色々と指導を受けて成長してきました。地元のルールというか、生活のパターンというか。都会での「それ」が大きく違ったり、微細なところでも合わなかったり、そもそも余所者だから不審感を持たれていたり…なかなか馴染むのには時間が掛かりました。そこで僕自身も修正していったわけです。&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;そんな壁のある状況だったのでなかなか想いは伝わらなかったけれど、地域の人たちの共感を得られたのは、僕自身の生立ち話でした。僕は生まれ育ちも京都の中京区で、実家が祖父母の代まで「悉皆屋（しっかいや）」だったのですが、呉服業はのびないからと受継がせてもらえなかった。世の中全体の西洋化と産業構造の転換で日本の伝統産業が売れなくなってきた状況や問題意識が、京都の呉服業と河和田の漆器業と同じようなバックグラウンドを背負っていたので、正直に「ここでの取り組みを、京都でも活かしたいです」と言ったことで、その後の話が弾みました。これは、断片的な話であって、その他にも僕だけじゃなくて、参加してくれた学生一人一人に至るまで、皆がこういった些細なやり取りを地域の人々と「チューニング」していった積み重ねが、今日の関係に結びついているのです。&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;―そのような試行錯誤の中でACも様々に変化してきたと思いますが、その特徴をどのように説明されますか？&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;単なる展覧会やイベントとしての活動ではなくて「（地域）生活」といったフィールドに、アートやデザインといった「感性や表現」の領域をぶつけることで様々な可能性を見出そうというところでしょうか。当初から掲げている命題「芸術が社会に貢献できることとは何か」を模索しています。&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;ここでは「地域に密着する」ことをテーマにしているので、河和田にある日常生活を、大まかに６つの要素に分解しています。生活を支える「労働」として、農業／林業／伝統産業。生活の知恵を受継ぐ「教養」として、学育／食育／健康といった具合です。また、学生たちのプロジェクトパートナーとして、地域の家族との関係を築く構成となっており、お父さん（林・農・伝）／子供たち（学育）／お母さん（食育）／シニア（健康）といったように、地域の方が日常的に行っている「こと＝生活」にアートをぶつけていく。そうすると、ノウハウを持っている地元の人たちが、学生にとっては色々なことを学ぶ先生になる。その先生たる地域の人々が、学生たちのアイデアに触れることで「地域」にも刺激が生まれる。そういった新しい「循環」を生み出すのです。&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;たとえば食育に焦点を当てるとすると、地元のお母さんやおばあちゃんが行なっている地域の食生活に、こちらからアートなアプローチを仕掛けて「創造」する、ということになるわけです。よく「地域住民との協働」と唱われているプロジェクトも多いですが、実は「協働＝マンパワー」でしかない場合が多いのですよね。もちろん、地域住民の善意的な意味合いとしては、協働で間違っていないのかも知れないのですが、ACでは「その人しか伝えられない何か」との協働に着目しています。そういった意味では、これが特徴なのかもしれない。「アートプロジェクト」には関心のある人しか来ませんが、こうした構造をつくることで「芸術の枠組み」みたいなものを広げられたらと思っています。&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;僕がこうした活動を行っている理由のひとつに、芸術教育を受けた学生たちが「何を働きの場とするか」ということに対して新しい提案をしたい、ということがあるのです。現状は「デザイン事務所に行けたらラッキー」とか「裕福であればそのまま作家活動ができる」ということにとどまっている。才能があるのに、大半は見合った雇用先がない。感性もあってクリエイションをしている人たちの行き先がない。その選択肢の一つとして、こういう地域づくりを彼らの働きの場にできるんじゃないかと思ったのです。&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;―河和田という地域をどのようにとらえられているのでしょうか？&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;河和田での活動は、ちょっと特殊だなと思っています。それは、こうした地域活動の取り組み事例としては、地域が豊かであることです。もちろん、水害での打撃をはじめ、人口減少も起こっていて見通しは必ずしも明るくはない。しかし、根本的には、地域の人だけではなんともならない状況ではない。子供たちもまだいるし、低迷しているけど産業があるので、経済的困窮はしていない。&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;それに比べて、全国に色々とある「農村に人が入っていくプロジェクト」は、村の過疎化／高齢化が目前に迫ってからの依頼活動であることが大半です。そんな状況だから、一番問題なのは、何から何までお願いモードになってしまっていることなのです。地域は依頼側だから頼みの綱である受け側に対して「意見」が強く言えなくなっている、受けた側は「仕事」って感じになるから、そんな関係だと予算もなく、単年度もしくは三年で結果が出ないと「駄目でしたね」と活動が終わってしまう。残念ながら、こういった繰り返しでは活動が継続しないんです。&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;そういった意味では、河和田は地域力もあるし、ACとの関係も対等だから、地域活動が存続するモデルケースとして可能性があります。&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;―短期的に結果を求められてしまうこともあるのでしょうか？&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;それはあるでしょうね。ただ、高度情報化社会では情報だけじゃなく物の流れも含めて「早いこと」が美徳になっています。ACでも、そういった速度感のようなものを地域や学生からも求められたりしますが、僕はそれに違和感があり「鈍速力」という言葉を使って色々な方に説明をしています。全ての事柄について「速さ」を否定するつもりはないですし、闇雲に時間をかけろとも言いません。車で云うとギア比みたいなもので、あるトルクをもって堅実に進む、適時適所なタイムスケールがあるということなのです。&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;いま世の中は便利になりすぎて、何か物をつくりだそうという「不満」がないと感じます。例えば学生に「デザインしていく意味が分からない」と言われると「そうかもしれないな」と思ってしまうときがあります。それはある意味で、クリエイションの危機だと思うんですね。かといって「もうデザインはいらない」のかというと、それは疑問です。そのとき枝葉に行くんじゃなくて、幹の方に向かわないといけない。ひとつのことにじっくりと時間をかけるというか。そのとき河和田という地域は、考えるためのよりよい環境を与えてくれます。「鈍速力」という言葉で言わなきゃならないことはまだまだ見つかると思います。&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;―具体的にどのようなお話があったのでしょう？&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;「鈍速力」にも関係しますが、僕が最初に地元の方に言われたのは「予算800万あります。これを片木さんに預けますからどう使ってもいいですよ」と。それで「どうしますか？」と聞かれました。インパクトのあるイベントをするなら、アーティストを使って一年で800万使ってしまう方法もあった。しかし、僕は「長く使いましょう」と、地域再生に一年100万ずつでも、長く使っていく選択を選びました。今から考えると、僕が「800万使います」と言っていたら、たぶん「さよなら」と言われていたでしょうね。&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;―そのお金はNPOから？&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;そうですね、NPOの予算でした。しかし、当初は持ち出しして活動していましたね。&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;―では単年度的に終わってしまう取り組みは「予算を短期間で使い切ってしまうから」ということが原因なのですか？&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;予算だけではありません。受入れ側／参加側ともに人が流動的に変わっていくという理由もあります。ACの受け入れ態勢は、7年やって7回とも違いました。大抵のプロジェクトが続かないのは、こういったことも予算以外の大きな原因かも。決まったマニュアルは無いんです。それは呼吸というか、地域との掛け合いみたいなものです。初期段階で、僕が教員でなければ経済的にも厳しかったと思います。だから、かなり綱渡りのプロジェクトであることは確かです。しかし、ACは多様な側面があるので、持続さえすれば予算の取り方に柔軟に対応できる可能性を持っています。&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;―どういうことでしょうか？&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;例えば、大抵のアートプロジェクトは文化庁付けの予算で芸術振興系のものになるんです。でもこれは僕が「全国自治体学会」というところに呼ばれたときに言われて気づいたんだけど、ACの構造には興味深い可能性がありそうだ、と。つまりこういうことです。行政は「縦割り」になっていて、予算には、農林系の予算、教育系の予算、社会福祉系の予算など様々にある。その中で例えば文化事業なら文化事業系の予算だけしかつかないんだけど、文化庁に限らずどこの事業予算も大抵は3年程度で切られてしまって、それを再度取得するとなると難しい。一方でこのACの場合、これを文化事業としても位置づけることができるし、先にお話した通りこれを要素に分けることもできる。そうすると農林系（農業とアート）、教育委員系（教育とアート）、社会福祉系（健康とアート）という具合に個々に予算確保できる、そういう柔軟性があります。もちろん、まだその技までは行っていませんが「これから戦う大きな波」だと思っています。ACは毎年予算と格闘しなければならない。今後は、行政と参加費だけではなく、ACを続ける中で企業との事業や出資も考えています。&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;―ACに多様な側面があることで、行政というシステムを逆手にとることができるというわけですね。&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;そうですね。行政自体もこれまでのシステムが邪魔で新しいことできないんじゃないかな。例えば、普通ならば困る話とされている「行政の担当者が3年で変わる」ということに関して。ACの場合はこれがメリットなんです。というのは、ACに関わってくれる人は大体プロジェクトのファンになってくれるんですよ。行政と言っても「人」なんです。さすがに一年目は恐い（笑）。役人という感じで四角四面なことしか言わない。「これはダメ」「別の方法で…」とかね。でも一夏過ぎると気持ちが揺れてくる。「じゃあ来年はこれもやれるよ」なんて言ってくれる。三年目になると「あれもこれもやりましょう」となるんです。僕らとしてはもっと踏み込んで欲しいんだけど、担当者にも立場がある。そんな立場も、四年目になって担当部署を外れると、責任もなくなるので、すごく支援してくれるんです。移転先の課で「こういうことやってるから、これをACとコラボレーションできないか」という形でね。これも、ACの可能性なんです。&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;―ACが長く続くことによるメリットですね。&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;そうですね。ひとつ、&lt;a href="http://www.amita-net.co.jp/"&gt;アミタ&lt;/a&gt;というACの農業系のような試みを行っている企業を例に挙げてお話します。ジャージー牛を山に放し、下草を食べさせながら育てる。そうすることで山の保全をしながら、牛は厩舎でストレスためず元気に育つ。牛乳も濃厚でおいしい。値段は高めなんですけどね。とても興味深い取り組みをされているけれど、企業の宿命というべきか、3年で目処が立たないと撤収とか。担当の方は、5年やらせてもらったら軌道にのる自信がある…といわれていましたが、企業理念からするとNG。地域づくりがビジネスとなりにくい所以ですね。&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;他方で、ACは幸いなことにこうした構造ではありません。ゆえに、もちろん何を持って成功と言うかは難しいのですが、もう少し長期的なスパンで事業の成功を目指していくことができると思っています。ACでは20歳の子が20年経って、そのときにもこの河和田で事業が続いていれば、OB・OGとして何かできる。参加しに来るだけじゃなく、彼らが勤めている会社のビジネスを地方との共同で行うことができる。ビジネスライクなつきあいじゃなくて、もう少し濃い関係が築けると思うんです。地域は彼らに期待すべきでしょう。そして彼らとの関わり方をデザインしなければならない。&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;ということで、今は、地域のリサーチを行っています。技術をまず知ろうと。産業がいっぱいあるので、どこにどのようなことをしている人がいるのか？　彼らがどのようなスキルを持っているのか？　こういうところは大まかに情報が集まってきました。そしてそのような人々とスタッフがコミュニケーションを始め、関係をつくっているところです。それをストックしていこうと考えています。&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;b&gt;―地域で生まれた関係を、さらに一歩進めようということでしょうか？&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="tex
